文/中国大陸の大法弟子
【明慧日本2015年2月13日】(前の文へ)
自らをよく修めることも、無量の衆生を救うことである
私は、1年前ほど前にある同修(女性)と出会いました。彼女は私を見て、私が依然として旧勢力の道を歩いていることに気付きました。つまり三つのことはやっていますが、やはり個人の修煉という角度で法を正すことを認識し、無意識のうちにこの迫害を認めていました。私が内に向けて探してみると、やはりそうでした。同修に対して、慈悲と寛容が不足し、彼らのよくない問題が原因で旧勢力に迫害されたに違いないと思うことは、旧勢力の按配を認めていることになります。また、同修たちの不足はいつも、元からの欠点だと見なしてしまいます。逆に、私達が幾重もの階層を降りてきた時、私達の空間の中に、旧勢力が細工をして、私達を落とすために準備をしていたことを認識できていません。これらの旧勢力の考えにより、私はこの数年間、同修を軽視してしまい、自らを封じ込めて自らを破壊していました。
私は同修と交流している時、内に向けて探してみました。師父は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[6]と説かれました。私はいくつかの執着心に気付きました。私が「これらの執着心を捨てる」と決心した時、師父と1匹の大蛇の取っ組み合いが見え、私と護法神たちはどうすることもできずに師父を見ていました。大蛇が消滅した後、私は師父に手を引かれて、当初、私達が降りてくる前に師父と交わした契約の場面に連れてこられました。その光景は長い間消えず、私が天目で見た最も長い光景でした。それから、師父は私の手を引いて幾重も上へと飛んで行かれました。飛んでいる時、私は人の執着心が瞬時に溶けているのを見ました。私は師父が説法で説かれたことを真に認識しました。宇宙大法が人を精練することは非常に簡単なことです。「「一窯の熔鋼に一つの木屑が落ちたら、瞬間に見えなくなります」 人間はその木屑、宇宙大法は熔鉄のようなものです。」[7] 法を正す過程の中で、どんなよくない物質も大法の威力の前に溶けてしまいます。ですから本当に、自らをずっと個人修煉の状態に留めてはならないのです。自ら自分の執着を取り除くことを安排するのは遅いだけではなく、私たちは自分の執着の多くに気づかないのです。最後、私は数えきれない次元を通り抜け、自分の身体と合体しましたが、実際、私はずっと自分の身体の中で飛んでいたことがわかりました。この時、私も私たちが一層一層と下に行くことをはっきり感じました。宇宙の中間次元は旧勢力によって、良い作用と悪い作用を果たす2つの部分に分けられました。私は困難を乗り越えられなかった同修をとても残念に思います。
また、私は原始の神がずっと私に付いているのが見えました。そこで私は、師父の説法を思い出しました。「長い歴史の中で、生命はますます不純になり、全てが変異しているので、このまま放置すると真善忍の基点まで変異してしまいますが、これは非常に恐ろしいことです。しかし私は宇宙の生命を大切にしており、出来るだけ原始生命を保護し、壊滅されないようにしたいと思っています。私にこの念が生じたから、この世に来ました。(拍手) この世に来た以上、私は最も太初で最も素晴らしく、当初より更に完璧な全てを持ってきたという形式で現れたのです。ご存知のように、法輪は回転していますが、皆さんが見た法輪もただ法輪の表面形式に過ぎません。法輪にある法の側面は皆さんには見えません。法輪は絶えず回転し、自動的に機制を修復し、全てを最も太初で最高の状態まで戻しています。全ての物質、全ての生命は皆このようにミクロ的なところから表面まで回転しており運動しています。私はこの全てを作り出し、回復させ、しかも絶えず圓融させています。」[8]
私が出会ったある同修は、以前に大法弟子の称号に申し訳ない事をしてしまったことがあるので、一部の同修は彼女から離れていました。そんな時に、私は縁あって彼女と出会いました。会う前に私は、彼女と会うべきか、会うべきではないかとずっと考えました。その時、私は彼女の空間場で、原始の神が泣いているのが見え、原始の神の境界以下の神は、私の目前でひざまずいて泣いていました。師父が弟子のことを諦めていらっしゃらないのに、私に諦める理由があるでしょうか? 師父は説法の中で「師父である私は一人の弟子をも見捨てることができず、皆さんに教えますが、責任者として、一人の弟子をも見捨ててはいけません。(拍手) あなたと仲良くしている学習者ならば、一緒にいますが、自分の言うことを聞かなければ排斥してしまうようではいけません。師父である私はこのような責任者は要りません。皆さんが一緒になり協調しあい、絶えず法に基づいて向上することができるようにし、正しい環境を形成すべきです。大法弟子は真相をはっきりと伝え、衆生を救い済度し、迫害を抑制するなど法を実証することが良く行われるようにすべきです。」[9]
私は彼女と10日間付き合い、感無量でした。私達は互いに難関を突破して、彼女のおかげで、私は自分がいつも自分固有の観念に立って問題を見ていることをはっきりと理解できました。師父がおっしゃった通りです。「人類は固有の古い観念により、ある種のやり方、考え方を形作ってしまうと、新たな認識を受け入れることが難しくなります。真理が現われても、それを受け入れる勇気がなく、本能的に排斥したりします。」[3]
私はいつも自分の角度に立って物事を評価していますが、しかし、自分の角度というのは、自分が人類社会で長い間身につけた考えや行為の方法で、このような誤った思想の準則で全てのことを評価するのは、出発点が間違っています。ですから、結論も間違いました。しかし、自分では絶対に正しいと思い、誤りを真理としてしまいました。
師父は私達に法の角度、師父の角度から問題を評価して、大法を基準にして全てを評価するように求めておられます。師父はこのように説法されました。「人が修煉する過程で、身体は外へ拡大することができ、つまり身体の容量が増大し、身体の容量は次第に大きくなり、心も広くなり、思想は昇華し、次元は向上していきます。」[10] 今回の私と同修のご縁は、私たちの器を広め、博大で寛容の心で物事や人に対応させるためだと悟りました。
当時、この同修の修煉状態は以前の私と同じで、清潔が好きではなく、家の中は乱れていて汚く、事をやるときにも筋が通らず責任感がありませんでした。私は彼女を見て、以前自分が歩いた道を思い出し、彼女と一晩長話をしました。私は彼女にこう言いました。「私は、長年修煉してきましたが、内に向けて探すことは本当の宝物で、私の欠点を指摘する一人ひとりに対して、外に押し出すのではなく、内心から感謝しています。ひいては他人の目つきや発生した事に対して、私は全て自分の内に向けて探しています。修煉の道はすきがなく、師父も決して私の修煉と関係がないことを見せる、または遭わせるわけがありません。ですから、夫はよく「妻がよく変化している。いつも新しい顔でいる」と言います。私の友達もよく言いました。「あなたは変わった!! 全く元のあなたではなくなりました」。自分に厳格に要求できるかどうかは私の責任で、大法弟子の責任です。衆生を救うのは私達の責任で、自分をよく修めるのも私達の責任です。師父はおっしゃいました。「自ら大法を護ることは、同様に、永遠に大法弟子の責任です。なぜなら、それは宇宙の衆生のものであって、その中にはあなたも含まれているからです。」[11]「あなたが怠ったり精進しなかったら、その心も私に見えます。そんなことをすれば、あなたが自分に無責任なことをしたと同じです。だから、あなたは自分自身を本当の修煉者として厳粛にこの問題に対処して始めて、速やかに次元が速く高まることができます。」[12]「つまり、修煉は自分に対して責任を持たなければならず、本当に自分を変え、心の奥から執着している良くないものを放下してはじめて、本当の放下になります。」[13]
私達は大法弟子です。私達は心と力を尽くして真相を伝えていますが、しかし私達の修煉状態、私達の立ち居振舞いは世間の人が済度されるかどうかに影響しています。あなたはどうしてこの長年、他人の話が耳に入らないのですか? ですから内に向けて探し、本当に自分を変えること――これは責任です。自分を修めることは計り知れない衆生を救っていることを認識しましょう。逆に、自分をよく修めない場合、人を済度する力は弱くなります。
1カ月後、再び彼女と会うと彼女は変わっていました。清潔で美しく、振る舞いも適切でした。1人の生命が向上した後の喜びは、内面から外へと表れていました。私も狭隘な個人修煉の中から出てきました。旧勢力の私への按排からも出て来ました。他人を助けることは自分を助けることです。今日まで歩んできた大法弟子の一人ひとりは、法の中で徐々に成熟して純粋になり、本人の佛性で周囲の人々を正すことができるでしょう。これは師父がおっしゃった「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」[3]の1つの体現でしょう。
ここまで修煉を続けられたことに、私は感謝の気持ちでいっぱいです! 修煉中に私が出会うべき事(よい事、悪い事に関わらず)を、師父が按排してくださったことに感謝いたします。私が出会うべき人(私を助けてくれたかどうか、よい人か悪い人かに関わらず)との出会いを按排してくださったことに感謝いたします。私が修煉中に出会う難関(うまく乗り越えられたかどうかに関わらず)を按排してくださったことに感謝いたします。師父は私と同修が成熟するまで、心を尽くして何回も按排してくださいました! 再度、慈悲で偉大なる師父に感謝申しあげます!
(完)
注:
[6] 李洪志師父の経文:『各地での説法九』 「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[7] 李洪志師父の著作:『ニュージーランド法会での説法』
[8] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』
[9] 李洪志師父の経文:『各地での説法六』「アジア太平洋地区学習者会議での説法」
[10] 李洪志師父の著作:『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」
[11] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「法定」
[12] 李洪志師父の著作:『シンガポール法会での説法』
[13] 李洪志師父の著作:『米国西部法会での説法』