口を修めないと、危害をもたらす
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中国の大法弟子

 【明慧日本2016年10月4日】師父は「われわれが口を修めるようにと説くのは、次のような場合です。常人の中での捨て難い名利や、社会における修煉者の実際の仕事と関係ないことについて話したり、あるいは同門弟子の間で無駄話をしたりすること、あるいは執着心に唆されて自分を顕示すること、あるいは聞き伝えに過ぎないなんらかの噂を伝え広めること、あるいは社会のその他の話題に興奮を覚えたり、喜んで話したがったりすること、などです。これらはみな常人の執着心であるとわたしは思うのです。こうしたことに関して、われわれは口を修めるべきだとわたしは思います。これがわれわれの言う口を修めることです」[1]と語られました。

 この法について、同修達はよく知っていると思います。多くの同修は暗記することができます。しかし、普段自分の言語と行いを照らしてみると、どのぐらいの同修が師父の教えに従って、行っているでしょうか? 当然、私たちは常人社会で修煉し、最大限に常人社会に符合しなければなりませんが、常人と同じようではありません。口を修めていないことで多くの危害をもたらした、自分の浅い認識を皆と交流したいと思います。法に符合しないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をください。

 口を修めていないと、修煉者自身にトラブルをもたらす 

 師父は「現在までに人体科学が発見したところによれば、人間の意念、大脳の思惟は一種の物質を生じさせることができます。きわめて高い次元から見れば、それは確かに物質の一種です。しかしこの物質は、現在までの研究で発見されているような脳波電流の形のものではなく、完全な大脳の形式をもったものです。普段、常人が物事を考える時に発した大脳形態のものは、エネルギーを持っていないために、発せられた後、間もなく散ってしまいます。しかし、煉功者のエネルギーはずっと長く保たれます。」[1]と語られました

 師父の説法から、どうして、私たちは自分の思いと念を修めなければならないことが分かったのでしょうか。良くない意思は良くない物質を生み出します。他の空間から見ると、これらの良くない物質は生命であり、私達の修煉を干渉することができ、修煉者に魔難をもたらすことができます。

 私達の修煉は執着を取り除くことです。話をしたいとき、師父の「口を修める」の説法に基いて話すべきです。話してはいけないことに気づいた時、できるだけ自分の口を抑え、何も言わないほうがいいです。その時、内に探して自分の執着心を捕まえ、取り除きます。

 口を修めていないと、他人に危害をもたらす

 師父は「また、何千人もの会で何らかの講演をした人がいますが、話しているのはみな、その人自身のことで、ひいては大法の何らかの言葉に対して定義を下したり、大法を解釈していて、その身体は学習者たちに向かって黒い業力と執着の物質を発しています。」[2]と語られました

 執着を持ったままで、話すと、業力と良くない物質が付いてきます。天目が開いた同修は、大法弟子の心理状態は純粋で、思いも法に基づいた、正念により話をした時、口から蓮の花を出します。他の人はこのような話を聞くと、気持ちがよくなります。この穏やかな状態の中で、真相を伝え、衆生を救うと、良い効果が得られます。逆の場合に、自分の執着心により話をした時、他の人は気持ちよく聞こえないし、もちろん、衆生を救う効果がなかなか現れないでしょう。

 ここで、同修たち(自分も含める)を喚起しようと思います。自分の修煉にはトラブルをもたらさないように、さらに、同修を傷つけないように、口を修めましょう。最後になればなるほど、自分を律しなければなりません。師父は巨大な苦難を受けることで、貴重な時間を延ばしてくださったことを大事にしましょう。自分の思い、自分の念、一言一行を修正しなければなりません。自分を清めましょう。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「猛撃一掌」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/20/333226.html )
 
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