文/ワシントンD.C.の大法弟子
【明慧日本2017年9月26日】「2017年米国ワシントンD.C.法会」が16日、ワシントンエリアで開催された。法輪功創始者・李洪志先生は『フランス法会へ』の中で「法を正す最後の時、着実に自らをしっかり修め、人を救う使命をきちんと果たしてください。法会が円満に開催されることを祈ります」と大法弟子に教えてくださった。ワシントンの13人の学習者が、いかに着実に心性を修め真相を伝え人を救うのか、という方面での修煉体験を分かち合った。
怠けを抜け出し 改めて精進する
定年退職した68歳の中学教師・厳さんは交流で、「自分が大法弟子としての値打ちがあるかどうかと反省してみた時、自分を見つめて、三つのことをしっかり行ったかどうか? 学法に集中できていたかどうか? 発正念は念力が集中していたかどうか? 人を救うことは真剣に行ったかどうか? を振り返り、皆できているかどうかということでした」と話を切り出した。厳さんは、前回の5月の神韻が終わった後に「一息つこう」という考えが生まれた。神韻の宣伝は毎年、9~10カ月の時間を占める、と考えていた。なので、神韻を宣伝しない期間は、自分の生活、仕事、家庭をちゃんと手配りしようと考えていた。ところが、くつろいだ途端に、3日間学法しても1講も読み終わらず、10ページ読むと目が開けられなくなり、さらに、歯痛の症状まで現れて来たという。
まちがった道に入った事に気づいた後、厳さんは8月に毎日、公園での集団煉功を堅持し、夜には学法し、4回の全世界での発正念を堅持した。生活の中でトラブルに遭った時は、内に向けて探した。厳さんの向上に伴って、家族と夫の同修に対する態度も変化した。以前、家族は同修の来訪をいやがり、まして同修を手伝う事など言うまでもなかった。しかし現在、家族は自家菜園で育てた野菜を、厳さんや同修と分かち合い、同修の借家に困難があった時には、同修を宿泊させるまでになった。アルバイトの時間を調整し、毎日3、4時間按排して、上流社会に向けて面と向かって神韻交響楽団を紹介した。厳さんは同修と協力して、劇場付近のオフィスビル、弁護士事務所、診療所、病院、商業地区から始め、8月末には1箱以上を配り終え、神韻交響楽団のカレンダーも2千枚以上を配ったという。すると、不思議なことに厳さんの歯痛は、すっかり消えてしまっていたという。
アメリカの暮らしに適応し 観光スポットで縁のある人を救う
2012年に米国ワシントンD.C.にやって来た70歳近くの王さんは、発言の中で、「自分はこの5年間で、車を運転できず、英語を話せない老女だったのですが、基本的に真相を伝える技能を掌握した大法弟子にまで、成長しました」と交流した。王さんは米国社会に足場ができ、D.C.の観光スポットで尊い中国人に向けて真相を伝え、三退を勧めることを堅持し続けた。
ある時、D.C.の観光スポットで、王さんは20人のツアー客を見かけた。そこで、観光客に歓迎と祝福を表し、「ここに無料の真相資料があります」と言った。続けて、自分が東北地方の刑務所で迫害を受けた自身の経験を訴えた。すると、1人の男性が口を挟み、刑務所の監区ナンバー、監区長の名前と分隊の隊長の名前を王さんに聞いて来た。そこで、王さんは実際に出遭ったことを静かに答えた。すると、男性はツアーメンバーの方を振り向き、「彼女の言っていることは本当です」と言った。そして、男性は脱党し、ツアー客も全員、中国共産党の組織を脱退した。なんと、その男性は刑務所と取引しているメーカーの代表者で、従業員を連れて旅行に来たのだという。
またある時、王さんが観光スポットのファーストフード食堂で、中国人観光客とおしゃべりしながら真相を伝えていた。その時、三つのテーブルで中国人観光客が食事をしていた。王さんが一つ目のテーブルで話をすると、テーブルの中国人は全員三退した。すると、隣のテーブルの観光客の1人が「私も!」と叫んだ。王さんは「そのテーブルも三退させた後、最後に残ったテーブルの観光客が期待のまなざしで、見つめられ、本当に感動しました。この時は、中国ですでに三退した2人を除いて、残りの16人が全員三退しました」と、ここでの感動したことを話した。
新しい学習者は 二度と極端に走らない
1人の若い女性学習者が小さい頃に母親と一緒に大法の修煉を始めたが、1999年以後に修煉を離れてしまった。今年5月になって大法の修煉に戻って来た。しかし最近、修煉に戻って来たばかりのために、焦ってしまったという。時間と修煉に対する表面的な形式と大法のことを行うことに対して、強烈な執着が生じたという。この女性学習者は、「気付かないうちに、表面的な行為を大法の要求にしてしまい、本当に心からは変わっていませんでした」と言った。女性学習者は「暇さえあれば、大法を実証するプロジェクトを行わなければならない」と強制的に自分に要求した。そこで遅くまで事務所に残ってから家に帰り、これを精進の表現としていた。生活の中で工夫を凝らして苦を求め、日常生活も雑に対処し、自分の体を大切にせず、しばらくすると、家族や友人とも連絡を取らなくなってしまったという。
しばらく経ってからも、精神力に頼って無理して頑張っているうちに、心身がだんだんと疲れてきて、「どうしてほかの人の修煉はあんなに身軽で、幸せそうなんだろうか?」と感じ始めた。そして「自分が行っていたすべては、自分を満足させるためのもので、私は修煉の円満成就の目的に到達しなければならないのだ! とがんばっている自分にタダ自己満足しているだけだったとわかった。さらに、いつも近道をしたがり、自分は他の人より強いということを証明するためのものだった」ということに気が付いた。そして「私の苦しみと疲れは、極端な利己心が作り出したもので、行動と仕事と業績を向上させるための基準や方法で、心から自分を変えることをしなかった。危険なのは、何らかの特殊な方法を取ることに心の中で執着し、特殊なことを行い、何らかの大きなことを行うことで、自分の威徳を樹立し、愚かにもそれによって速やかに次元を向上させようとしているものだった」ということに気が付いたという。
学法と同修との交流を通じて、「大法の要求に基づき、少しずつ落ち着いて心性を向上させ、三つのことをしっかり行うことが修煉の近道である」、「心から自分を変え、二度とあのように苦しくて、重々しい修煉はしない。大法を修煉する殊勝さと幸福をついに改めて実感した」と修煉に対してさらに深く、さらに厳粛に認識すると、仕事においても、社長や同僚との関係も根本から改善されたという。
西方の古い大法弟子が 修煉の厳粛さを体験する
長年修煉をしている西方の学習者が最近、ほぼ1年の間、心臓に強烈な痛みを覚えた。その学習者は、「自分の天寿が来たのかもしれず、特別に精進して修煉しない限り、この世間で生活を続けていくことはできない」と考えた。その学習者が多くの同修に尋ねたところ、「往々にしてこのような体調に陥るのは、学習者が師父と大法に対して厳粛に対応していないからです」と提起されたという。その学習者は困惑を覚え、「自分はこのような状況に属するはずはない」と思い、そこで『轉法輪』を多く読み、多く学法しようと決心したという。
学法の中で、その学習者は師父が大法の荘厳さと神聖さに、言及なさっていることに気付いた。そして「自分は師父の法とキリスト教を本当に区別して対応していなかった」ということにも気付いたという。師父は『轉法輪』第一講の中で、「われわれはこれほど大きなものを修煉しているのであり、宇宙を修煉していることに等しいのです」と説かれている。当然、師父の法は過去の聖者が説いた法よりもさらに大きく、師父の法はキリスト、モーゼ、釈迦牟尼をすべて包括している。大法の厳粛性を認識した後、この西方の学習者は、生死の関を乗り越えたという。
同修たちの交流は、参加した大法弟子が修煉の厳粛さと神聖さをさらに体得する手助けとなった。それと同時に、各自が異なった試練に直面した時の必死さと、信念に対する選択を聞き、同修のたいへんさと集団での修煉環境の貴重さを体験し会得した。