しっかり修煉してからの妻の変化
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年8月31日】1996年から、私は大法を修煉しはじめ、心身とも恩恵を受けました。その法輪功の素晴らしさを妻に伝え、ともに修煉しようと勧めました。妻は『轉法輪』を一度読んで、大法の素晴らしさを少し理解したのですが、小さいときから受けた無神論教育の影響で、全面的に修煉のことを信じることができませんでした。それでも、私が煉功へ煉功と学法しに行くときには、妻を呼ぶと、時々、妻も一緒に煉功場に行ってくれました。99年「4.25」の日、私も北京の中南海へ陳情しに行こうと思いましたが、妻は私の事が心配で私一人だけで北京へ行くことを許さず、彼女は私と一緒に行くことにしました。しかし、その時、妻は本当に修煉していたのではありませんでした。

 本来、私は妻を助け向上させ、共に精進するべきでしたが、その頃は妻の修煉状態も自分の修煉の一部だと認識できず、彼女が修煉したり、修煉しなかったりしている状態を黙認していました。それから私は法を実証する事で忙しくなり、彼女のこの状態も気にしなくなってしまいました。結局、妻は邪悪に隙を乗じられ、留置場に連行されてしまいました。しかし大法と同修たちの助けにより、留置場から出ることができました。

 2012年に、妻は再び迫害に遭い、何度も悪人たちの嫌がらせを受けました。そして、あまりの圧力と恐怖心で、妻は大法を迫害する側へ行ってしまいました。それから、妻は怒りっぽくなり、毎日叫んだり、私を叩いたりするようになりました。そして自分だけが修煉しなくなっただけではなく、私の修煉も反対しはじめました。それでも動じない私を見ると、妻は余計に怒って、高価なものばかりを手にして投げ壊しました。私の煉功用のmp3プレーヤーを壊し、また大法の本を隠したのです。更に夜になると私を寝かせようとせず、よく涙をこぼしていました。

 それから妻は仏教の本を買ったり、イスラム教の教えを読んだり、週末教会へ礼拝しに行ったり、キリスト教の聖書も読むようになりました。その頃の家の中は、それらの宗教の本で溢れていました。私は、妻が大法の書籍と師父の写真を壊すのを恐れ、それによって大きな業を作ってほしくないので、真に人を済度できる大法の書籍と師父の写真を、彼女の目に触れるところに出すことができませんでした。

 しかし師父は「私たちは旧勢力の存在と按配を認めていませんが、なんといっても旧勢力はこれらのことを仕出かしました。皆さんこそ歴史のこの時期の主役であり、今邪悪も正しい神も、すべて皆さんのために存在しています」[1]と説かれていました。私はこの法を見て目が覚め、正念が増えました。そして自分が大法弟子として、自分の家で主役を務めることができず、邪悪に負けてしまったことを認識しました。

 それから私は正々堂々と大法の書籍を、部屋の一番目立つところに並べ、厳粛に妻に「君が読んでいる、あれらの現代人が書いた宗教の本の背後にはよくない要素が憑いている。その本を書く人も君と同じ、ただの人間だ。考えてみてくれ。どうして彼らの話が君を成佛させることができるのか? あれらの古い宗教の本にしても、皆、現代人が翻訳したものだ。君は昨日何を言ったのかすら覚えていないのに、文字もない大昔なら、聖者たちの話をそのまま残すなんて尚更不可能なことだ。聖者たちの伝えた元の話でなければ人を済度する作用もない。覚者たちに関する物語を読めば、君は円満成就できるとでも思っているのかい? この宇宙の根本的な法はすでに、君の手に入っているのに、なぜまだ迷うんだ? 君のためを思って言うけど、改めて大法を修煉してみないか? そして、これからこのような本を家に持ってこないでくれ」と言いました。

 私は妻が持ち帰った各種の宗教の本を全部燃やしました。私は燃やす過程が他の空間において正と邪の戦いであると感じました。師父は妻の空間場の邪悪の多くを消滅してくださいました。それで妻の表面も静かになりました。家庭環境も大分穏やかになり、大法の書籍と師父の写真も表に並べることができるようになりました。

 しかし、その後も妻はまたこっそりと一冊の聖書を買ってきて、大法を修煉しませんでした。これでやっと彼女がすでに大法から遠く離れたことを意識しました。妻は真にキリスト教を学びたいのではなく、それは迫害から逃げたいためだったのです。

  私は妻の修煉状態は自分の修煉と深くかかわっていると悟りました。それは、妻が邪悪に操られた間、私に「あなたは自分だけよく修煉すれば元に戻れるとでも思っているでしょうか? 私は今こうなっています。あなたも帰れるわけがありません」と叫んでいたのを聞いたのがきっかけでした。私はこの事を思い出し、突然邪悪が私の執着の隙に乗じて、迫害を加え、妻を大法の反対側に走らせ、大法から離れさせることで、私までも台無しにしようとしていることが認識できました。なんと邪なのでしょう。私は決して邪悪にその陰謀を達させません。

 私は内に向けて探し、一体自分のどこが邪悪に乗じられていたのかを探しました。すると妻は今生で大法を拝聴することができたのは、きっと前世で師父と、そして大法と聖縁を結んだからだと思いました。生々世々の輪廻の中、私たちは皆自分を済度できる大法を探してきたのではないでしょうか? 妻の分かる一面、また彼女の世界の衆生も、きっと再び大法の修煉に戻ってくるように望んでいるはずです。私たちは、この世に降りて来る前に、大法がこの世で広まり始めたら、もしこの世で迷っている者がいたら、目覚めさせるよう、互いに頼みあったのではないでしょうか。

 自分はそう考えることができず、外見で妻を判断してしまい、彼女には仏性がないのではないかと思いました。また、妻の修煉状態を見て、また人間の観念で考え、しっかり修煉していないのは、彼女が法がこの世を正す時期の大法弟子かもしれないと思い、彼女がしっかり行なうことを諦めていました。しかし、この時期の大法弟子であるかどうかは師父が決められたことです。師父の弟子としての私が為すべきことは、師父を手伝い、師父の求めていることを成し遂げる事にほかにならないと、私は分かるようになりました。師父は「人世に生まれたのは法を待つためであり 虚言に帰路を塞がれてはならない」[2]と説かれました。彼女と一番縁が深い夫として、彼女の表面の現れはどうであれ、私は妻の一挙一動に動じるわけにはいけません。彼女の真の自我を目覚めさせ、彼女の正念を起こし、彼女と共に精進し修煉の道を歩んで行くべきです。

 私は真心で妻が再び大法の修煉に戻ってくるよう望み、強い正念を発して、彼女を妨害し修煉させないすべての邪悪の要素を解体するようにしました。同時に妻に言われたことに対して、内に向けて探すようにしました。例えば、妻は私が「謙虚ではない」と言っていたので、私は自分に独りよがりな心と自分を実証する心があることを見つけました。また「安全に注意しない」と言われたことに対し、私は自分の口を修めるように努め、携帯を使うときも注意しました。外へ行かないように止められた時も、私は自分に事を為す心がないかを探しました・・・。しっかりと自分を修めてから、妻は「私、あなたが変化したのがわかるわ」と言いました。

 それから、毎日違う同修が家に来て、妻と交流し、妻の心のわだかまりを解きほぐすように助けてくれました。最初妻は同修たちが来るのをいやがりましたが、だんだんと自分の本当の考えを同修に打ち明けるようになり、そして、ある同修が家に泊まることに受け入れ、その同修と毎日学法しました。

 師父の最近の説法を読んで、妻はすべての疑問が解け、徹底的に目を覚まし、さまよう状態から抜け出しました。再度大法を修煉してから、妻は「あなたはどこからこんなに多くの同修を呼んできたの?」と聞きました。私は涙を湛え「これらの同修たちは私が呼んできたのではない、慈悲なる師父があなたを見捨ててたくないから、按配してくださったのだ!」と言いました。

 以前、私は他の同修の家で学法しているグループに参加していました。今、妻も自分の学法グループを見つけました。集団学法以外の時間は、私は妻と二人で学法しています。そして、以前、私は親族に真相を伝える時、妻に妨害されないよう彼女を避けていましたが、今はいつも妻を呼んでいき、彼女にも真相を伝えるように励ましています。

 心身とも変化した妻は心から大法の素晴らしさを伝え、彼女の多くの親戚も修煉し始めました。また今年に入ってから、妻も真相を伝えるために携帯が欲しいと言いました。彼女も師父のご要求に従い、三つのこともよく行い、師父と本当の家に帰ろうとしています。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨三』「正しい道を歩む」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「甘露を散らす」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/8/13/313994.html)
 
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