文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年3月18日】ある日の朝、私ははっきりとした夢を見ました。
若い女性教師が教室に入った時にベルが鳴り、「試験を開始します」と宣言しました。参考書を見ながら解答することが許されているので、しばらく問題を解いた後、私は解答用紙を持って同僚の所に行き雑談を始めました。私達はベランダに出て、興味津々に常人の話題に花を咲かせました。その後私は様々な不満不平を訴え、解答用紙の金色の字が小さすぎて全く見えないと愚痴をこぼしました。同僚は「なぜ早く準備しなかったのですか? 私は昨日から問題の解答に着手し、先ほど問題を全部解きましたよ」と言いました。私は「それなら、あなたの答案を見せて下さい」と言いました。ちょうどその時、私は女性教師が答案用紙を持ってビルの前の小道を歩いているのを見ました。私はベランダ越しに、「先生! 先生!」と一生懸命に叫びましたが、先生は振り返ることなくどんどん遠くへ行ってしまいました。手元の解答用紙を見てみると、私はほんの数文字しか書いていませんでした。
夢から覚めて、私がもっともはっきりと覚えているのは、「何故早く準備をしなかったのですか?」の同僚の言葉でした。
普段、私は常に「この瞬間は千金、万金に値します」[1] という師父の説法をもって自分を戒め、時間があれば学法に心掛け、毎日の発正念を堅持しました。真相を伝えることは多くしなかったものの、きちんと誠実に実行しました。テレビは食事の時にニュースを見るだけにしており、パソコンはネットショッピングの時だけ使い、友人と偶然会えば挨拶だけで済ませました。
今まで、自分の修煉状態は悪くないと思っていました。しかし、このはっきりした夢を通じて、最後の試験を重視せず、常人の是非に執着し、時間を大切にせず、修煉の道のりにある関に対し不平不満を抱いている自分が見えました。
深刻に反省し、徹底的に内に向けて探しているうちに、自分が精進していなかったことに気づきました。パソコンを使う時、常人のサイトを数時間だらだらと見てしまったり、常人に愚痴をこぼしたり、他人の非に言及して30分も言い出してしまったり、睡眠を貪って煉功を怠ったりして、真相伝えのチャンスを多く逃していました。
今気づいたのですが、日常生活の日々の着実な修煉は全て答案用紙を書いていることなのです。試験前に準備せず、試験中に他の事に気が散ってしまい、試験が終わっても答案用紙を提出しなければ、どうやって試験に合格できるでしょうか? 良い成績を取ることはなおさら不可能です。その女性教師の背中がいまだに記憶に残っていて、思い出すたびに後悔を覚えました。本当に修煉の終わりの日が来れば、誰かのために時間が延ばされたり、誰かのために答案用紙の提出を待ってくれることはありません。
目が覚めた後、「時は金なり」という言葉を思い出しました。正法時期の今にぴったりの言葉だと思いました。今の時間は金銭で買うことができません。毎日、毎時を大切にしなければ、法を正す師に手伝い、衆生を救い、円満成就するチャンスは二度と訪れません。
慈悲なる師父と、佛光を普く照らす佛法は衆生の全てに平等であり、誰も差別しません。修煉の厳粛さと、厳しい試験で生命を量る基準は同じです。時間は無情で、歴史はどの修煉者にも次のチャンスを与えません。
同修の皆さん、毎日の修煉という試験の中で私たちは何をして、何を考え、何を言っているかを一緒に考えてみたいです。それは私たちが日々求められているものです。どうか、夢の中の私のように、試験の最中に常人の是非に夢中にならないで下さい。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地法会での説法七』「シカゴ市法会での説法」