明慧法会 | 旧勢力を否定し 全ては師父が掌握されている
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文/中国の大法弟子            

 【明慧日本2017年12月28日】私は中国の大法弟子で、もうすぐ80歳になります。2014年4月に不当に連行されて、現地の洗脳班に拘禁されました。

 法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じる

 邪悪な環境の下で、内外の邪魔が非常に多く、頭が混乱してしまい、法を暗唱しようと思いましたが、何も思い出せませんでした。突然、「真・善・忍」の三文字が閃いたので、「そうだ、私は『真・善・忍は素晴らしい』を念じよう、頭の中をすべて『真・善・忍』で満たせば、すべて法であり、あらゆる邪魔の入る余地がどこにあるだろうか」と考え、早速、座禅を組み両手を合掌し、長時間に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を一心に念じました。

 念じるとは言え、簡単なことではありませんでした。あらゆるものが猛烈に頭の中に入り込もうとし、口を開いて念じた途端に、急に思考が逸(そ)れてしまい、思惟を取り戻せたばかりなのに、またもや逸れてしまいました。これではいけません。私は固い意志でこれらの妨害に言いました。「『いかなる佛、いかなる道、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ』[1]、私は『真・善・忍』以外に何も要りません!」。 妨害は大きければ大きいほど、私の「真・善・忍」を念じる声も大きくなり、時には叫ぶように大きな声で念じました。

 私は全身全霊で念じ続け、ずっと念じ続けていました。どれぐらい時間が経ったか分かりませんが、全身が熱くなり、とても心地良く感じて、まるでこの世界の中に私1人しかいないかのように感じ、涙が止まりませんでした。恐らく本当の自分が感激して泣いたのかもしれません。私は食事、トイレ、夜の少しの寝る時間以外、毎日24時間ただひたすらに、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じました。

 法を暗唱する

 数日間「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を念じ続けた後、体は楽になり、頭もはっきりしてきました。心の中では、今後の道をしっかりと歩めるように、必ず法を学ばなければならないと考えました。「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[2]と師父が説かれたのを思い出し、法を暗唱し始めました。一つの節を思い出したら一つの節を暗唱し、二つの節を思い出したら二つの節を暗唱し、一つの段落を思い出したら一つの段落を暗唱し、繰り返して一心不乱に暗唱しました。暗唱すればするほど、暗唱したくなり、暗唱すればするほど、すらすらと言えるようになり、『論語』、『洪吟』、『精進要旨』、『轉法輪』の中の内容をも段落ごとに思い出しました。「転向」させる監室に入れられた場合は、寝る時間帯に監視役がいないので、時間を惜しんで寝ないことにし、昼間も休まず、毎日「法輪大法は素晴らしい」を念じ、そして、法を暗唱することだけに専念しました。

 内に向けて探す

 法を暗唱してから暫くすると、頭がますますはっきりとしてきました。私は自分の修煉の全過程について、映画のフイルムを巻き戻すように改めて詳しく考え、内に向けて探し、3つの執着を見つけ出しました。

 1つ目は仕事ばかりして、着実に修煉していなかったことです。私は修煉に入ると同時に常人の責任感、やる気、人に対する情熱、無私の忠実さ、苦しみと困難を恐れない等々多くの思想行為を修煉の中に持ち込みました。こんなに素晴らしい大法や偉大な師父なのですから、忠誠を尽くさない訳がありません。大法にすべての精力を注ぎました。大法の事なら、大きな事であろうが小さな事であろうが、とにかく一生懸命に行いました。1999年に大法のために上京した時から、大規模な資料拠点を立ち上げ、小型の資料拠点を普及させ、新唐人テレビの受信機や真相を伝える携帯電話を広め、協調し、同修を救援するなど、すべて疲れを知らず、危険を恐れずに行いました。そして、全体に何か問題がないか、同修に何か困っていることはないか、すべて責任を持って頭の中に入れて置くようにしました。ただひたすらに仕事をして、落ち着いて多く学法することが出来ず、自分を修めることも出来ていませんでした。

 2つ目は自己を堅持することです。具体的に言いますと、表面上の仕事のことで同修に褒められ、歓喜心が生じたことによって、自我を表現する行為も際立っており、次第に膨らんでいきました。長きにわたり、自分はずっと協調の役を担当しているため、独断専行になって他人の意見を受け入れられなくなり、指摘されるとすぐに爆発し、触れることもできません。

 3つ目は世間の情と享楽に執着することです。2013年、ある50歳ぐらいの女性同修が私の傍に現れました。私は同修の居住場所と仕事を探すことを手伝いました。ある時期に、私の連れ合いに病業の状態が現れたため、女性同修は仕事の後に、連れ合いと一緒に学法、発正念をし、それから自分の住んでる所に戻ります。時間が長くなると、私達夫婦は彼女の負担が大きいと思い、引っ越しをして我が家に住むようにと勧めました(私の家は100㎡以上の広さがあり、3つの寝室がある)。女性の同修は法理についての理解が深く、性格が優しく、善良で、働きぶりも良く、家の中から外まできれいに片付けをしてくれて、料理の腕も上手で、私達は一緒に学法、発正念をして、三つのことを行いました。彼女は法理上でよく私達と深く交流し、何か問題があれば穏やかに指摘してくれます。また、女性の同修は大学卒で、才気が溢れて頭が良く能力もあり、何をやるにも責任を持ってきちんと行い、資料を作ることも立派で速いのです。彼女が家に来ると家の雰囲気は活発になり、家事のことを心配しなくてもいいし、修煉上においても便利になり、分からないことがあれば相談する相手にもなってくれます。三つのことをするのを手伝ってくれる人が増えたので、私の心の中は嬉しくてたまりませんでした。

 私は他人に恩恵を受けると落ち着かなくなります。そして、彼女を崇拝し可愛がるようになり、私達には娘がいないので、娘のように対処しました。このことは大間違いでした! それからは一層、女性同修は我が家のお手伝いさんのようになりました。

 時間が経つにつれて、人のよくないものが助長され、情、欲、色がだんだんと引き起こされ、そして、私をかき乱し始めました。何と言っても修煉者は常人ではないので、私達はすぐ師父のそれらに関連する説法を学び、明慧ネットでそれらの交流文章を読み、これらのよくない物質を取り除き、自分を正し、厳しく自分を律し、極めて用心して、自分の言動についても純潔を保ちました。生活、学習、三つのことはいつものように平静で調和が取れていました。しかし、この調和と平静は表面上のもので、根本的に男女の同修は同居すべきではなく、男女の区別があるという道理に背いていました。行動上においても、修煉者のように情を断ち切って、断固としてさっぱりと別れる基準に達しておらず、常人の情、貪欲、幸せな雰囲気に引っ張られました。これが私が連行される根本的な原因になりました。今思えば、本当に慚愧に耐えず、冷や汗が出ます。便所の中で溺れている臭い匂いを取り除こうと思っても、取り除けるでしょうか。

 発正念

 見つけたこの3つの執着心は、修煉の途中で必ず取り除かなければならないもので、緩めてはいけないと思い、私は長時間、発正念することに決めました。発正念することは師父が私達に教えられたことで、この特殊な法を正す時期において師父の広々とした慈悲の体現であり、師父が佛法神通を利用して弟子に高めさせる一種の方式でもあります。私は煉功や法の暗唱、食事と睡眠時間以外に発正念をしました。発正念をする度に2時間、3時間、4時間に及んでいました。昼間は休まず、夜の睡眠時間は最も多くても3~4時間、通常2~3時間で、この一念を守り続け、邪悪が完全に消滅されない限り、発正念を停止しませんでした。

 慈悲心が現れる

 ある日、『洪吟』の「功成なって圓満する」を暗唱しました。「名利情を修し去り  圓満して蒼穹に上る 慈悲をもって世界を看れば 今し方迷いの中から醒める」、突然、自分の空間場がこんなに素晴らしく澄みきっており、すべてが美しく感じられました。私を「転向」させようとする警官らに対して、哀れんで同情する心で満ちていきました。洗脳班の主任に「私を恨んでいるのか?」と聞かれた時、私は苦笑して「恨んでなんか、いません」と答え、教官にも教えました。私たちの師父がこのように説かれています。「世の人々に一つの真理をお教えしましょう。神佛が世に下り、正法が伝えられれば、必ず乱す魔の妨害があります。各種の伝説、各種の宗教の中で伝わっていることが今現在起きているかもしれません。人間の観念に自分の本性が遮られないようにしてください。ましてや神の道を歩んでいる人に罪を犯さないでください」[3]。私は真相を伝えると同時に、洗脳班のリーダーや教官、雑務をするすべての人に対して、いつも笑顔で挨拶をしていると、彼らも私によく話かけてくれました。

 部屋の中の蠅はよく体に止まるので、時には打ち殺しました。慈悲心が現れた後、「この部屋は広くて、君たちは自由に遊んでいいよ、意地悪なことをしないでね」と蠅たちに話をかけました。不思議なことに、蠅は体に止まらなくなりました。洗脳班の漬け物は自由に食べられますが、私は自分の残りを浪費せずに紙で包んで置いて、毎回に残りものを食べていました。私は部屋中のものをきれいに拭いて、それらをきれいな状態にしておきます。

 検察官にも真相を伝える

 2カ月後、病業の状態が現れたため、警官は私を自宅に送り、同時に、引き続き私に対して監視していました。

 2カ月あまりの間、私は全身全霊で法を暗唱し、発正念をし、「法輪大法は素晴らしい」を念じ続けていたので、体は軽やかになり、頭がはっきりとし、心は空の状態になって、どこを見ても心地よく感じました。それは、師父が広々とした慈悲、無辺な大法で、私の後天に形成された高慢で、自己中心的で、利己心、貪欲な心、多くの情、色などのよくない物質を解体して下さったお陰だと、自分は知っています。

 案件の公文書はすでに検察庁に回りました。不当な裁判に直面している私は、法律の関係者に対しても全く恨みがなく、かえって彼らに同情しました。師父はこのように説かれています。「実は最も害されているのは世の人々です。これらの邪悪生命は今回の迫害を利用して未来の世の人々の命を絶とうとしています。ですから、私たちは慈悲をもって世の人々に対処しなければなりません。彼らに真相を伝え、救い済度すべきです。法がこの世を正すその瞬間に彼らが淘汰されないようにしなければなりません」[4]

 師父の教えに従って、私は連れ合いと一緒に市検察庁に行き、案件に直接関わる検察官を訪ねました。

 若い女性の検察官と私はある部屋の椅子に腰掛けました。私は慈悲深く彼女を見ると、彼女も微笑んでこちらを向いていました。私は「お嬢さん、ご多忙中と思いますが率直に話します。私はもうすぐ80歳になりますが、法輪功を学んでから十数年来、元気で身体が軽くなりました。悪い癖や短気な性格も治り、世間の衣・食・住や、名、利、情などに対して、すでに去り行く雲のように淡泊になりました。生きている間に他人のために、社会のために有益なことをしたくて、多くの迫害の真相を伝え、多くの人を救いたいと思っています。今日、あなたのために来ました」と話かけました。

 「そうですか?」、若い検察官は理解できていないようでした。

 「あなたは多くの案件を処理したことがありますか?」と尋ねました。

 「この社会は乱れすぎて、案件も多すぎます。暴力、強奪、窃盗、詐欺、賭博、娼妓、汚職、賄賂など、様々な案件を経験したことがあります」と検察官は誇らしげに答えました。

 「これらは社会風紀を壊し、国民に危害を与えることに対して懲罰することは、皆よい事です。悪を懲らしめ、善を広めることになります」

 「とんでもないことです」と検察官は言いました。「これらの訴訟事件の中に法輪功修煉者がいますか?」と聞きました。

 「いません。確か、いないはずです」と検察官はちょっと考えてから答えました。

 「私はこれらの罪を一切犯していないのに、あなたはなぜ私を起訴しますか?」と聞きました。

 「あなたは法輪功の真相が書かれた内容のショートメールを送信したでしょう。それは刑法300条に違反しています」と検察官は自信満々に答えました。

 「それでは、300条が何かを話しましょうか」と言うと、「いいですよ」検察官は答えました。

 私は「法輪功を迫害する首謀者・江沢民は、権勢を利用して法律を乱用し、すべての法律部門は落ちぶれて犯罪組織となりました。あなたは法律に詳しい人ですから、簡単に説明するとすぐ分かると思います。公安局が付けた罪名は、『邪教組織を利用して法律の実施を破壊する罪』と言います。しかし、私の犯罪の事実は、人々に『法輪大法は素晴らしいを念じれば、災難から逃れられる』というメールを送信しただけです。法輪大法は佛法であり、佛法は限りなく力を持ち、誠心誠意に佛法を信じれば、災難の中で神のご加護を得られます。あなたが信じても信じなくても、誰に対しても危害がなく、損失も一切ありません。法律の実施を破壊するなんて、考えられない話です。このような簡単な道理です。そうではありませんか」

 彼女は答えず、何かを考えているようでした。

 私は引き続き話しました。「どんなに高いレベルの知識人でも答えられないと思います。こんなに分かりやすい道理は誰でも知っています。知っていながら、犯罪に走っているのはなぜでしょか? それは江沢民と610弁公室の弾圧を恐れ、また、自分の名誉と利益の損失を蒙ることを恐れているため、自分の良心に背いて法輪功を迫害しているのです。法廷で私はこの法律の条文に基づいて、必ず追及します。その時になれば、あなたは答えられますか? 答えられなかったら、あなたのメンツはどうなりますか? それに、法輪功は『真・善・忍』の理念を基準として、人に良い人になるようにと教えている功法です。私に判決を下せば、冤罪を作り出すことになりませんか。自分の良心に対してどう言い訳しますか。しかも、法輪功を迫害する者はいずれ必ず清算されます!」

 彼女は静かに聞いていました。

 私はさらに続けました。「誰があなた達を害しましたか? 江沢民です。誰があなた達を救っていますか? 法輪功修煉者です。現在の情勢下で、公正に正義を広めることは確かに難しいものです。私もあなた達を理解し同情します。しかし、具体的にどのように把握するかは、やはり考える余地があります。それに、上層部の誤った命令に従えば、執行した本人も責任を負わなければなりません」

 彼女の口は動いただけで、声が出ませんでした。表情から見ると私の話に賛同したようです。

 「あなたは迫害の真相をまだ知らないかも知れませんが、法輪功修煉者は『真・善・忍』の理念を遵守し、他人を傷つけることはしないはずです。江沢民が天安門焼身自殺事件を作りあげ、法輪功を罪に陥れ、国民の法輪功に対する恨む感情を煽いだのです。今日まで、どれぐらいの法輪功修煉者が迫害によって亡くなったのか、現段階ではまだ統計が出ていません。さらに残忍なのは、麻酔をかけずに生きたままの修煉者の身体から臓器を摘出して、売買し莫大な利益を上げ儲けていることです。これはこの地球上でかつてなかった最も残酷な罪悪です! 労働教養所で警官らは十数種の拷問で修煉者を苦しめている場面を、私は目撃したことがあります。馬三家労働教養所は、尹麗萍さん、鄒桂栄さんを含めて9人の女性法輪功修煉者を男性の監室に一緒に閉じ込めました。この女性修煉者たちの余りにも悲惨な境遇は、想像を絶するものです!」と言い終えると、私は思わず涙が溢れました。彼女はすぐにティッシュを取って拭いてくれました。

 話が終わった後、彼女は立って両手で私を支え、駅まで送ってくれました。「おじいさん、お体を大事にして下さい。気を付けてお帰りになってね、私はよく分かりましたから」と何度も言いました。

 間もなく、この案件の責任者は変わりました。

 主役を演じる

 検察官に真相を伝えた後、公安局・検察庁・裁判所などの部門に真相を伝える道のりが始まりました。洗脳班での2カ月間、法の暗唱と発正念をしましたので、今後の学法と発正念のためにも基礎を築きました。帰宅してからも、時間を無駄せずに学法と発正念をし、目の前の迫害について、どう対応すべきかを真剣に考えました。その時、私は三つの認識がありました。

 一つ目、根本からこの迫害の存在を否定することです。師父はこのように説かれています。「私たちは旧勢力そのものが現れたこと、それらが按排した全てまで否定しており、旧勢力の存在自体を認めていないのです。私たちは根本から旧勢力の全てを否定しています。旧勢力を否定し排除する中で皆さんが行った全てこそ、威徳あるものです。それらが作った魔難の中で修煉するのではなく、それらを認めない中で自らの道を正しく歩むのであって、旧勢力そのものによってもたらされた魔難の現れを消滅することさえ認めないのです」[5]。自分の観念からこの迫害に対する認識を変えなければならない、宇宙大法は必ずしも迫害の中で魔難の中で高められ圓満成就するものではありません。根本からこの迫害の存在を否定しなければなりませんと、私は認識しています。

 二つ目、これは自分の修煉を向上させるため提供されている階段です。師父はこのように説かれています。「実は、旧勢力が按排した邪悪な迫害も皆さんを試すために存在しています」[6]。自分が悟ったのは、迫害が現れたら、その魔難自体の苦しみに耐えさせるためのものではなく、私たちに考えさせるためのものです。内に向かって探し、どこに師父の要求通りに従わなかったのか、どこが法と一致しなかったのか、何の執着心が出て来たのか、探し出して、それを取り除きます。これこそ高められるチャンスです。これこそ良い事です。もはや迫害ではなくなります! 自分の場合は、高慢、自己中心、情、欲、色、世間の幸せに対する未練等々、すべて自我のためのものであり、「私(し)」のためこそがこれらの執着心が生まれる根本的な原因です。その後、「私」と関係するもの、自分の利益に関するものに対して、絶対にいらないし、取り除くようにと意識できるようになりました。すると、高慢、自己中心、情、欲などのものは、私から遠ざかっていきました。他人のための事なら、私は後ろへは引かずに行います。師父のおっしゃった「まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[7]の境地に近づいていき、高めることができました。まさにこの迫害は私を向上させるためのものであるとなりました。

 三つ目、これは衆生を救い済度するチャンスでもあります。もし、私はこの迫害を認めるなら、自分に苦難をもたらすだけではなく、法律部門の人員に大法に対して罪を犯させたことによって、悲惨な結末を迎えることになります。ですから、決してこの迫害を認めるわけにはいきません。この迫害を解体するには、まず執着心を取り除いて、自分を正します。もう一つは、各法律部門に迫害の真相を伝え、彼らの良知を呼び覚ますことです。両方のことをすべてやり遂げられれば、この迫害は本当に解体されます。この迫害は、大法弟子の主役として衆生を救い済度の最も良いチャンスであり、自分を輝かせる時機でもあります。

 このようにして、私と連れ合いは公安局、司法局、裁判所、政法委、610弁公室、陳情部門、市役所、党委員会、人民代表大会などの各部門を回りました。会ってくれなかったら、家まで訪ねに行きます。それでも会ってくれなかったら、玄関の前あるいは途中で待っていました。それから、善を勧める手紙を大量に書きました。1通1通の善を勧める手紙と真相資料は、それぞれの部門に送り届けました。

 裁判が無効になる

 私の案件は開廷してから間もなくいい加減に終了され、それが4回繰り返されました。今回、公安局・検察庁・裁判所、610弁公室は、他の県・市の数百人の武装警察官、特別警察までも調達し、大変な勢いで、厳重な警備体制がひかれました。公安局・検察庁・裁判所、610弁公室、政府機関のトップの者は、すべて自ら現場へ臨みました。裁判の前日から、裁判所の周囲のホテル、商店などはすべて休業させられ、通行止めの区域となりました。周りの住民には「手ぶらの80歳の普通の庶民に対して、なぜこのように怖がっているのだろうか、法輪功は本当にすごい!」と思われました。

 現地の大法弟子は皆やって来ました。足の不自由の人までも杖をついて現場まで駆けつけ、大法弟子の正のエネルギー場を形成しました。そして、裁判所の至る所には私服警官らも大勢いました。

 裁判はただ表面形式の流れで、最後に「合法的」に判決を下すことを目的とするものです。法廷側の最初から最後まで言い続けた言葉は、「法廷の規律を守る」でした。法廷では、弁護士の弁護を許さず、裁判の槌で机を叩く音が乱れるほど絶えませんでした。弁護士は襟を掴まれ外へ引っ張り出されました。

 私は、自分の修煉の経歴と中国共産党に迫害された事実を述べ、無罪を主張しました。

 裁判はいつものようにいい加減に終了しました。書記員は私に署名させた時、私は堂々と署名しました。それらは、彼らが決めるものではなく、師父が掌握されています! 大法弟子が決めることです! 私は裁判の記録簿に以下の内容を厳粛に書きました。

 (1)検察官が起訴した「犯罪事実」は成立していません。

 (2)被せられた罪名は、事実との関連性がありません。

 (3)法廷は裁判のやり方や秩序に違反しています。

  よって、裁判は無効です!

 判決を破棄する

 一審での裁判は終わりました。懲役5年の実刑判決を宣告されました。書記員が私に署名させた際に、私は穏やかな表情で、しっかりと大きく「判決を破棄する」と書きました。そして、日付を明記しました。

 私は空を見上げて、「私の師父が掌握なされています」と固い意志で言いました。

 恐らくまだやらなければならないことがあると自分には分かっています。私は法律に基づいて、上層の検察庁、裁判所などの法律部門に対して、迫害の真相を伝え、善を勧める手紙と真相資料を郵送し始めました。

 半年後、「一審判決を維持する」と二審の結果が出ました。その日、ちょうど「5・13」世界法輪大法デーの日でした。私は裁判長に「今日、私の師父のお誕生日なので、法廷には行きません。結果はすべて分かっています」と電話をかけました。そして、連れ合いと一緒に当日の祝賀イベントに参加しました。私達は集団学法をし、煉功をし、交流を行い、師父に線香を立てて、ひざまずいて拝みました。世間の表象はすべて仮相で、本当のことはすべて師父が掌握されています。師父が私に「必ず無事です! ずっと無事です!」と悟らせて下さっています。自分はこのように会得しています。

 私は同修の家で数日留めてもらい、外に出て対面で迫害の真相を伝え始め、今日に至っています。

 師父を拝みます!               合掌

 注:
 [1] 李洪志先生の著作:『轉法輪』
 [2李洪志先生の著作:『精進要旨二』「妨害を排除せよ」
 [3] 李洪志先生の著作:『精進要旨三』「政治に参与しているのではない」
 [4] 李洪志先生の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [5] 李洪志先生の著作:『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」
 [6] 李洪志先生の著作:『精進要旨三』「正しい道を歩む」
 [7] 李洪志先生の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

(明慧ネット第14回中国国内の大法弟子の修煉心得交流会より)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/11/13/356191.html)
 
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