文/中国の大法弟子 茹苦楽
【明慧日本2018年3月4日】2年前、私はY社に入社し、製品開発を担当しました。入社する1週間前はちょうど大晦日で、私は留置場で過ごしていました。きっかけは『九評共産党』を一人の大学生に配ったと連行され、15日間不当に留置されました。留置場でお正月を過ごし、出たのはすでにお正月の9日でした。出てから急いで仕事を探し、このY社に入社しました。プロジェクトはあるシリーズの教材を開発することでした。当社は中国の多数の会社と同じであり、表では「人間本位」をアピールしていましたが、裏に「合理的な要求は訓練であり、不合理な要求は試練である」といっていました。目標管理の圧力は毎月、毎日、毎時間までかけられ、給料はわずか2000元前後でした。
ある日、朝礼が終わり、事務所に戻ったら、後ろの王さんは書類を片付け、みんなの前で辞職しました。「劉社長にあいさつに行かないのですか?」と同僚に言われると、王さんは「劉社長にあいさつ? 絶対にありえません」と怒った顔のまま行ってしまいました。事務所はしばらく静かになり、プレッシャーが重いと感じました。プレッシャーに耐えられず、退職してしまったのは、王さんで17人目でした。
しばらく経ったら、劉社長は私にプレッシャーをかけてきました。私の部下全員と他部署のマネジャーの前で、凄まじい勢いで怒り、私の責任かどうかを問わず、全てを私のせいにしました。会議室はひっそりと静かで、みんな困っている様子でした。そのとき私の気持ちは穏やかで「何を言われても、劉社長は仕事のためだから、私の責任でなくても、全く根拠がないと言えない」と思いました。
劉社長の話が終わった途端、みんなまだボーっとしている時に、私は拍手をし始め、平然と「劉社長にご指導いただき、ありがとうございました。今後の方針を教えていただきましたので、私達は必ず問題を反省し、やり直します。劉社長、ご安心ください!」と言いました。劉社長は驚きながらうなづいて、会議室から離れました。みんなはホッとしました。
このようなことは、Y社で時々起こりました。一部の同僚は退職し、一部の同僚は黙って我慢していました。私は「上司の指摘は全く道理がない訳ではない。しかも、指摘されたら、私にとって勉強にもなる。素直に対応したら、上司の態度も変わる」と考えました。会社の上から下までに、私の心理状態が良いと言われました。しかし、彼らが知らなかったのは、私はすべての困難を関として乗り越えようとしていました。常に『轉法輪』の中に書かれた「忍び難きは忍びうる」の法理を考えて、どんな状況でも平然と対応することができました。職場でも心性を向上させることもあります。
半年後、会社の組織を調整し、私はマネージャーに昇格し、月収は倍の4000元になりました。
それからの半年間、私は損得を気にせず、真面目に働き、教材を開発する経験を積みました。プロではなかったのですが、会社の中堅社員になりました。これをきっかけに、私はY社で国語教材の研究開発プロジェクトを中断し、順調にW社に転職でき、教材の研究開発の仕事を続けました。
しかし、W社に入社してから、環境に適応する問題に遭いました。私は会社に現場教学の仕事に派遣されました。4000元の給料は2回に分けられ、1回目は期末にもらい、条件は進学率60%を満たすことでした。夫にとって、W社は社員を駒として利用していたので、不平と不満がいっぱいでした。そして、現場での教学を経験してきた新人達は、1カ月足らずで、半分以上去ってしまいました。彼らにとって、W社では人間扱いをされず、仕事が重く、給料が低かったのです。彼らは不公平だと思い、損得を考えていました。彼らには彼らなりの道理がありましたが、私は給料が高くもなく低くもなく、いかに給料の価値以上働くことしか単純に考えていませんでした。上の人達の立場から考えれば、彼らはもちろん「相馬眼」になりたかったけれど、私達はすでに千里馬になっていたのでしょうか? 現在、目の前のことは、手元の仕事をしっかりする他にありませんでした。
私は家族からの圧力に耐え、家族を慰めながら、一生懸命仕事をしました。他の同僚からの噂を排除し、授業内容の面白さと効率性を着実に工夫し、順調に教学の目標を達成できました。
学期が終わる前、私は会社の研究院へ教材の研究開発で出向しました。上層部は研究開発部の人員募集広告を出してから半年経っても、適切な専門人員が見つからなかったと悩んでいました。私は前職で積んだ人脈から、2週間ほどで、専門家が集まってきました。
一時的に、会社の上から下まで褒められ、「徳の高い人」、「才能がある」、そして「会社が再編して以来、初の通報表彰された人物だ」等々と言われました。当月また、「職務は研究開発部の部長に昇格し、月収は8000元になる」との噂を聞きました。
正直に言えば、私はこの業界の新人であり、才能もありませんでした。秘訣と言えば、常に李洪志先生の『轉法輪』を読むことでした。自分を大法の修煉者として自覚し、他人のことを先に考えて、問題に遭えば自分から探し、着実に「真・善・忍」の原則で自分の一言一行を指導してきました。