営林場の一家 佛恩に感謝する
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文/中国の大法弟子 喜蓮

 【明慧日本2018年3月18日】私と夫には3人の娘と1人の息子がいます。彼らが皆町の寮に住みながら勉強していた当時、その費用を賄うため、私たち夫婦はせっせと働いていました。その後、娘らは皆大学に入り、息子は勤務先が決まりましたが、私は疲れきって病気だらけになりました。

 1997年私は営林場を出て、町の病院に診てもらいに行きました。そこで娘の姑が法輪大法を修煉して健康になっている姿を目にしました。私は彼女と一緒に法輪功煉功に行って学法し、煉功もやりました。数日後知らないうちに病気が治り、体が軽くなり、この功法は本当に素晴らしいと思いました。

 家に帰ってから私たち夫婦は野良仕事をやめ、小さい畑を人にあげました。夫は定年退職していましたが、わが家に煉功場を作り、毎朝外で煉功し、夜は一緒に学法し、坐禅をしました。大法の要求で厳しく自分を律し、同修たちと至るところに行き法を広めました。人々に人間になったのは返本帰真のためであり、先天の本性に戻るべきだと伝えました。

 あの当時は、毎日師父のご加護を感じ、幸せでした。

 一度、山で働いている時スズメバチに刺されました。修煉しない人なら大変苦労するはずですが、私はたった1日休んだだけで治りました。

 また一度不注意で足に熱湯がかかってやけどをしました。ひどく痛みましたが注射をせず、薬も飲まず、数日で治りました。これは法輪大法を修煉して現れた不思議なことであり、師父が守ってくださったのです。

 2015年の夏、私は自転車に乗ってマンションの角を曲がろうとした時、急に現れたオートバイにはねられました。私は当時70歳を超えていました。すぐ起き上がることができませんでした。私は心の中で「私は大法弟子だから、大丈夫だ」と言いながら、頑張って立ち上がろうとしましたが、頭がくらくらして、しっかり立つことができませんでした。

 オートバイに乗っていた若者は「病院に行きましょう」と言いました。私は「私は法輪大法の修煉者です。大丈夫です。行っていいですよ」と伝えました。彼はお金を出して、私に渡そうとしましたが、私は受け取りませんでした。修煉者として他人のお金をもらってはいけないからでした。家に帰った後、子ども達は私の顔が黒く腫れていて、両目も開けられないのをみて、非常に怖くなり、私を病院へ送り、また私をぶつけた若者を探して、医療費を請求しようとしました。私は自分が修煉者なので大丈夫だ、更に私をぶつけた若者に賠償してもらってはいけないと伝えました。3日過ぎたら治りました。子ども達も「本当に不思議ですね」と感服しました。

 2013年夫は全身の皮膚の下の筋肉の外側にできものが出来ました。またそれが皮膚の下で動いているのも見え、痒くてたまりませんでした。そのため夫は昼も夜も眠れなくなりました。絶えず学法し、発正念をしたら、これらの小さな出来ものは肘に集まり、アヒルの卵の大きの瘤になりました。孫は焦りだし、どうしてもおじいさんに手術してもらおうとしました。夫は「私は大法弟子であり、師がいらっしゃり、法があるので大丈夫だ」と断りました。予想通り、しばらく経つと瘤は知らないうちになくなりました。夫も非常に精進していました。常に私たちと一緒に大法の真相を伝え、三退を勧めて人を救っていました。また江沢民を告発し、病業中の同修が関を乗り越えられるよう発正念をして助けてあげました。

 こういうこともあります。末娘の夫が浮気をしていて、常に娘を殴ったり、罵ったりして、虐待して、離婚を要求しました。離婚してから、娘は子供を連れて深セン市に行き、学校の先生になりました。数年後、子供が成長し、娘の給料もかなり高くなりました。別かれた娘の前夫はまともに生活することができなくなり、また娘のところに戻ろうとしましたが、娘は許しませんでした。私と夫は娘を説得しました。我々は大法弟子の家族は寛容で、我慢すべきであり、彼にもう一度チャンスをあげましょう、と伝えました。こうして彼らは再び一緒になって幸せになりました。婿と婿の両親は私たちに非常に感謝し、みな大法の素晴らしさを知り、三退しました。

 我が家の子供たちは皆法輪大法の素晴らしさを知っています。一番上の娘は天津でエンジニア、二番目の娘は高校の教師、末娘は深セン市の小学校の教師を勤め、息子は電気技師です。上司は彼らを抜擢しようと思って、中国共産党に入る申請書を書かせようとしましたが、彼らは「両親が法輪功を煉っています。私達は共産党には入りません」と断りました。

 1999年7月20日、江沢民のならず者の集団は法輪功に対して狂ったような弾圧を始めました。私たち夫婦は師父と大法のために公正を求めようと決意しました。環境が非常に厳しかった2000年に私たちは山から街へ引っ越しました。当時大法弟子の間で大法の資料を運ぶ仕事は非常に難しいことでした。私は自らこのことを引き受けました。私は山から引っ越して来たばかりで、警官たちは私と面識がなく、毎度私は警官やパトカーに会っても、理性を持って対処し、安全に送ることができました。 

 『九評共産党』を配布する時、私たちはできる限り街の隅々まで資料を配布しました。もし雨や雪が降ると、比較的安全な夜に山にある一つ一つの家に資料を配布しました。

 一度同修が団地に師父と大法を誹謗する宣伝板があると言いました。それを聞いた私はすぐ動きだしました。同修たちと一緒に発正念をしてから、師父の加持の下、たった2分で取り除きました。警官たちは半年も大騒ぎしましたが、結局誰がやったか解明できず、力強く邪を鎮めることができました。 

 私はすでに70歳を越えましたが、資料の配布や、法輪功の真相の書かれたステッカー張りや、真相を伝える電話をかけたり、面と向かって三退を勧めたりするなどすべてできます。もし私が家にいなければ子供たちは自ら私たちを助けて大法のことをやってくれます。大法のことをやった人はきっと恩恵を受けます。一度息子が職場の買ったばかりの車を運転して山へ人を送りました。帰る時道が滑りやすくなっていたため、急に車が谷に落ちました。この区間は地形が険しく、常に自動車事故で人が亡くなっていました。息子は車と一緒に落ちました。車は大きく破損しましたが、彼は体に小さな傷もなく無事でした。皆これは親が法輪大法を修煉して息子が恩恵を受けたと言いました。

 今私の子供たちはみな睦まじく幸せで、孫たちはみな皆大学に通っています。これは全て師父と大法の保護の下で得た福です。家族の皆は浩大な師恩に心からお礼を申し上げます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/2/7/357467.html)
 
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