文/中国の大法弟子
【明慧日本2015年11月27日】私はずっと同修たちと一緒に、農村へ真相を伝えに行っていました。しかし私はあるトラブルにぶつかり、内に向けて探すことができず、人心の影響で、暫くの間農村へ行きませんでした。しかし、このまま意気消沈していてはいけないと認識しました。ある日の夜、同修と真相のカレンダーを作って、翌日配りに行くことを決めました。夜10時半頃になって、突然1人の別の同修がやって来て「外地の同修が真相カレンダーを欲しがっている。しかも急いでいる」と言いました。そこで私は自分たちが用意したカレンダーを、その同修に渡しました。
この事で農村へ行けなくなったら、必ず同修から非難されると思い、翌朝早く起きてカレンダーをたくさん作りました。同修は私のところに来てからこの事を知り、やはり私を責めました。きつい言葉で、法に基づいていないと言いました。私は「同修を助けたことは、間違っていないのに」と思いました。しかも再印刷したので、数も十分足りていました。文句を言われることはないはずなのに、同修はどうしても私を許すことができず、責め続けました。私がいくら説明しても、同修は聞いてくれず、納得しませんでした。
突然師父の法の「強辯に遇えば争論す勿れ 内に向けて因を求むは修煉 釈明しようとすればするほど心重し 坦懐にて執着無ければ知見出づ」[1]が頭に浮かんできました。私は直ちに自分が説明した背後に、論争しようとする要素があることに気づきました。そしてこの出来ごとの是非から離れて、この過程で現れた自分の人心を探しました。私は真相カレンダーを同修にあげた時、以前似たような事があって、やはり同修に責められたことを思い出しました。少し気になりましたが「法に基づいて行わなければならない。同修のことを気にしなくてもいい」と思いました。しかし、私の人心に闘争心が潜んでいました。もう一つの心も見つかりました。即ち自分がやっていることは、すべて法に基づいていると思うことです。いつも自分は正しくて、他人は法に基づいていないと思っていました。自分がいくら師父の説法を用いて説明しても、目的は他でもなく、自分が正しいことを証明したいのに過ぎませんでした。この独りよがりな自我が見つかった後「法に基づいているとは何か」について多少分かりました。表面から見てこの事が、師父が話されたことに合っているかどうかを見るのではなく、私たちの心がどう動いたかを見るべきです。ほんのわずかな考えでも、全てが法に合っていなければなりません。
同時に師父のもう一つの説法、「以前に一部の偽気功師が、一日と、十五日には殺生してもいいと言いました。二本足のものなら殺してもいい、と言った者もいます。あたかも二本足のものは生命のあるものではないかのようです。一日、十五日の殺生は殺生ではないとすると、それはただ土を掘るようなものだとでも言うのですか?」[2]も思い出しました。自分の中に深く隠された変異したものを、見つけることができました。つまり、私はいつも人間の観念で物事を測って、師父のおっしゃる通りに行っていなかったことです。例えば、批判を受けた時、私は静かに同修の話を聞いて、自分の不足を探すのではなく、いつも自分の人心と観念で測っていました。すでに変異した基準を形成していました。これらの基準で自分の不足を隠し、知らず知らずのうちに法の基準から逸脱していました。
ここまで書いて、私は「旧宇宙がなぜ壊滅に向かったのか?」が分かったような気がしました。つまり知らず知らずのうちに、生命は自分の認識を基準と見なし、徐々に真の法の基準から離れてしまうということでした。最終的に完全に法に背き壊滅に向かいました。特に旧勢力は師父の按配の80%を変えました。法を正す中に彼らの按配と基準を加えました。彼らの変異した基準で、師父が法を正されることと大法弟子を測りました。
私の変異した基準は、旧勢力と何の区別があるのでしょうか? この基準に従って歩んで行くと、どこに向かうのでしょうか? 多くの同修にも、私と同じ問題が存在しているのかもしれません。大法の中で純粋に自分たちを修め、真に大法の基準に同化できるよう、これらの問題を重視していきましょう。
以上、現段階での認識ですが、不足があれば、ご指摘をお願いします!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「辯少なしに」
[2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』