文/中国の大法弟子 李厳
【明慧日本2014年9月27日】人のことが気にいらないという嫉妬心は、実は自分より優れている人を気に入らないことです。他人によいことがあれば、他人のために喜ばず、気持ちが収まりません。不公平あるいは腹立たしいと思いながら、その気持ちを隠して表に出しません。
ある面で自分よりよくでき、自分の立場を傷つけそうな同修に対して、非常にずるい手段で相手の弱点を掴んで、わざと大げさに吹聴します。その同修が最悪の結果をもたらしたと印象付け、周囲の人達に救いようのない人だと思わせるのです。これにより同修を攻撃し、名誉を失墜させます。これで自分が全ての名誉、威信そして大勢の中で面目を保つことができると思っています。まるで自己至上、侵犯不可の姿勢です。中国共産党文化の「敵に対して、秋風が落ち葉を掃除するように無情にさせる」という理論が思い浮かびます。まさに共産党文化の「偉・光・正」の表現ではないでしょうか。
最も気付きにくく、最も明確な特徴は、普段は自分より弱い同修に対して、十分に慈悲深く、優しく、さらに心に響く行動ができますので、他人にすでに無私無我の境地に達したと感じさせます。しかし、一旦ある面で自分よりよくできて、自分の威信が脅威にさらされる同修に会うと、いつもと全く違って、上記に挙げた異常な状態を露呈します。時にはヒステリーで理性まで失います。周りの人達には、こんなに修煉のよくできた同修でも、ここまで刺激されたと誤解させ、ますますその同修のことを救いようがなく、許せない人だと思わせます。法を正す師父を手伝う活動の中でもっとも役に立っていた同修が隔離され、仲間から外されます。もともと師父の法を正すことを手伝っていた団体は知らないうちに分解され、破壊されました。その代わりに、彼(彼女)は自分をアピールする目的を実現し続けます。意外にもこんなに嫉妬心が強く、自己中心的で、人心を持っていれば、どうして修煉が達成できるでしょうか。彼(彼女)を強く祟拝し、追いかけていた同修達を、どこまで連れて行けるでしょうか。
嫉妬心は他人も己も深く害します! 自分に成果が得られないだけでなく、全体が協調して法を正す師父に手伝うことに対し、魔も遠く及ばないほどのダメージを与えます。これは旧勢力が法を正すことを妨害する行動と同じです。
問題があれば、両方から見る必要があります。嫉妬されたほうも、自分がどうして嫉妬されたのかを反省しなければなりません。ある程度自分を実証したい名誉心や顕示心が隠れていたのかもしれません。たとえそうでないとしても、今後の戒めとしなければなりません。師父の『精進要旨三』の中の「師が法を正すことを手伝うとは何か」、「心より魔が生ずることに注意を」や、師父の論評の『顕示心を取り除かなければ危険が深い』をもっと学ばなければなりません。
実は、この狡猾な嫉妬心は、名を求め、自己を顕示したいと強く思う心から生み出されます。一旦私達が自己を顕示したいという名を求める心を取り去り、みんなと力を合わせて大法を実証することができれば、捨てられないことや、顕示心、嫉妬心などは、すべて大したことではなくなるでしょう。
法を正す師父に手伝う最後の精進の道で、更に人心を少なくし、正念を強め、冷静で穏やかになるよう頑張りましょう。
個人的な現段階の悟りであり、皆さんの交流に参考になれば幸いです。不適当なところがありましたら、大法に則ってご指摘ください。
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/9/21/3356.html)