大法を修煉し、道楽者が改心する
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 文/湖南省の大法弟子

 【明慧日本2016年12月14日】私は2012年に大法を修煉し始めた新しい修煉者です。この数年、修煉していく中でつまづき転んだりしながらもだんだんと幾つかの法理を悟り、心性も幾らか向上してきました。しかし自分は古い修煉者と比べて大きな差異がありそこまではまだ遠く、さらに師父の要求よりもまだまだかけ離れています。しかし、私は心が善に向かうように非常に堅い決意を持って修煉しています。私はこの特殊な歴史の時期に法を得ました。どんな出来事に遭遇しても、私の大法に対する信仰を変える事は出来ません。私はこれから自分の幾年かの修煉の心得を師父にご報告するとともに、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一、法を得る

 私は湖北のある市に住み、今年47歳です。2012年7、8月の間、本市に来て統括下の県城で釣り具店を営んでいます。同年の10月ごろ、私は1枚の「神韻」のディスクを貰いました。画面の中で舞台の大幕が開き、神秘的な中国五千年の文化が目の前に現れてきました。今までこのようなきらびやかで美しいものに出会ったことはなく、心を鷲づかみにされ、魅了され、深く感動しました。

 私は歌と舞いを見た時には、そんなに涙は出ませんでしたが、しかし「神韻」は気づかないうちに心の琴線に触れ、全ての演目を観賞し終わると涙が止まりませんでした。パソコンの横にある一筒の巻紙のほとんどを使ってしまいました。以来よく「神韻」を見るようになり、しょっちゅう見ていました。今でもはっきりと覚えているのは、特に好きだった『ミャオ族の舞』 『モンゴル族の皿の舞』 『神に捧げる慶びの舞』です。また特に法輪功への迫害に関する舞踊『神の路は妨げることは出来ない』などはとても印象に残りました。

 その時はまだ常人だったので、法輪功が受ける迫害とか、法輪功修煉者が死から復活する場面をまだ理解出来ていませんでした。しかし舞踊の内容は依然として感動的で、私は熱い涙が溢れ出ました。中国共産党による伝統文化の破壊や、無神論の影響を受けたことによって、中国の大多数の人たちがこのような文化を継承する公演がある事を知りません。

 神韻を見終わってから私は強烈な興奮を生じ、神韻の舞台裏の物語を知りたいと思いました。そこで1人の神韻のディスクを配っている人に聞きました。彼は私の家とそう離れていない所に住んでおり、携帯電話を修理する店の店長でした。そこで、私は店長と世間話を始め、法輪功を知り、法輪功はどういうものなのかも知りました。彼は私に「三退」を勧め、三退させてくれました。覚えているのは、当時、彼は私に「あなたは大法と縁があり、後で必ず修煉の道に入るだろう」と言われたことです。私は当時そうは思いませんでしたが、心の中で「大法を修煉して何か良いことがあるのだろうか?」と思っただけで、特に気にもしませんでした。

 そうこうするうちに、私は彼をますます知るようになり、彼は私に『明慧十方』 『私たちは未来を教える』などの各種のディスクを見せてくれました。しかしながら、いくつかの細部までは見てもよく分かりませんでした。しかし、その中の多くの物語は、私をとても感動させ涙が止まりませんでした。続けて彼は私に1冊の本『轉法輪』をくれ、この本を大切にして心を込めて拝読するようにと言われました。

 私は前半の数ページを読んでから彼に本を返し、自分でネットで見た方がもっと便利だからと言い訳をしました。思い返してみれば、現在のこの時期に法を得ることは本当に容易ではありませんでした。妨害がとても大きく、例えば私は釣りが好きで、とくに用事が無ければいつも釣りに行き、暇な時には、私の釣り具店で釣り仲間と麻雀をしていて、どこにあの『轉法輪』を読む時間があるのでしょうか。

 その後、ある一つの機縁で、私は落ち着いて最後まで『轉法輪』を2、3カ月かかって、やっと読み終わりました。本を読み終わってから修煉したい気持ちが自然と湧き上がって来ました。そこで修煉者を見つけて来て、一緒に学法煉功を習い、大法修煉の道を歩みはじめました。

 二、消業

 大法修煉に入ってから第一の関を受けました。深夜3時に起床して、当該の同修の家に行き、彼の家の人全員と一緒に五式の功法を習っていると、抱輪を煉る時に双方の手が、比類のない重く大きな山を抱いているようで重く重く感じ、また時間がとても長く感じて、一分一秒が耐えられないほどでした。歯を食いしばって30分の抱輪をやり終えると、早くも汗が背中に流れ出ました。最も難しかったのが第五功法で座禅を組む事でした。おそらく私は以前にとても多くの悪い事をしたため業力が特に重かったのか、双方の脚は全く組むことが出来ませんでした。1、2分でもう痛くて耐えられず脚を崩しました。ですから足を開いたまま座るしか出来ませんでした。

 この日から、私の身体に消業の状態が現れ、足が不思議に痒くてたまらなくなり、掻いては血が出てきて水で流しました。脚がむくみ膨らんで、まるで二つの大きなマントウ(蒸しパン)のようになり、靴も履けなくなりました。同修は私に「これは良いことです。師父があなたの身体を浄化してくださっているのですよ」と言いました。しかし釣り仲間達はそれを見て、私に早く病院に行くように言いました。早くいかなければ良くない結果になるからといろいろ言いましたが、私は気にかけませんでした。ただ生活に幾らかの影響があるにすぎませんでした。9、10月の天気がよく晴れ渡り爽快の日に、この症状はゆっくりと消えていきました。

 法を得てから、釣りをすることが殺生だということを知り、それでこの仕事はもう出来ないので、釣り具店を人に譲り渡し、2012年の8月に家に帰り、家に帰ってからも続けて修煉することにしました。ネットで学法し、師父の三十数編の経文をパソコン上で見み終わりましたが、とても苦悶しました。なぜなら同修との交流の環境が全くなかったからです。私はオートバイに乗って、数十キロメートル離れた外地の県城の同修と交流することにしましたが、とても不便でした。

 学法したばかりのころは、何も分かりませんでした。どうして法輪功が迫害を受けているのかもよく理解出来ていませんでした。同修は「学法してください。師父の経文『导航』(師父の各地での説法)を学べば、次第に分かるようになります」と言いました。私は『師父の各地での説法』に対してあまり期待していませんでした。しかし『師父の各地での説法』を読んだ時、何度も涙を流しながら読み終えました。その時、県城の同修に電話して、むせび泣きながら自分の体得を話すと、同修は「電話で話さなくていいから、我が家に来てください」と言ってくれました。

 私は彼の家に行って、学法しながら号泣すると、彼もつられてハラハラと涙を流しました。もう1人の同修が私に「師父は本当に慈悲深い方です。あなたはしっかりと良く修煉してくださいね。あなたには本当に福があり、今この時期に法を得ることが出来ました。当初あなたが県城に来たのは、生計を立てるためでなく、法を得に来たのですよ」と諭されました。確かに、たまに思うのは自分はこの正法の最後の時期に法を得て、本当にどんなに幸運なことでしょう! 涙がどっとあふれ出て止めることが出来ませんでした。彼らはその時、私が同修と交流する環境がなく、切磋琢磨する環境がない事を知り、手伝ってくれて本地の同修と連絡が取れるようにしてくれ、これ以来、私は集団学法の環境に溶け込みました。

 3年来、毎年夏が来ると、身体にいつも不明の病業の妨害が現れていました。それは脚やすねに不思議な痒さが出てきて、とても耐え難いもので、皮がむけるほどひっかいたら少しだけ治まります。それで双方のすねはかさぶただらけになり、自分でもそれを見て気持ち悪くなるほどです。夜になるとさらに耐えられませんでした。ある時患部が一晩中痛くて、夜通し眠ることが出来ず、精神的にもまいってしまいました。最も痛かった時に、私は泣きながら師父にこの苦痛を減軽してくださるように求めました。師父の法に、「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]と書いてあります。時々その法が私の脳裏に浮かんで来ると、また確固として気持ちを奮い立たせ、忍びました。

 ちょうどこの時期、またもう一つの魔難が来て、父母、兄妹が皆私に病院に行って治療するようにと責め立てました。この事で彼らと仲違(なかたが)いをしてしまいました。本当に「百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る」[2]でした。私は師父を信じ大法を信じて、一つ、また一つと、関を乗り越えていきました。昨年9月のはじめ、天気はとても爽やかで、私の脚の病業がゆっくりと消えていく兆しがありました。父母は頑なに私を病院に連れて行こうとしましたが「あと1カ月経っても良くならなければ、私はあなた達に従います」と言いました。そして1カ月も経たないうちに、この病業はほとんど消えてしまいました。

 三、色欲の関を乗り越える

 修煉前、私の色欲は非常に重かったのです。師父は「常人から修煉を始める第一歩がこの関門で、誰でも遭うことがあります」[1]と説かれました。常人がゆっくりと修煉者に変わっていく過程で、色欲という関は、私に対して非常に妨害が大きかったのです。結婚前、ガールフレンドとして前後10人ぐらいの人と付き合い、このことも私の色欲の心がいかに強いかの証拠です。たとえば、結婚した後でも、とてもふしだらな行為をしました。その時、商売をして懐具合は比較的余裕がありましたので、自分と3~5人の友人達も同じく色欲が強く、外に嬢を見つけは交際して、酒と色におぼれていました。離婚後、さらに頻繁に色情の場に行っては慰めを探し求めました。甚だしい場合は、十数キロメートル離れた場所に行っては、私の色欲の問題を満足させていました。その時、私は頻繁にアダルトのサイトに目を通したりしていました。その後、修煉に入ってしばらくしてからも、また時々、少し見てしまい、このことが間違っていると知っていましたが、どうしても自分を抑えられませんでした。師父は「あなたの心が動じれば、すぐ漏れてしまいかねませんが、すると取り返しのつかないことになります。考えてみてください。煉功者にとって、精血の気は命(めい)を修めるためのものですので、いつまでもこのように漏らしてはいけません。それに、あなたは色欲という試練の関門を通過できなくてよいのですか?」[1]と説かれました。毎回このことを思うとき、私は本当にたまらなくなり自分の両頬を打つと同時に、また後悔してやみませんでした。

 家に帰ってから間もなくしたある日のこと、私は何度もアダルトサイトを見た後、その夜寝ている時に、意識があやふやな中である空間にいました。周りは黒一面で、突然周囲にありとあらゆる蛇が地面いっぱいに現れてきました。ちょううどその蛇が私に向かって攻撃しようとする時、突然光が射してきました。黄色い袈裟の師父が立っておられ、片手立掌を胸の前でされており空中に立っておられました。その瞬間これらの蛇は吹き飛んで散って行き、跡形もなくなり、私はびっくりして目が覚めました。しかし、また意識がゆっくりとあやふやになって寝てしまいました。今度は、夢の中でまたもや大蛇が出て来て、この大蛇は先ほどのものとは違って頭に一つの冠をかぶっており、まるで蛇の中の王様の姿でした。それは頭を持ち上げて赤い舌を出し、私を見て咬みつきに来ました。その時、私の足元にいつの間にか1匹の貂(テンという動物)が現れ、貂は空中に跳ね上がって大蛇の頭に咬みつきました。これを見た私はまた驚いて目が覚め跳ね起きると、全身にびっしょりと汗をかき、怖くて怖くて寝る気になりませんでした。

 この時から、私の色欲の心はずいぶん淡白になりました。あるいは怖くなったのかもしれません。師父は「病根はすでに取り除かれており、残りはほんの少しの黒い気で、それを外に発散させるので、あなたにほんの少しだけ難を与え、ちょっとした苦しみを嘗めさせることになります。 あなたが全然苦しみを嘗めないわけにはいかないのです」[1]と説かれました。その時から、良くない思想や考えは以前のように強烈ではなくなり、少し忍耐すれば過ぎ去っていきました。

 その後、某県城の同修とこの事を交流しました。同修は師父が私を救ってくださり、また色欲も取り除いてくださったのだと言いました。私は本当に心から師父に感謝しました。師父の慈悲なる苦度は、私を地獄から引っ張り上げてくださったのです。いつも『得度』が聞こえてくると、それはそれは美しい旋律で涙をこらえることが出来ません。なぜなら私も得度されたからです。いつも、師父の広大な佛恩を感じ、弟子はどんな人間の言葉を尽くしても言い表すことは出来ません。

 四、真相を伝える

 私は市の学法の小グループに溶け込みました。長期的に身体に病業の妨害があったために、私の学法と生活の各方面において、どれも順調には行きませんでした。この時、同修は注意を促しました。「三つのことはきちんとしていますか?」と聞かれたので、私は「真相を伝えることはほとんどしていません」と答えました。同修たちは私を励まして外に連れ出し、面と向かって真相を伝えられるようにいろいろ教えてくれました。それで私は1人の年配の同修について行き、真相を伝えはじめました。

 年配の同修は70歳を過ぎ、96年に法を得た古い大法弟子で、その年配の同修も当時体にいろいろな疾患があり、大法の修煉に入ったそうです。大法を修煉してから病は全て消えてしまい、大法に対してさらに不動になったそうです。それから大法が迫害されはじめ、最も迫害が深刻だった時に、少しも心が揺れ動かなかったそうです。私はこの同修と一緒に真相を伝えに行けて本当に幸運だと思いました。私たちは毎日朝8時に、比較的にぎやかな道に沿って歩きながら、縁がある人に出会うと真相を伝え、三退することを勧めました。彼女は毎日十数人を三退させており、多い時は二十数人もの人たちを救っていました。はじめ私は彼女を助けて発正念したり、名前を記入したりするだけでしたが、そのうち、ゆっくりと私も口を開いて真相を話せるようになりました。私が思うには、こんな私でも毎日1人を三退させるだけでも進歩したと思います。この中で、二つの真相を伝えた出来事を紹介します。

 一つは、年配の同修が1人の男性に大法が素晴らしいことを話したとき、この男性は憎らしそうに「これ以上まだ話すと警官を呼びますよ。610弁公室を呼んであななたちを捕まえてもらいます」と激しく言いました。年配の同修は「知っていますか。あの610弁公室の最大の頭(かしら)の李东生はすでに捕まっていますよ。その部下たちも誰がすき好んでこのような事をするんですか?」と教えると、この男性はとても驚いていました。

 二つ目は、バスのプラットホームで年配の同修が、1人の40歳ぐらいの男性に真相を伝えていると、男性は受け入れられない様子で、彼のおじさんが法輪功をしてもそんなに効果が良くなかったと言い、言い方も全く善ではありませんでした。以前私たちは何度もこれと似たようなことに出逢ったことがありますが、少し忍耐すると過ぎ去りました。しかし今回私は耐えることが出来ず「この人はあなたのために言っています。あなたに真相を伝え、将来劫難を乗り切ることが出来るようにあなたのために言っているのです。それに真・善・忍を修している良い人のどこが良くないと言うのですか?」と言いました。すると男性の口調はすぐに穏やかになり、幾つかの法輪功の良い話を言い出しました。この出来事の中で、私は身をもって師父の説かれた「念を正しくすれば悪はじぐに崩る」[3]の法理を体得しました。

 五、執着を取り除く

 修煉する前は、私はほとんど貪り食う、酒を飲む、女を買う、賭博をするなどの常人の考えで、非常に良くない事をしていました。賭博で数年前の負けたお金は、今に至ってもまだ返し終えていません。賭博と言うこの種の悪い習慣は常人であれば、とても戒めるのが難しいのです。私は小さい時から麻雀をしていて、賭博歴は数十年にもなります。大法の威力がなければ、賭博をやめるのはとても難しいのです!

 さらに私はどのようにして家族との関係の中で執着を取り除くのかを考えていました。父母の世代は古い観念が比較的重くて、子供を自分の私有財産だと思っていて、生活、学習、仕事、結婚や事の大小にかかわらず、どれも口出ししかまってくるのです。私の婚姻はとても不幸なもので、これは父母が干渉したせいだと思っていました。私の仕事も順調にはいかなくて、最後にはご飯茶碗さえなくなり、このことも父母が干渉したせいだと思っていました。他の何かの事に出会ってもうまくいきませんでした。私はそのことで恨みや憎しみを、全て父母の身に発散し、家庭はいつも殺気立った空気に満ちて、親子関係もいつもぎすぎすしていました。

 大法を学んでから、物事にはすべて因縁関係があることを知りました。何の理由も原因もないわけではなく、それに大法の中で「忍」が講じられていますので、これからうまくいかないことがあっても、なるべく両親に対して悪く言わないことにし、自分に忍耐するように要求しました。まだ修煉者として忍耐することをやり遂げてはいませんが、家庭内の関係はだいぶ良くなり、睦まじくなりました。以前の私は闘争心が非常に強かったのです。現在、借金を返済するため人と一緒に小規模な商売をはじめました。パートナーは口達者で、非常に強く、無茶な事でも三分の理屈を言ってくるような人でした。ある時、パートナーと些細なことで食い違いが生じました。騒いで手が付けられず、事後に非常に悔やみました。「ああ、また心性を守れなかった!」これらの魔難を何度も経験して、私は知らず知らずのうちに忍耐する能力が身に付き、向上していきました。師父は「わたしに言わせれば、肉体の苦痛は最も耐えやすく、じっと我慢すれば、何とか耐え抜くことができます。しかし、人と人とがいがみ合う時の心は、最も制御しにくいものです」[1]と説かれました。私は本当に身をもって体得しました。

 ある時、私たちはある事で意見が合わず、2人の間でトラブルが生じました。ちょうど県城の同修が本市に来ていて、私は同修にこの事をどう思うか交流してみました。彼は「誰が正しいとか誰が間違っているとかに関わらず、あなたは1人の修煉者です。常人とトラブルが発生したら、それはあなたが間違っているのです。早くその人に詫びてください」と諭されました。私は店に戻ってから、すぐにパートナーに謝ると、彼女の両目は真っ赤になって、涙が今にもこぼれ落ちそうでした。実際、常人であれば何かを論じる時、一つのことに対してどんな人にも自分の考えや見方があるから、それは正常な事で謝るとかは必要ないのですが、修煉者には修煉者の基準があって、それは常人と同じだと言えますか?

 この事があってからそう長くないうちに、店は人手が足りなくなりました。私の妹の夫(パートナーの二番目の兄)が来て手伝ってくれました。パートナーは以前と同じ額の1カ月600元を支払おうとしましたので、私は「それはいけません。少なくとも千元あげるべきです」と言いました。この事をパートナーは家に帰ってから、彼女の夫に得意げに全部逆に「○○(私の事)はただ600元あげると言ったので、自分は千元あげるべきだと提案しました」と言いました。この事は事が終わってから私の妹が教えてくれたことです。しかし、私はそれを聞いてもただ笑うだけで、妹に「また一層理解が増えたね」と言いました。

 約2、3カ月前、私たちの店に奇妙な現象が生じました。それは、売り上げが10%上昇しましたが、純利益は却って30%減少しているので、母と妹はこの中に犯人がいると言いました。しかし私は心の中で、この出来事に対する法理が分かっていました。もしパートナーが本当に小細工をしたなら、私にさらに多くの徳をくれることになります。なぜ喜んで感謝しないのでしょうか? しかしこのようなことを妹らに言ってもおそらく理解できないでしょうから、私は一つの方式に変換して言いました。「あなた達は証拠があってから言ったほうが良いです。このように何の根拠も証拠もなしに人を疑うのは良くありません」と言うと、妹は「これになんの証拠がいるの。売り上げが上昇したのに純利益がこんなに減っています。これが証拠です」と言いましたが、私はただ一笑に付しました。私が思うに、これは師父が現世の「人精」(中国語でずる賢い人と言う意味)をこのようにして私に見させて、どう出るか按排されたのでしょう。私の隠れている多くの執着心を取り除くためではないでしょうか。そうでなければどこに私の修煉して向上していける環境があるのでしょうか?

 学法の小グループの各同修が気にかけてくれて、本当に感謝しています。励ましてくれ、支えてくれました。私は自分の修煉がまだまだ良く出来ていないことを知っています。執着がとても大きくて、多いいのです。三つのこともしっかりと行わず、ずるずる緩めてしまい、大法弟子の最低条件の要求である双盤もうまく行えず、この関さえもまだ乗り越えていません。汗顔のいたりです。(深く恥じ入ること)不足の部分はこれからも一つ一つ乗り越え、向上するように修めてまいります!

 最後に大法弟子の日々の精進を祝したいと思います。     合掌

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「何を恐れる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/12/330719.html)
 
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