明慧法会|季節が移り変わっても怠りなく着実に修煉する(一)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年8月12日】私は今年57歳になる女性の大法弟子です。1998年8月10日に大法の修煉を始めました。15年間、師父の慈悲深いご加護と同修の皆さんの応援の下で、ずっと着実に歩んできました。ここでは、中国大陸の大法弟子の法会の場をお借りして、15年来の修煉の経歴と体験を慈悲で偉大なる師父にご報告しますので、同修の皆さん、慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、全身の苦痛が消え、大法の不思議な力を実証した

 大法を学ばなければ、私の体は今日まで生きることはできませんでした。母によれば、私は母のお腹の中にいた時から病気があり、母は私を身ごもった時、せきが止めどなく出たそうです。後になるといつも全身が痛み、熱、めまい、動悸、咽頭炎、気管支炎、花粉アレルギー、子宮の大出血、乳房の痛み、足の痛み、腰痛、頭からつま先までほとんど病んでいました。人は1日に一度服を着ますが、私は1日に何回も着替えなければなりませんでした。というのも、寒かったり、暑かったりして、どうしても不快を感じていたからです。若い時、腰にできものができ、雨となるとすぐ水が出てきました。学法して煉功した後、できものは気付かないうちにきれいになり、二度と水は出ませんでした。乳房にできものができましたが、それもまた、奇跡的に粉々になる夢を見た後、痛くなくなりました。

 さらに不思議だったのは、師父が他の空間で私に二度「手術」をしてくださったのを体験しました。私の直腸にあった業力を抜いて、申し分ない健康な体を私に下さいました。1回目はうとうとする中で、一山の腸を見かけると、その一部分が切り落とされました。私はおかしいと思いました。「これは誰の腸ですか?」 突然、私は理解しました。「えっ、これは私の腸ですか!」 私はこのために苦しみ続けていたのです! 2回目は学法の時、お皿に、果物ナイフと少しの腸があるのを見ました。師父が私の身体を清めてくださったのです。常人の医学理論に基づいて言えば、私は直腸がんだったと知りました。

 大法の中で修煉して、ますます健康になっていった私は、15年来、薬を1錠も飲んだことがなく、病院に1回も行ったことがありません。大法は超常的な科学であり、法輪功の病気治療と健康保持には不思議な効き目がある、ということを私の体の大きな変化が実証しました。

 二、修煉者は内に向けて探し、「真の向上は放棄することである」[1]

 大法は健全な体を私に与えてくださっただけでなく、私の心性も向上させてくださいました。学法当初は、心性がまだ常人の基準にとどまっていたため、問題が起きた時も内に向けて探すことができませんでした。ある日、煉功場に行って師父の説法DVDを聞いて帰宅する時、ある若者が後ろから自転車で来ており、私が横切って行ったので、その若者は身をかわしても間に合わず、自転車が私の足の上に乗りあげました。私はすぐにその若者に言いました。「よく見てください。あなたは目がついていないのですか?」。深く学法をするにつれて、もうこのように問題を扱わなくなりました。親戚の結婚式に参列した時、帰りの路上で、1台のマイクロバスに「ドン」と追突され倒れ込んだので、同行者も驚きましたが、私はすぐに地面から起き上がり、体の土を叩いた後、一言の不平も言わないで、去りました。

 家庭や社会の中で、師父のお言葉通りに行い、着実に修煉する大法弟子になりました。20年前、私の家と義弟一家とその舅姑が1つの家に一緒に住んでいました。それは私と夫がお金を出して買った舅姑の家で、義弟の家族はただで住んでいるだけで、しかも5室の倉庫を建てた時は全部私の家からお金を出しました。舅姑が住む家に倉庫(約60平方ほどの面積)を1間作るとおじいさんは公言したのですが、私の家の所有に帰属し、さらにおじいさんの家屋の登記を夫の名前に変えていました。その後、姑が死亡すると、おじいさんは新しい妻を探して、家を去ったのですが、私の家はすでにここを引き払っていたので、おじいさんは出る時に急いで登記簿を義弟の妻の手に渡しました。

 去年、舅姑の平屋は建物の取り壊しで立ち退かされ、1:1.25の比率に従って建てなおされました。義弟の妻が私に電話をかけ、私の夫の身分証明書を要求してきました。登記簿が夫の名前だったので、身分証明書がないため名義の書き換えができなかったからでした。私は二の句を言わずに、身分証明書を届けに行き、もともと私の家であるべき立ち退いた家へ義弟と義弟の妻一家は順調に引っ越しました。その実、我が家の経済状態は余裕がなく、息子は地方に家を買いましたが、銀行に30万元のローンを借りていました。もし私が大法を学んでいなかったら、師父が説かれた「常人にあるものはわれわれはありがたがらない。われわれのもっているものは、常人がほしくても手には入らないものだ」[2]の教えに沿って時々刻々内に向けて探しました。ここは私と夫の家なので、ただで人に譲ることはせず、個人の利益を放棄して心は動じませんでした。

 今年の前半、私のおじいさんは、後から来た妻によって長女の家へ突然送られました。その妻が言うには、おじいさんは年を取ってしまったので、面倒を見きれなくなったということで、子供たちに迎えに来せたのでした。おじいさんは定年退職した幹部で、家を離れた時は70歳に手が届いていたのですが、妻はまだ50歳過ぎだったので、おじいさんが歳をとって苦しむ事を子供たちは心配し、おじいさんのやり方に反対したのですが、おじいさんは決心して新しくビルを買い、財産全てをまた持って行きました。それは何十万という蓄えでした。この数年後、おじいさんが子供たちに会ったのはお金を貰うためでした。養老費、医療費と薬代、暖房費、新年や祭日と誕生日の祝儀などいろいろ費用が年々必要だという事で、家族がおじいさんを見に行った時、「お金がない」とまだ言っていました。子供たちはまったく腹が立ちましたが、どうにもなりませんでした。10年が経ち、おじいさんは80歳になり、体がだんだん弱くなってきたので、階上から下りるのも極めて難しく、蓄えも全部使い果たしてしまったので、老い先短い年寄りになりました。

 家の兄弟姉妹たちは各々が扶養できない原因を説明しました。夫は心配で眠れず寝返りばかりしていたので、私は夫を慰めました。「おじいさんが帰りたいと思ったら、帰ればいいし、ほかの人が扶養できないなら、私が扶養します! 家を出て10年なんですから、そろそろ帰るでしょう!」。おじいさんはその話を聞いて涙を流しました。普通の人にとって、そんな風にお年寄りを受け入れるのはとても大変なことで、おじさんは驚きました。私は思ったのですが、これは私たち煉功者にとって、別に大それた事ではなく、ただ師父の教えに沿って、「高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[2]を行っただけです。私は命の奥底から悟りました。本当の向上は得ることではなく、捨てることなのです。

 三、たゆまず家族に法を伝え、周りにいる縁のある人を救い済度する

 私が学法し煉功を始めて1年経たないうちに、中国共産党の迫害が始まりました。両親や家族は私が迫害に遭うことを心配し、反対し始め、特に私の父は幹部で、中国共産党の党員だったので、無神論に惑わされ、一生涯亡くなった人のために紙を焼いたことはありませんでした。煉功している私を見て嘆きながら言いました。「ちゃんとした人なのに、どうしてこれを信じたの?」。私の一番下の弟は私を見ると「人の不平を気にせず、自分の損得に構わないのは、私が『煉功して愚かになった』からだ」と言いました。「聴いてもいても聴かざれば 其の心乱れ難し」[3]と師父は説かれたので、誰が何と言おうと、私はいつも相手の言ったことに影響されませんでした。十数年間、1日も欠かすことなく発正念して一家の空間場を清め、中国共産党の邪霊と邪悪、魔、卑しい鬼を解体しました。常に法を伝えて真相をはっきり伝え、大法の超常的な素晴らしさを実証しました。私と親族の同修の努力と継続の下で、現在、家族はほとんど三退し、「法輪大法は素晴らしい」と認め、何人かはすでに修煉を始め、ある人は本を読み始めました。

 特に私の母は、恩恵が大きく、大法の修煉を始めて7年で、80歳に近づいていましたが、再び生理があり、肌は色白でうっすらと赤みがさしていました。母は教養があるので、大法弟子が迫害された文章を『明慧期刊』(定期刊行物)で見た時、「たくさんの人が亡くなったので、安全に注意する必要がある」と私に教えてくれ、大法の事をすることに関して私を支持してくれました。ある時は、さらに隣近所の老人たちに法を伝えました。7年の間に、母親は何度も病業を経験し、最後に80歳の時、息を引き取りました。母の体に、私は心残りがありましたが、また安心もしました。心残りな事は、師父にお会いするために私と一緒に帰国し師父がお帰りになるのを待てば師父にお会いできる、と母親がよく話をしていた事です。それなのに結局待ちきれませんでした。嬉しい事に、母親は晩年は何と言っても修煉を始めたので、80歳になっても若くて美しく、髪の毛もすっかり黒くなり、つまり亡くなる前に難儀はなくなっていたのです。

 自分の身内を救い済度したい時は、正念を発し、常人の表れに動じず、法の中で修煉して出た高尚な品性により、正しく行い、終始たゆまない行動が必要であり、正しい念と正しい行いで身内を感化させ、根気よく行えば、必ず成果が得られることを、家族に法を伝える中で実感しました。同時に、大法は円融しているため、異なる角度、異なる方式で、チャンスを逃さず身内に向けて法輪功の素晴らしさを表し、知らず知らずのうちに導き、無理強いをしないことです。

 (続く)

 注:

  [1]李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』

  [2]李洪志師父の著作:『轉法輪』

  [3]李洪志師父の詩歌:『洪吟』「道中」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/11/9/281998.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2013/11/18/143295.html)
 
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