内に向かって探す事により環境が改善された
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文/ベルギーの大法弟子

 【明慧日本2018年9月3日】私は子供の頃に良い生活に憧れて多くの執着心が生まれ、私の生活に大きな影響がありました。カトリック教徒の私は常に良い人になりたい、生命の意義は何か、何のために人が生きているのか、などを問いました。困難に直面した時にどう対処するか、それを教えてくださる師を見つけたかったのです。

 修煉について理解し始める

 2009年、46歳の時に私は息子から法輪功を紹介してもらいました。修煉の道を歩んでから、私は毎日李洪志師父の『轉法輪』を読み、煉功をしました。心から自分は修煉するために来たとわかりましたが、始めの頃はこの功法の要求が高すぎて、私の能力を超えていると感じました。それでも私はあきらめず続けました。修煉そのものに対する疑問はありませんでしたが、自分を変えることができるかどうか心配でした。

 ある眠れない夜、発正念をしている時に私は心の中で、自分の行ないが正しいかどうか分かりませんと師父に語り掛けました。絶望感と疲労感に押しつぶされそうになったその時、部屋の中に突然ピンクの光が現れました。ごく短い時間でしたが、それは師父の激励だと感じました。師父がいつも私のそばにいらっしゃり、私を助けて下さるのだと思った瞬間に、今までの心配がなくなりました。

 それから私は大法に従ってより良い人になり、心性を高め、師父の要求された「三つのこと」を行ないました。この「三つのこと」は学法、発正念、法輪功の真相と中国共産党による修煉者への迫害を伝えることです。

 ある日、私が同僚と歩いていた時、犬と散歩する人に会いました。犬の目が赤く光っていたので、私は避けようとしているうちに、いきなり犬が私に飛び掛かってきました。突然の出来事ですが、私は怖がらず優しく撫でであげました。すると犬は私を攻撃せず、ただ足跡を私の白いジーンズに残しました。「あなたにはきっと守る天使がいるはずだ」と同僚が言いました。

 仕事の中で修煉する

 学法や法を聞くなどを通じて、私は大法について基本的に理解し、日常生活の中でできるだけ真・善・忍に従い、トラブルが生じたときに、内に向かって自分の原因を探すようになりました。修煉の道では偶然なことはなく、試練があるので、トラブルに遇った時に、修煉者の基準に基づいて対処すべきだと理解しました。

 私は大手企業のコールセンターに勤め、仕事の中でいじめなどを含むトラブルや困難に遭遇することがしばしばあります。私に対する期待が高く、特に難しい問題が生じた際、一層の努力が求められ、正しく解決する方法について私も分からない場合がありました。

 ある日、同僚から私が顧客に協力しなかったと文句を言われたために、経営者の事務所に呼ばれました。動揺していた時に、私は師父の法を思い出しました。「業力を転化させるにあたっては、しっかり自分を制御し、常人のように正しく対処できないことによる失敗を避けるために、平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません。そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます。平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一呼吸おいて考える余裕があります」[1]

 私は落ち着いて、正念を発しました。仕事を受けた私は「部門の責任者の指示に従います」と言うと、経営者は私を職場に戻し、何も悪いことがありませんでした。

 私の仕事はプレッシャーが大きいため、ほかの仕事を探そうと思いましたが、見つかりませんでした。修煉によって私は困難に対する正念をだんだん強め、真面目に仕事をしました。

 私は同僚に法輪功が迫害されている真相を伝え、皆さんに法輪功学習者への臓器狩りに反対する署名をお願いしました。

 仕事の量が増え、私に対する期待も増える一方でしたが、人手を増やしてくれず、私はできるだけ残業に応じるとともに周りの人を助けました。私は上司、同僚、それにお客さんに対して、誠心誠意に包容力のある態度で接し、仕事に励みました。職場で私の評判が良くなり、難しそうな顧客があった場合、上司はいつも私に対応させました。

 その一方、私は仕事がより楽になったように感じ、仕事が好きになり、人間関係も大きく改善されました。トラブルに直面する際に、自分のことを強調せず、冷静な態度で対応できるようになったので、周りからも尊敬されました。

 私の会社は経営上の理由で外国に拠点を移すことになり、たくさんの社員がリストラされましたが、私は動揺せず最後の日まで真面目に勤めました。

 困難の中で諦めずやり通す

 困難やトラブルに直面した時、以前私は往々にして落ち着いていられず、焦りや不安で眠れなくなりました。そのような眠れない夜は、煉功したり、学法や法を聞いたり、あるいは発正念をしたりします。時間が経つにつれて、苦しみもやわらぎました。師父を信じ、自分の忍耐力を高めることこそが解決への道だと自分に言い聞かせました。そして学法や同修たちと体験談を共有することによって、どう対応するかが分かるようになりました。

 師父は次のようにおっしゃいました。「これに対して、黒い物質の多い人は、ちょうど工場で製品を製造する時に、よけいな手順が一つ増えるようなものです。他の人を既成の材料とすれば、彼は生の原料で、あらためて一通り加工しなければならず、そういう過程を経なければならないのです。したがって彼はまず苦しみに耐え、業力を消して、それを白い物質に転化させなければなりません。まず徳という物質を形成してから、はじめて高く功を伸ばすことができるのです」[1]

 今の私はぐっすり眠れるようになりました。たまに近所の人に夜何かが聞こえなかったかと聞かれ、何も聞こえなかったと答えましたが、昔は逆に私がよく人に聞きました。

 師父は「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」とおっしゃいました。

 修煉する前の私は、短距離でかつ慣れ親しんだ道しか運転できず、暗くなると出かけることができませんでした。しかし、大法のことで夜に分からない道を運転せざるを得ないことがよくあり、最初は不安でたまりませんでした。夜盲症のため運転のスピードが出せないので、後ろの運転手さんがイライラして、クラクションを鳴らされたことが何度もありました。

 少しずつ私は恐怖心を無くすように努力して、車の流れに従って運転ができるようになりました。運転中に「済生」、「普度」など法輪功の音楽や、神韻の音楽、それに師父の説法録音などを聞いたり、発正念をしたりしました。私は修煉で心性を高め、恐怖心を放下する過程で、悪い事が良い事に変わりました。

 内に向かって探し環境が改善される

 師父はこのようにおっしゃいました。「われわれは、トラブルに直面した時、一歩引き下がれば世界が広々と開けると言っています。間違いなく違った世界が現われるのです」[1]

 数年前離婚した私は多くの問題に直面し、孤独がつらくて新しいパートナーを探そうとも思いましたが、見つかりませんでした。修煉してから、私は違う角度からこれを見て、そして自分の間違いも認識するようになり、前の夫と友人になりお互いに助け合うことができました。

 私は地域の活動に参加する時、人々に法輪功のことや迫害されている真相を伝えたり、真相のチラシを常にカバンに入れて配りました。多くの企業や政府関係の機構も私が一部のチラシを置くことに許可してくれています。

 この数年、私はより多くの時間を修煉に使うようになりましたが、最初の頃は生活の中で修煉することが分かりませんでした。当時仕事が忙しくて、ほかのことをする時間がなかったですが、今になって自分の使命や責任を大切にすることこそ修煉だと思いました。私がこのように認識してから、現状にも変化が現れ、私はより謙遜になり、能力を高め、時間にも余裕ができました。修煉に時間を使った分、効率も高くなり、環境も自然によくなることが分かってきました。

 私は時間を大切にして、やるべきことや法輪功の活動、それに個人の修煉をしっかりしなければならないと思うようになり、人から頼まれた時は、私心無く協力をし、自分の考えが正しくない時は、師父が教えてくださいます。現在私は人と接する際に、人を傷つけていないか、あるいは私の言動が認められているのかを考えるようになりました。

 それにしても、私にはまだたくさんの執着心があり、それらを放下しなければなりません。修煉の試練をうまく乗り越えられない場合もしばしばありますが、徐々によくなると思います。人に援助することで、私はたくさんの人と友人になり、より多くの人に法輪功の真相を伝えることができました。人を助けることは、自分のためにもなり、私も人から助けられることがよくありました。例えば、妹が私に夕食を作ってくれたり、フリータイムの仕事に顧客を紹介してくれたりしました。ほかの兄弟たちもこのようなことをしてくれますし、前の夫も私の住むマンションの電気や壊れたものを修理するなどして助けてくれました。

 私は良くないことに遭った時に、できるだけ心が動じないように、気にしないようにしますが、これは絶えず修煉する過程だと思います。

 師父は「もちろん、われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[1] とおっしゃいました。大法のどんな活動でも私の修煉と心性を高める機会ですし、師父と同修も私を高めさせてくれます。

 ある日私は大法の活動に参加しました。その日はとても寒かったので、何時間かで早めに帰ったほうがいいと言ってくれた方もいましたが、この活動は真相を伝える良い機会だと思い、最後までやりました。活動を順調に終え、運転して家に帰るときは、全身軽くて風邪をひくようなこともありませんでした。

 師父は「なぜでしょうか? われわれの修煉はほかでもない返本帰真を目的とするものですから、絶えず煉功を続ければ、絶えず回復し、再び取り戻します」[1] とおっしゃいました。

 毎日学法と煉功をして数年になりました。もし時間がなくてできなかった場合は、その後に時間を作りました。私は困難やトラブルに遭遇した際に、内に向かって自分の間違いを探し、このようなことが生じた原因を考える時に、師父の法を思い出します。そのほか、同修たちと修煉の体験を交流することにも役に立ちます。

 自分に対する要求を高めてから、私の修煉は改善され、昇進しましたが、気持ちが緩んだ時、私は自分を前に推し進めるために、内に向けて探します。

 法会や活動、プロジェクトなどに参加することも修煉を高める方法だと思います。私は明慧ネットで修煉の体験談を読んだり、放送を聞いたり、活動に参加したりしています。

 数年前から私は神韻のプロジェクトに携わるようになりました。そして自分の体に変化が起きたことに気が付きました。その時から座禅する時に両足が組めるようになり、健康状態がより改善され、髪の毛が増え、指の爪も固くなり、そのほかにもたくさんの変化が現れました。少し前から私は師父の「論語」を暗唱し始めました。

 この体験談を書きながら、自分を高める必要のある所をたくさん見つけました。同修たちの慈悲なるご指摘をよろしくお願いします。

 師父のおかげで私が法を得ることができたことに、感謝しています。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作『精進要旨』「修めるものはおのずとその中にいる」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/22/372675.html)
 
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