顕示心を修める
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年3月31日】数年前、ある同修から「あなたが言っていることは皆正しいし、アイディアもとてもいいのですが、力を帯びていないようで、心に響きません」と言われました。

 家に帰って、「仕事がうまく運ぶように、この方法を考え出して、効果もとてもよかったので提案したが、とくに不純な考えもなかったのに、なぜ力がないのか?」を考え、探してみましたが、何も見つかりませんでした。

 そして、翌朝『轉法輪』第二講の「一部の人は自分の名声を保つために、治療する時にどんなことを考えると思いますか? 治すためなら、代わりに自分がその病気をもらってもよい、と。それは慈悲心から出るものではありません。その人は名利心を全然捨てていないので、慈悲心が現われるはずがありません」[1]を暗記すると、頭の中が振動して、心がぱっと明るくなり、執着心が見つかりました。同修たちが法を実証する仕事がうまく行くように、親切に自分の経験を紹介したつもりでしたが、よく考えてみれば、内心では少し得意になっていました。この得意になった気分はすなわち顕示心にほかなりません。目的は同修たちのためではなく、名利心を帯びており、自分を顕示しようとしていました。

 顕示心を取り除くために、話す前に、まず自分がどんな心理状態で話したいのか考えるようにしました。もし自分を顕示したい、或いは自分を表したいのであれば、それに左右されないように、顕示しようとする心を抑えることにしました。しかし、物質は完全に取り除かれるまで、やはり現れてくるものです。時に弱く、時に強く、繰り返します。時に自分の心理状態を見忘れると、相変わらず得意になって、ベラベラしゃべってしまうのです。そのため、同修の反感と怒りを買って軽視され、2日間も意気消沈し、自分の修煉がやはりしっかりしていないと分かりました。

 修煉は自分の思想と行動を制御することにほかなりません。それから少しずつ自分を修めることによって、徐々に口を開く前に、自分が何の目的で、どんな気持ちで話したいのかをすぐに意識できるようになりました。目的が私のため、或いはマイナスの考えを持っていれば、良くない物質を同修たちに向けて発しないように、自分を制御し、話さないようにしました。

 師父は「大法弟子の真我はいずれも高い次元から来ており」[2]、「しかし、大法弟子の場合、皆本当の自分がおり、世に下った目的は法を得るためだったり、師が法を正すことを手伝うためだったり、以前の自分の世界の衆生を救い済度するためだったりするのですが、この念を抱いてやってきました。本当のあなたは守られており、最初のころ、主導的な作用を働いていました。しかし、ご存知のように、三界に入ってから土に埋もれているように、徐々に主導的な作用を働かなくなり、ひいては作用しなくなりました」[2]と説かれました。

 修煉を重ねることにより、心がだんだん清らかになって、性格も大らかに、穏やかになり、慈悲な状態が現れて本当の自分が出てきました。

 しかし、観念と理性ではない一面が強くなる時は、やはり真の自分が作用しなくなります。そうすると、人間の一面に誠意が足りず、正気がないように見えます。この時、私は往々にして後天の観念と業力などで構成された自分を抑え、それを助長しないように、行動しないようにしました。逆に、修煉状態がよい時は、本当の自分が強く、内面から表面まで正しく、心丈夫に感じます。

 実は、修煉状態がよくない時、どれが本当の自分なのかをよく弁別すれば、見分けることができます。時に本当の自分は、後天に形成した観念と各種の執着心が、いかに演じているのかを、客観的に観察することができます。例えば、自分が知っている情報を人に聞かせたがっているとか、自分は暇がなく、大法の仕事で忙しいと顕示したがっているとか、またどんな法理を悟り、いかに相手を思いやったかを人に見せたがっているとか。識別できた後、正念を発してそれらを取り除いて、しばらくすると落ち着いてきました。

 また一時、集団学法の時、みんなが朗読しているのに、自分だけが暗記していました。すらすらと暗記できなかったので、全体より少し遅れていました。1人の同修から、「弁解しないでくださいね。あなたはなぜみんなより遅れているのか探してください。人心がありますよ。人心があれば現れてくるものです」と言われました。

 家に帰って探すと、最初は何も見つかりませんでしたが、深く探していくと、全体の学法の効果を考えず、独りよがりに暗記していたのは、やはり自分は特別で他の人と違うと、自分を顕示しようとしていたと分かりました。同修はわざと弁解しないように警告したのも、やはり普段の自分はよく自分を顕示していたことを物語っています。

 それから、『轉法輪』の中の「顕示心」の説法を9回暗記しました。9回目になった時、頭の中が「ヅ、ヅ」という音がして、汚いものが消去されたと分かりました。

 それから、人から褒めてほしいという考えは少なくなり、たまに現れてきても、すぐそれを抓んで、取り除くことができました。

 修煉を始めた当初、同修から何かを手伝ってほしいと言われると、いつも自分は今ほかの大法の仕事をやっていると伝えていました。つまり自分は暇はなく、やっているという意味でした。後になってこれも一種の顕示心の現れだと分かって、意識的に言わないようにしました。そして、顕示心がなくなってから、言っても言わなくても、どちらでも構わなくなりました。

 振り返ってみると、顕示心を取り除くことにはとても苦労しました。他の空間においては壮観な光景だったかもしれませんが、人間の面に表われてきたのは、ただ話す時の様子が少し変わっただけでした。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/3/22/325663.html)
 
関連文章