誰が大法弟子ですか?大法弟子の合格する基準は何ですか?
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2015年10月23日】

 師父が按配してくださった道を歩むのか?それとも旧勢力が按配した道を歩むのか?

 2006年、私は労働教養所に監禁されている間、あるはっきりとした夢を見ました。巨大な洞窟の中に、数体の佛像が一番高い場所に並んでおられるのが見えました。中央の佛像は師父でした。洞窟の底を見ると、沢山の大法弟子が上を目指して登っているのが見え、その中に私もいました。そして、みんな洞窟の途中にある山の山腹に辿りついた時に、師父の佛像は体を傾けて下の大法弟子を見下ろし、「誰が大法弟子ですか?」と尋ねられました。大法弟子たちは誰もが手を挙げて、大きな声で「私です!私です!私です!」と答えました。叫んでいる大法弟子たちを見て、私は「いけない!今まだ身分を知らせてはいけない、私はまだまだやり残した多くの事をやらなければならない」と思いました。その場から立ち去ろうと思い、後ろを振り返ると袋小路でした。どこへも行けず、仕方がなく再び前方の光景に目を向けました。この時、師父の佛像が立ち上がられ、行き来しながら、何かをおっしゃっていました。何をおっしゃっているのかが具体的に、はっきりと分からないのですが、真相のことをおっしゃっているようでした。そして、師父は私を見つめながらおっしゃいました。最初は気づきませんでしたが、気づいた時、「師父は私のことを知っていらっしゃるんだ」と思った瞬間に、夢の中の私は、師父が何をおっしゃっているのか分かり、大声で泣き始めました。私は何かを失ったあとの後悔しているような深い悲しみを感じました。

 そして、洞窟が消えて大空と雲が現れ、そこで私は目が覚めました。

 当時、ちょうど私と一緒に監禁された同修たちが、釈放を求めるため、絶食しているところでした。しかし、人心を放下できていない私は、絶食に参加しませんでした。

 その後、労働教養所から釈放され、家に帰ってきた後、自分が迫害された原因を探してみました。ほかでもなく、法に対しての認識も足らず、自分に恐れる心があったからこそ、旧勢力に隙に乗じられ、迫害されたのだと分かりました。

 「旧勢力はすべての大法弟子に対してそれらのものを按配しました。もし大法弟子が師父の要求に従って行なっていなければ、きっと旧勢力の按配に従って行なってしまったことになります。」[1]大法弟子はテレビドラマを演じているのを例えにすると、監督が2人います。一人は師父で、もう一人は旧勢力です。師父のご指示に従って演じていなければ、つまりそれは、旧勢力の指示通りに演じていることになります。

師父と大法を固く信じる

 この残酷な迫害は、旧勢力が監督している「ドラマ」であると知っていても、私はやはり恐れる心を長い間、取り除くことができませんでした。2013、14年になってから、正々堂々と真相を伝えることができるようになり、さらに江沢民政治集団の多くの人達が権力を失い、処罰され、それを見て、恐れていた心が、大分小さくなりました。

 私は、小さいときから学んできた科学が形成した思惟が、法への理解をひどく妨げていることに気づき放下しようとしました。しかし、放下したくない自分もいました。そして、科学を通して大法の素晴らしさも証明できるのではないかと、試してやってみたところ、 大法の素晴らしさを感じることができました。感じることによって、私は本当に大法を固く信じるようになりました。

 法を固く信じてから、恐れる心も完全に無くなりました。私は「黒雲」はいつまでも太陽を覆い隠すことができない、と認識しました。たとえ旧勢力が大法弟子の人心を取り除くため、「黒雲」を按配したにしても、人心を無くせれば、旧勢力が迫害する口実も失い、次第に「黒雲」も消えます。

 その後、私は中国共産党が定めた14種類の邪教の中に、法輪功が入っていないことを知りました。これはつまり、江沢民集団は一方的に法輪功を邪教とし、この迫害を加えたことを正当化したなら、それこそ間違いで、違法だということです!

「誰が大法弟子ですか?」

 今年の5月から、大陸をはじめ、世界各地の法輪功学習者が江沢民を告訴し始め、現在告訴する人数がすでに18万人になりました。しかし、18万人という数字は、1億人の大法弟子と比べると、ほんのわずかに過ぎません。迫害を受けた大法弟子だけでも、この人数をはるかに上回っているはずです。この人数からして、やはり多くの大法弟子は、恐れる心に妨げられているのが分かります。この状況で、私は非常に焦りました!再び師父は「誰が大法弟子ですか?」とお尋ねになる場面を、また、思い出しました。

 法を正す進展には段階があります。北京へ陳情に行き、真相を伝え、『共産党についての九つの論評』を広め、江沢民を告訴するなどなど、すべて師父が私たちに要求されたことです。言い換えれば、師父が要求されたことは、つまり私たちに、「誰が大法弟子ですか?」と尋ねられているのと同じです。師父の要求に応じて誰が積極的に、「私です!私です!」と答えられるのでしょうか? それとも、要求に応じることができず、以前の私のように個人の考えで動かそうとして、かえって行く道もないような結果になる人になるのでしょうか?

 師父が要求されているのは、私たちの大法を固く堅持する心と向上心です。師父の要求通りに行うことができるかどうかは、つまり、あなたは真の大法弟子であるかどうか、あなたは真の大法弟子として合格できるかどうか基準になるのかもしれません。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨(三)』「考えをはっきりせよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/10/8/317128.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/10/15/153234.html)
 
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