苦の中にも幸せは無限大に
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文/天津の大法弟子 含笑

 【明慧日本2015年9月1日】私は1998年の末に修煉を始めました。1999年の「7.20」以降、共産党による法輪功への迫害と夫の反対により、密かに煉功をしました。当時は、リューマチ等の病気を患っていたため、煉功して病を取り除くことだけが目的でした。しかし「真・善・忍」の三文字がとてもよいと感じていたため、なかなかやめられませんでした。修煉の事に関しては、小学生並みの知識しかありませんでした。後になって煉るだけでなく修めることも大事であると知り、だんだんと成熟してきました。

 私は田舎で生活しています。家には小さな庭があって七つの部屋があります。夫は次女が生まれてすぐに不機嫌になりました。あちこちで喧嘩を売っては罵り始めて離婚する理由を作ってきました。何度も他人に説得されたので離婚しませんでした。

 2008年に初めて師父の説法を聞き「修煉」の二文字が頭の中に打ち込まれました。「師父、私も修煉します」という一念がおきました。同修が師父の『精進要旨』をくれました。私は宝物を手に入れたかのようにすぐに勉強し始めました。

 師父は「真に修める弟子よ、わたしがあなたに教えたものは佛を修め、道を修めるための法なのです。皆さんは常人の中の利益が損なわれたことによって、わたしに苦を訴えており、自らの常人の中での執着心を放下できないことに苦悩しているのではありません。これが修煉なのでしょうか? 常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えることに向かっていくための至難の関なのです。真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」【注1】と説かれました。

 私は法を勉強しながら涙を流しました。師父の言葉の一つ一つが私の心を震わせ、「師父の弟子になる」と心に決めました。そしてすぐにこの「真修」の経文を暗記しました。その他の大法の本も取りそろえて真剣に読みました。私が発正念をするとき夫は怒り出して私を殴り、家族も反対しました。しかし決して諦めようとしない私を見て夫は「これ以上続けるようなら離婚するぞ」と脅してきました。「私は離婚したくない。でも自分がしっかりしていないことで大法に悪い影響を及ぼしてはいけない。あなたが相変わらず私を妨害するようなら離婚しても一向に構わない。私は大法を選びます」と言い返しました。「お前には部屋や土地をやるつもりも、生活費をやるつもりもない」といった夫に「構いません。ここをはなれることはできないわ。学法し煉功するスペースさえあれば十分です」と伝えました。

 結局、夫は私に二つの部屋しかくれず、元々私の物であるはずの木もくれませんでした。村の人々も「彼はひどすぎるよ」と言いました。当時の私に師父の詩の「人生短し、来て宿に泊まる」が頭に浮かび上がりました。「私は宿屋に泊まりに来ただけです。私は修煉を選んだので幸運です。ですからその他の財物などは二の次で、重要ではありません」と師父に伝えました。

 離婚後は、慰謝料もありませんでした。本来なら次女は夫側が引き取ると判決されましたが、私についてくると言うので、私が育てることになりました。数日間は白マント―とザーサイを食べただけで、次の食事にも困るほどの困難な生活をしました。しかし大法弟子として自分で何とかしなければなりません。これも法を実証する過程の一つです。そこで私は二足の子供用の靴を編み、街で売って6元を儲けました。そのお金で子供にほうれん草を買いました。それから刺繍もして全部で82元入りました。この時、同修から「子供靴や頭巾、日用品、ランドセルなどを仕入れて市場で小さな商売でも始めれば」というアドバイスを受けて、すぐに始めました。1日ですべてが売り切れ、120元稼ぎました。市場に行った最初の日、そばに同修がいてくれました。

 同修は「師父は我々に三つのことをしっかりやるように要求されました。市場には往復する人が多く、衆生を救うよい環境です」と教えてくれました。それから、私は姉と長女(既婚)からそれぞれ200元を借り小さな商売をしながら、同修たちにならって真相を伝えていきました。毎回10人余りの人を脱退させることができました。貯金が100元ほどになったとき、私はすぐにこのお金を資料拠点の同修に渡そうとしました。最初は拒否していた同修でしたが、「大法弟子として、これくらいのことはさせてください」と泣き出した私を見た同修は受け取ってくれました。

 雪が降る真冬には、太陽の光が当たらない西向きの部屋で私たち親子はたった50元の石炭を買ってこの冬をやり過ごそうとしました。ある日次女を連れて市場から帰ってきた時、家には電気もガスもなく、「お母さん、のどが乾いた」といった娘に「饅頭ときゅうりを買ったよ。塩漬けきゅうりを作ってあげるね」と伝えました。私は心の中で師父にこう言いました。「師父、私は少しも苦とは思っていません」。そして振り返ってみると、やかんから湯気が上がり、湯が沸いていたのです。電気が来たと思い、娘がすぐにテレビをつけましたが、やはり電気は通っていませんでした。ここでようやく気がつきました。私の固い修煉の心を見られた師父が助けてくださったのです。瞬時に目から涙があふれ出しました。これは幸せの涙であり、感謝の涙でした。

 市場は4日間休みになるので、別の地域に行くべきだと同修がアドバイスしてくれました。私は別の市場に行きました。しかし、その市場は家から160キロほど離れていました。電動車では途中で電力がなくなってしまうことを心配して、自転車で向かうことにしました。道中で道を尋ねながら真相DVDを配りました。全部で4人に会いましたが、3人を脱退させました。

 市場につくと、そこで私を待っていた同修がDVDを何十枚もくれたのでそれを配ることにしました。ある青年に配ったとき、その青年は「僕が何者かわかりますか」と聞かれたので「あなたが何者かわかりませんし、知りたくもありません。この神韻のDVDを見れば、誰にも福報が訪れます」と答えました。すると彼は「私はあなたたちのような人を取り締まる役目を負っています。しかし今日は何もしません」とだけ告げると、そのまま行ってしまいました。自分の執着心を取り除けば、師父は助けてくださると悟りました。

 そして半日の間にすべてのDVDを配ることができて、とても喜びました。帰宅途中で雨が降ってきましたが、真っ先に頭に浮かんだのは、師父の説法を聞くためのMP3を濡らしてはいけないという念でした。すると自分の周りは少しも濡れておらず、道端は水浸しになっていたのです。大法と師父がいてくださるので、私は一番の幸せ者です。なぜなら師父が常に私を見てくださっているのです。

 ある日、仕事が終わると、授業を終えた子供がまだ何も食べていないことを思いだして少し焦りました。それでも、私は右側通行を守って自転車を漕いでいました。そのとき、ある中学生の男の子がバイクに乗って、猛スピードで私に向かって突進してきました。私はそのバイクに轢かれてしまい、左のふとももが三寸ほど切り裂かれ、骨まで見えていました。私は「法輪大法は素晴らしい」と心の中で唱え、大丈夫だと思いました。しかし、その中学生はおどろきのあまりその場に立ち尽くしていました。私はすぐに「怖がらなくて大丈夫だよ。私は法輪大法を修煉しているから、ゆすったりしません。ところで君は脱退したの」と聞きました。「ほかの人がしてくれました」と答えてくれたので、「それなら、法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしいと覚えておいてね」と伝えました。「ありがとうございます。この言葉をしっかり覚えます」と男の子は言いました。

 家に帰り足を見るとすでにズボンに血や肉が張り付いていました。足が紫色に変色し、両手がしびれ、傷口は饅頭のように腫れ上がっていましたが、痛みはまったくありませんでした。「こんなにひどくなっている。やっぱりあの男の子に責任を取ってもらわないと」と言い出した娘に、「大丈夫よ、今お母さんは試練を受けているのよ。それに、あの子も故意にやったんじゃない」と、引き止めました。午後に勉強した師父の『二〇〇三年元宵節での説法』には、「あなたは歴史のいつかそれに借りがあったかもしれませんので、これで返すことになります。しかし、あなたは修煉の人であり、あなたが心を放下することができれば、師父は必ずあなたの面倒を見ます」【注3と書かれていました。】ここを読んで、私はこの事故の因果を理解することができました。このことを通じて借りを返したのです。

 以上のことを通じて、私に不足している要素が見つかりました。まずは急ぐ気持ちが邪悪にすきを与えてしまいました。最近学法の時間も少なく、あまり勉強できていませんでした。これは最も重要な原因だと思います。それから完全に師を信じ大法を信じることができていないということです。第一に師父を思い出すことができていれば、このような結果にはならなかったはずです。そして自分にはまだ情が残っていました。自分の足りないところを見つけ出し、それらを正していきたいと思っています。師父のご加護の下、足の怪我は3日に3分の1ずつ治っていき、傷口に張り付いていたズボンも7日後はがれていきました。

 今までの修煉の中で、奇跡的な出来事がたくさんありました。そのほとんどが願いが叶えられたことでした。500元の貯金がたまったとき、プリンターを買って資料を作ろうと思いましたが、同修が私にプリンターをくれました。真相紙幣を印刷しようとしたところ、すぐに同修がやり方を教えに来てくれたのです。教育のレベルは低いのですが、パソコンでネットに上がったり、資料を印刷したり、DVDを作ったりなど、同修がやり方を見せてくれただけでできるようになりました。

 今では、時間をフルに使っています。朝3時頃に起床して4時に煉功をします。世界中の大法弟子たちと共に5式を煉功します。そして学法してから市場に向かいます。法を勉強したことで自信がわき、脱退を勧めることも順調に進んでいます。私の家は学法拠点でもあるため家をなくした同修にも手を差しのべて、資料の提供に応えています。喜ばしいことに家の果樹に沙羅双樹の花が咲いたのです。

 10年にもわたる修煉の道のりで、奇跡的な出来事は後を絶ちません。苦の中にも喜びはたくさんあり、師父と共に円満成就したいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「真修」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「痴」
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/7/308425.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/6/14/151069.html)
 
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