「『処方する』のではなく、共に内に向けて探すべきだ」を読んで
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2018年8月24日】師父は「同じ心にて世間に来る」[1] と説かれました。同修の間の善は、私達が互いに励まし合い、助け合いをさせることで、私達はさらに精進し、しっかりと三つのことを行なうことができるのです。最近、同修のAさんとの交流は、私にこの問題をさらに認識させてくれました。

 同修のBさんはこの2年間、家族が中国共産党から迫害を受けるだけでなく、Bさん本人も経済的に迫害を受け、毎月数百元の生活費しかもらえず、自分と子供の生活すら維持できなくなりました。BさんはAさんとの交流が多く、よく自分の執着を探してほしいと相談し、Aさんも一緒にいろいろと執着心を探してあげました。

 最初の頃、私達はBさんを助けるため、Bさんを迫害する関係者をリストアップし、彼らに真相の手紙を郵送しました。しかし、Bさんの境遇は改善されませんでした。Bさんも自ら上司と何度も交渉し、奪われた給料を取り戻そうとしましたが、問題はやはり解決出来ませんでした。

 ある日に、私はAさんと交流した時、Aさんは、「Bさんはこれほどひどい経済的な迫害を受けています。私は彼女と一つの全体ですので、私も内に向けて探すべきです。私にも強い利益心がありますから」と言いました。Aさんの話を聞いて、私も急いで内に向けて探し、「私達大法弟子は一つの全体ですから、私も内に向けて探さなければなりません。実は私にも強い利益心もありますから」と言いました。

 今回の交流をしてしばらく経って、Aさんと会いました。Aさんは「Bさんの給料問題はついに解決しました!」と言ったので、私はとても嬉しくなりました。「こんなに早く解決できるとは思わなかったわ! 本当に『修は己にありて、功は師父にあり』[2] ですね」と私は言いました。

 私達が同修を助ける時、自分がいくら上手に話をしても、いくら高く悟ったとしても、それはすべて大法と師父の啓発によって得たものではないでしょうか?

 実は何もかも師父と大法が私達にくださったものです。私達はただただ大法の要求通りに行ない、師父の話をよく聞き、「互いに励まし合い、共に精進する」[3] しかありません。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「願 を了す」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「ロシア第二回大法法会へ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/16/372517.html)
 
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