着実に真相を伝える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年9月7日】私はある常人の友達に何度も「三退」のことを話しましたが、彼はいつも話題をそらし、話に乗ってくれませんでした。彼は怖がっているのではないかと思いましたが、しかし、ある時、彼はとうとう「僕はすでに三退した」と教えてくれました。それを聞いた私はとても嬉しくなり、「いつ? どこで? どのように三退したの」と聞くと、彼はもうそれ以上は言いたくない様子でした。そして、「退いてもなんの役にも立たなかった、まったく役に立たなかった」と言いました。さらに彼と雑談していると、彼は「三退」とは何か、基本的な真相とは何かについてまったく知らず、依然として中国共産党の虚言に騙されており、法輪功の理念にとても反していることが分かりました。

 私は彼が「三退」した経緯をよく知りませんでした。しかし、彼の話から、「彼が何か落ち込んでいた時、ある同修が『三退』を勧め、基本的な真相を話さないまま、ただ彼の当時の願望を実現させることと結び付けて三退した」ように推測できました。もしかしたら、その時、詳しく真相を伝える時間がなかったのかもしれません。しかし、彼の反応から、この生命が救われたとはとても言い難く、心の中に共産党が宣伝した虚言が依然として根強くあり、法輪功に関する情報にとても抵抗しており、法輪功の話をまったく聞こうとしませんでした。

 私達は人を救うために真相を伝えているので、やはり真相をはっきりと分かってもらわなければならないと思います。たとえ時間がなくても、基本的な真相をできるだけ話し、例えば天安門焼身自殺事件はでっち上げだとか、法輪功は真・善・忍を修める佛法であるとかを話すべきです。これらの基本的な真相を話すにはそれほど時間はかからず、相手の人が最初によく理解しなくても、話している中に、私達はその人の背後にある悪い要素を解体することができ、同時に、発正念を忘れないようにすれば、相手は次第に聞くようになるでしょう。

 もちろん、いくら話しても理解せず、とても興奮する人がいます。このような人に対して、私達は純粋な善の心で行えば、少なくとも、彼の頭に注ぎ込まれた虚言に対して、否定的な考え方を持っている人がいることを認識させることができると思います。

 他には何も言わず、ただ資料だけを配っている人がいます。うまく真相を伝えない場合、確かにマイナス効果をもたらしますが、しかし、私達が真相資料を配る目的は相手の人が真相を知り、救われてほしいと望んでいるのではないでしょうか? もしチャンスがあれば、やはり相手の人に基本的な真相を話してから、真相資料を配った方がもっと効果的だと思います。

 ある時、1人の若者に出会いました。あまり時間がなかったので、私は単刀直入に「『三退して平安を守る』いうことを聞いたことがありますか?」と尋ねました。彼は「電話を受けたことはあるが、退いていない。よく意味が分からなかった」と答えました。私はとても簡潔に「三退して平安を守る」の意味を話し、そして、正々堂々と「このことは法輪功と関係がある」と説明し、それによって、法輪功の基本的な真相を伝えました。

 彼はまったく嫌な顔を見せませんでした。もちろん、突然真相を聞いた彼は多少戸惑って怖がっていましたが、しかし、私は動じませんでした。彼は次第にとても楽しそうにこの話題で私と話し合い、最後には、真相が分かっただけでなく、「家に帰ったら、家族にも三退を勧める」と言いました。私はとても嬉しくなりました。

 分かれる時、彼に数冊の真相資料を渡し、そして、「しっかり読んでい下さいね。家族の方にも是非読んでもらって、真相を理解し、早く正しい選択をしてください」と言いました。彼はとても嬉しそうに、重ねてお礼を言いました。感動的な瞬間でした。一方、私は何も苦労せずに、とても順調に人を救うことができました。

 私はよく捨てられた真相資料を拾うことがあり、汚れて破れた資料を見ると、とても辛くなります。真相資料を配るのは人を救うためであり、もし、相手の人がとても反感あるいは抵抗する気持ちを持っていれば、やはり先にしっかりと真相を伝え、状況に応じて資料を渡すべきではないかと思います。さもなければ、その人は救われないだけでなく、さらに業力を作り、害されるのではないでしょうか。

 他にも、微信(WEチャット)あるいは他のソーシャルメディアを利用して真相を伝える人がいます。ここでは専門的に微信、あるいはネットで真相を伝えるプロジェクトのことを指しているのではありません。ここで言っているのは、常人の身分でソーシャルメディアを利用し、正面から話さず、側面から反語や隠語を用いて、とても遠回しに、非常に不明瞭な言い方で真相を伝え、社会の不正を指摘し、それによって人を導こうとする人のことです。

 実は、今の人々の道徳水準はすでにとても恐ろしい状況にまで低下しており、人々の善に対する理解はとても低く、そして、「あなたが言ったようなことが私の身に起きていなければ、私とは関係ない」と思っている人はかなり多くいます。このような人に対して、私達がとても遠回しに話しても、相手の人に善の念を生じさせることは本当に難しいことです。もしかしたら、その人は心の中で「なんと時代遅れな人なんだろう」と私達を嘲笑しているかもしれません。

 一方、私達がネットで、とても明確ではなく、はっきりしない言葉を使うと、かえって、人々に「簡単なことをことさらに難しくみせているのではないか」という印象を与えてしまうかもしれません。最悪の場合、長くネットでやっていると、執着心が引き起こされ、結果、真相を伝えるどころか、自ら常人の誘惑に負け、それによって泥沼に陥ってしまうことにもなりかねません。実は、このような実例も少なくありません。ですから、本当に真相を伝える気持ちがあれば、正々堂々と直接相手に話した方がいいのではないかと思います。師父は何もかも私達に按排して下さっています。後は、私達がただ口を動かして話すだけなのです。

 どんな方法で真相を伝えるにしても、やるならば必ず真剣に対応し、着実に行い、量を求めず、仕事をする気持ちを持たないようにしなければなりません。私達の心が純粋であれば、人にはっきりと真相を伝え、その上で「三退」を勧めれば、実は、これは決して難しいことではないと思います。

 以上は現段階での真相を伝えることに対する私の個人的な見解です。不適切な所があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/8/25/352951.html)
 
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