1年余り法を暗記して得た体得
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年1月21日】大法を修煉し始めたのは1999年でした。当時、喜びで胸をいっぱいにしながら、感激の気持ちは言葉で表せないほどでした。その時から、法を暗記することを始めました。しかし、その時はまだ法を暗記する要領を掴むことができなかったため、1段落の法を暗記できたと思ったら、前に暗記したばかりのものを忘れてしまい、また最初からやり直す、その繰り返しでした。何時になれば全部覚えることが出来るのだろうかと思い、自信をなくし、大きなダメージを受けました。法を暗記する恒心と根気が足りなかったため、わずか2ページ半程の法しか暗記できませんでした。

 2016年、私は再び法を暗記したいと思いました。そう思う原因は多くありました。それは、学法する時に眠気に襲われる、頭の中に雑念や思想業が多い、また、法を暗記することは自分が最も早く法に同化できる良い方法だと考え、近道を利用したいという思いでした。しかし、法を暗記したい思いはありますが、心を決めることはとても難しく、「本はこんなにも分厚く、何時になれば完全に覚えられるだろうか?」と、また躊躇し始めました。「1日1ページを覚えれば、1年で覚えられることができ、1日に2ページを覚えれば、半年で覚えられることになります。2ページならぎりぎりできる」と考えました。「ならば、いつから始めようか? もうすぐ4.25なので、よし、その日から始めよう」と決めました。

 法を暗記し始めた頃、師父が私を励ましてくださいました。数日の間、自分の身体はまるで羽のようになり、ふんわりと軽くて、とても玄妙な感じでした。息子は私が法を暗記し始めたと聞き、「お母さん、倦(う)まず弛(たゆ)まずに頑張って」と言いました。これは師父が息子の口を借りて私を励まされているのだとわかりました。師父のご加持の下で、その時の私は自信に満ちて倦怠感も疲労感もなく、毎日元気よく、精一杯に、自らを奮い立たせて、夜12時の発正念の時刻まで、法を暗記し続けていました。7月12日、第1回目の法の暗記ができました。7月は受験生の収穫の季節ですが、私の収穫の季節でもありました。

 私の法を暗記する方法はとても不器用なものでした。その方法は法の一言ずつを覚えていき、句読点のところで一区切りとします。一言ずつ区切って覚えていき、そして、覚えた四つ、五つをまとめて繋いでいくもので、このような覚え方は正に「まる暗記」そのものでした。最初の2回はこのようにして覚えましたが、とても苦労しました。3回目に、師父が私のやり方はあまりにも要領が悪いと思われてか、同修の口を借りて教えてくださいました。同修は私に「法を数行まとめて2、3回読んでから、試しに暗記してみると、大体の内容が覚えられるようになるよ」と言ってくれました。この方法を試してみると以前と違って時間がかからない上に、スピーディーに覚えることが出来るようになりました。私は毎回法を暗記した後の感覚が違い、新しい発見がありました。ある日法を暗記した後、丁度正念の時間で、いつもの発正念の感覚と全く違っていました。私の体中のすべての細胞が微笑んでとても嬉しそうでした。嬉しいはずです。私が法を暗記すると同時に身体の細胞が皆、大法に同化されるのです。どうして、喜ばずにいられましょうか。当然のことに大喜びしていました。

 法を暗記することを通して、私の頭が清浄になり、妄想することもなくなりました。座禅する時に入静することができ、発正念もよい状態になりました。以前、同修と真相伝えに出かける時に怯えていましたが、法を大量に覚えるにつれて、外に出かけて真相を伝える時の恐怖心が段々と減り、心が落ち着き、伝えた真相の言葉も説得力が増しました。

 法を覚えることを通して、自分自身の多くの欠点を見つけることが出来ました。自分の欠点なので普段は認識していません。しかし、同修に指摘を望むことも難しく、表に現れていない部分もあり、表に現れていても、同修は遠慮している場合がありますので、本人にとって分かりづらい部分があります。しかし、法はすべての不正を正せるのです。たくさんの欠点を見つけることが出来ましたので、直ちに自分を見直すことにしました。私は空き時間を殆ど法を覚えることに割り当てました。関を乗り越える時に、以前よりも早く乗り越えられることに気づきました。なぜならば、常に『轉法輪』の本を手元に置き、また、暗記できた師父の法が脳に浮かび上がってくるため、心性の関に遭う時、心性を守ることがほぼできる基盤ができているからだと思います。

 法を暗記することを通して、自分の朝寝坊を突破することができました。今、毎日朝3時40分に起床して煉功します。以前も早起きして煉功していましたが、いつまでも寝不足の感じがして、1日中あくびばかりして、まるで徹夜をしていたかのようでしたが、今はもう倦怠感などありません。自分がそれを突破するのに師父のご加持を受けたことを覚えています。師父に感謝いたします! 法を暗記するにつれて自分の主意識がますます強まり、すべての考えは本来全部自分の主意識からのものではなく、それらの考えは外来の信息や執着心の指示によるものだと気づかされました。

 ここ最近、法を暗記することが妨害に逢いました。本を手に取って法を覚えようとすると、暗記したくない考えが現れて胸に何かが詰まっている感じがして、どうしても覚えたくないのです。どうも怪しいと思い、以前、法を暗記する時に常に楽しく行えたのに、なぜ今は辛く感じるのでしょうか? これは何かの妨害に違いありません。私は発正念しました。「法の暗記を妨害するすべての邪悪生命を取り除き、全部死滅します」。発正念を終え改めて法を暗記し続けたら、すべて元通りになりました。

 それと同時に、偽りの自分の存在も発見しました。この偽りの自分はとても利己的で、自己を保護することが上手で、そのために多くの経験を積みました。この偽物は自分の事をよく知っていて、場所柄をわきまえて応対する方法を自由自在に操っています。いわゆる「即座に考えずに発言する」ことは全部この偽物の仕業でした。最も根本的な目的はさらに多くの利益を得て、自己を保護して自分が傷つかないためです。自分の正念が強い時にはこの偽物を否定することができ、法に基づいて物事を行うことが出来ます。しかし、気を緩めると自分の行動は偽りの自我に占領されてしまいます。

 法を7回ほど暗記しましたが、時々刻々法に則って、厳しく自分に要求することがまだできていません。弛めている時、真の自我は自分を司る(管理する。支配する)ことが出来ません。後天の偽物が働きかけてくるのです。その時の行為は修煉者としての行いではなくなります。師父は「法を学びて法を得る、比べて学び比べて修す、事々対照し、做すところ到るは是れ修なり」[1]の法を説かれました。これから私は「事々対照」ができるように頑張りたいと思います。

 以上は、私が1年余り法を暗記した体得を、書き出してみました。次元の限りありますので、不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『洪吟』「実修」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/14/353713.html)
 
関連文章