法輪功を修煉して 胃がん患者が全快(二)
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文/ハルビンの大法弟子 秋実

 【明慧日本2014年11月22日】 (前の文へ)(次の文へ) 

1999年7.20、江沢民派は中国共産党と結托して悪事を働き、全面的に法輪功を迫害し始めました。師父は中国共産党に誹謗中傷され、たくさんの同修が不当に連行され、暴行を受け、怪我、障害を負い、甚だしきに至っては迫害されて死亡した人もいました。その時、私は戸惑いました。それに恐れる心が加わり、修煉を放棄したいと思いました。しかし、心身ともに恩恵を受けたのは確かなことで、実に捨てがたい気持ちでいっぱいでした。妻はずっとこの功法が素晴らしく、決して諦めてはいけないと思っていました。しかし私の影響を受け、同じく、多少意気消沈し、そこで、気持ちを全て仕事に移しました。そこで、私達の学法煉功は疎かになり、停滞した消極的な状態に陥り、大法のために正義の言葉を発することもありませんでした。

 2000年の1月になると、妻は食後に吐き気がして、嘔吐し、目まいの症状が現れました。便も黒く、検査すると潜血だと分かりました。学法と煉功をしっかり行っていないため、心性の向上もなく、病気だと思い込み、恐れる心も出て、3月に急いで病院に行き、診察をしてもらいました。地元の病院の検査では、胃から出血があり、胃に腫瘍ができ、悪性との診断でした。総合病院での更なる診査と手術治療を勧められ、そこで、私達はハルビンに帰り、省腫瘍病院に入院して治療してもらうことにしました。

 突然起きたこのことは、まるで青天の霹靂のようでした。私はかなり気が動転して、とても苦痛でした。悪性というのは癌ではありませんか? 癌が完治する人は何人いるのでしょうか? 妻を亡くしてしまえば、この家はもう終わりではないでしょうか? 2人の子供もその話を聞いて、ずっと泣きっぱなしでした。特に妻が省腫瘍病院に入院するその日、家を出る時、妻が永遠に帰って来ないかのように、親子3人は声をあげて大泣きしました。

 当病院で手術を待つ間、私達2人は頭が少し冷静になり、私は妻に状況が許す限り、『轉法輪』を読み、そして、「いつも心の中に大法がともにあるように」と言いました。

 当病院では、妻の胃の腫瘍は最終的に「悪質繊維組織腫瘍」と診断され、3月30日に手術を受けました。3日後、妻はすべての薬と治療を中止するよう求め、7日目、1本の糸を抜糸し、8日目、妻の要求により、2本目を抜糸して退院しました。妻はすでに人間の力に頼るのはもう限界だと、やはり法を学び、煉功するほかは道がないと気づきました。

 家に戻って4日目、妻は突然高熱を出し、手で触ると異常に熱く、目も真っ赤になりました。その時、私は本当に耐えられなくなり、病院で注射をしてもらおうと妻に勧めました。妻は大丈夫だと言って、断固として行きませんでした。私たちはいつも通りに法を学びました。高熱を出して3日目の朝、熱は急に下がりました。まる36時間高熱が出ていたにもかかわらず、妻の体にはなんの異変もありませんでした。家に帰ってから8日目、妻は近くの小さな病院で術部の糸を2本、抜糸してもらいました。病院で薬を中止してからこの2本の抜糸まで、また、それ以降、回復するまで妻は再び薬を飲んだこともなければ、注射をしたこともありませんでした。妻は学法と煉功の中で、体が回復しました。それと同時に、私たち2人は以前の消極的な態度から一変して、積極的に法を正す修煉の道を歩むことになりました。

 手術をしたその年(2000年)の12月、妻は同修と一緒に北京で法を実証したため、現地の警察に不当に連行され、朝陽区の留置場に入れられ、迫害されました。その後、地元の派出所の警官により連れ戻され、地元の留置場に拘束され、引き続き迫害を受けました。しかし、誰が想像したでしょうか。あの極めて悪い環境の中で、非常に粗末な食事の条件の下で、手術を受け、退院したばかりのガン患者が3カ月近く留置場の迫害に耐え、倒れませんでした。妻が頼っていたのは何でしょうか? それは法を暗唱することと、煉功することだけでした(煉功も条件の許す限りで、動作は限られていました)。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/29/299327.html)
 
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