労働教養所を出た後
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文/ 大陸の大法弟子

 【明慧日本2015年4月3日】中国共産党が法輪大法への迫害を開始してから、私は地元の警官に不当に連行され、二年間の労働教養の迫害を受けました。当時、夫は病気で熱を出しており、家には身の回りの事を自分でできない姑もいました。結局、姑は私が帰るのを待たずに、病死しました。 

 二年後、私は労働教養所を出て、家に帰ってきました。きれいだった家はぼろぼろの倉庫のようになり、布団や衣服は汚く散らかし、部屋はゴミ捨て場のようになりました。どこから片付けたらいいのか迷っていたところ、電話が鳴りました。それは女性から夫にかけて来た電話でした。電話の向こうからの声はエロチックなもので、とても気持ち悪く、夫が不倫をしていると私はすぐに分かりました。

 電話一つだけでは、また確信できないが、しかし、部屋を片付けると、今時の女性の洋服を見つけました。これで、彼が不倫していることを確信しました。その時、私はこの厳しい現実をどうしても受け入れられず、足が震え、胸がドキドキして、この突然の衝撃に愕然としました。私はひたすら泣き、涙をボロボロ流し、彼は酷すぎると思いました。自分は労働教養所で辛い日々を送っているのに、彼は家で女遊びをしていることを思うと、どうしても思い切れず、自分がなんと惨めなものかと思いました。

 夫は私のほうから離婚を言わせようとしました。私はどうすればいいのか、本当に難しかったです。

 最も困難な時、私は「法を学ぼう」と思いました。師尊は法の中で「修煉は、錬磨の中でこそしなければなりません。常人の持っている七情六欲を放棄することができるかどうか、それらに対して淡々としていられるかどうかが問題です。どうしてもそれらのものに執着するのであれば、修煉を成就することはできません。すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」[1]と説かれました。

 師尊の法は一つ一つ私の心に打ち込まれ、私は法によって目が覚め、情から歩み出し、法の中で正されました。私は考えました。今、起きているすべてのことは旧勢力の按配によるものです。法を正す時期の大法弟子である私は、正念を持って物事を見なければならず、旧勢力の按配を徹底的に否定しなければなりません。私は慈悲の心で夫に対応し、彼と離婚をしないことに決めました。なせなら、離婚することは彼を破滅させる旧勢力が按配した道です。私は師尊が按排された道しか歩みません。

 この時、私は考え方を変えることによって、夫のこの数年来の苦労が見えてきました。私が労働教養の迫害を受けた頃、彼は毎日の仕事をする以外に、身の回りの事を何も出来ない母親の介護をしなければならないし、子供も自立してそばにおらず、彼は1人で精神的なプレッシャーの中、時々労働教養所に私を見舞いに来なければなりませんでした。共産党の迫害によって、彼は確かに大変苦しい思いをしていたと思うようになりました。

 心の中に法があると、あの怨恨の心、不平不満の心は善の思いの中で消えてなくなりました。黒い雲に覆われていた私の心は、急に晴れ晴れとして、師尊が詩の中で説かれた、「俗、聖一渓の間、進む、退くにより二重の天 林中の寺に入らんとすれば 一歩して雲煙に上がる」 [2]のような境地になりました。 

 それから、私達夫婦は日に日に打ち解けて、夫もその女性とは関係を断ち切り、私の大法修煉を支持してくれるようになりました。もう少しで破綻しそうだった家庭が、法によって正されました。

 数年後のある日、私は突然以前、夫と不倫をした女性に出会いました。その時、私の心の中で、彼女を救いたいという一念が生じました。そこで、私は進んで彼女に挨拶をし、真相を伝え三退を勧めました。彼女はすべて受け入れてくれて、三退をしました。師尊の広大な慈悲の下で、彼女は救われました。

 その後、私は、彼女に全く怨む気持ちがなく、まったく何事も起きていないかのように、完全に彼女のために考えているこの気持ちがいったいどこから来たのか、と思いました。私は、「それは法から生まれた境地で、それは偉大な佛法『真、善、忍』の現れで、それは大法が育て上げた法の粒子にしかない精神状態である」と深く体得しました。

 師尊に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「一念」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/3/21/306517.html)
 
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