内に向けて探す修煉では、強靱な意志が必要
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年11月15日】ある日、私は集団学法から帰った後、全身がとても疲れて、思考力が極限まで落ち、もうこれ以上集団学法に参加したくないと思いました。私はベッドに横たわり頭がふらふらして、体も動けなくなったと感じました。

 このような状態に直面して、私は原因を探し始めました。そのとき頭上に一層の物質が圧しかかっていることに気づき、それは思想業だと悟りました。すると、頭は先程よりすこしはっきりしましたが、しかし、体は依然として重く、力が抜けたような感じでした。

 それから、子供が宿題をしながら遊んでいるのを見た私は、思わず面倒な気持ちが生じ、もう躾を諦めたい気分になりました。この考えが出た時、しっかり内に向けて探さなければならないと思いました。同時に、同修を助けることに関しては、自分はすでに力を尽くして、もうこれ以上関わりたくない気持ちがあることに気づきました。

 私はその考えに沿って、更に内に向けて探しました。すでに力を尽くしたという考えの背後にもうこれ以上の能力がないという心理が隠れていることに気づきました。この消極的で、能力がないという心理は、自分の修煉を停滞させるものではないかと懸念しました。

 この時、私は「どうすれば、この消極的な状態を変え、修煉において自ら向上させられるか」と自問しました。しばらく考えた結果「師父と法に対する信念を強める以外、内に向けて探す修煉の中で、心性を高め、法理における昇華をしなければならない」と思いました。これらの事を認識した後、ここで留まってはいけない、更に内に向けて探さなければならない、こうすれば、はじめてより良く行う事ができると思いました。

 この一念が出た後、以前のあの 気力体力ともに尽き果てた状態がゆっくりと消えてなくなり、少し元気が出てきました。この時、私は引き続き法を学ばなければならないと思いました。昼間にすでに2講を学んだので、師父の他の説法を読むことにしました。

 このように、以前読みかけた法を読み、更に師父のもう一つの地域での説法を読みました。その時、法理はゆっくりと展開して、私の脳裏に一つの光景が形成され、果てしない広大な世界が目の前に広がりました。この時、私はこの目の前の世界に入ろうとしましたが、少し怯えて躊躇しました。

 この時、私は真剣に自分に躊躇させる原因を探しました。すると、次第に自分の問題に気づきました。それは強靭な意志と忍耐力が欠けていることでした。私はそれに気づいた時、自分の考えが広がっていきました。内に向けて探す修煉の中に、意志と忍耐力を強める必要があると分かりました。何をどうすれば良いか分かりました。

 それから、私は集団学法に引き続き参加しました。法を学ぶ中で、自分はよちよち歩きの赤ちゃんのように、利他的(みずからの利益を犠牲にして他者を助ける)で、計り知れない慈悲のエネルギーが満ちた境地に向かって前進しているように感じました。

 それから、何をやっても、かつてない広大で平安な心を持つようになり、頭も明晰になり、体の中に言葉で表現出来ない力が充満しました。そして、新たな法理も示され、私に新しい正念を添えました。師父が説かれた真・善・忍の法理に基づいて修めれば、無限な慈悲と知恵が生まれると体得しました。

 最後に、師父の法を引用させていただき、同修たちと互いに励まし合いたいと思います。師父は「誰が抜け出すことができるのでしょうか? できます! 大法、宇宙の大法が伝えられているのではありませんか? 他の人は法を得ることができるのですが、あなたはなぜできないのですか?! 他の人はしっかり修煉できますが、あなたはなぜできないのですか?! これは自分自身の問題ではありませんか?」[1]とおっしゃいました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇一六年ニューヨーク法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/8/337400.html)
 
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