私たちは一体である
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2018年12月23日】毎回明慧ネットを開くと、私はまず中国大陸ニュースを開き、同修たちが迫害された状況が書かれた文章を読みます。しかしそこで邪悪を解体して同修たちの正念を加持するでもなく、現地の同修が迫害された内容がないかを確認し、もしあったら同修を迫害した派出所の住所をメモします。そして明慧ネットで文章を選ぶか、あるいは同修に邪悪な迫害を曝露した手紙を書いてもらい、その派出所へ郵送します。私たちの学法グループではみなこのようにやってきました。

 もしタイトルに現地での迫害がなければ、他所での迫害は私と関係がないように思い、読んでもさらっと流すだけで、心に留めていないだけでなく、心の中でやはり私たちの地区がよくできていて、ほかの地区は私たちより劣っていると思っていました。全く大法弟子の善をもって文章を読んでおらず、この良くない心が当たり前になっていました。それに私たちの学法グループの大部分の同修も、やはり私が地区に真相手紙を送ることを優先し、このようにすれば真相を知った警察も迫害をやめるだろう、と考えていました。この方法は確かに私たちの地区で大きな作用を果たし、現地の派出所の多くの警官は三退をし、私の知っている限りでは某庁の政府で仕事をしている書記と町長も4人三退しました。みながこの方法を認めていたので、この手紙を郵送する方法は何年間も続きました。

 9月5日の夜、集団学法のとき『轉法輪』を一講学んだ後、同修の劉さんが「私のところにまだ一元20銭の切手があります」と言いました。(現地に手紙を郵送する時は80銭の切手を使い、他所に郵送するときは1元20銭の切手を貼るため、現地に手紙を郵送するのに1元20銭の切手を使うと40銭が無駄になります)。同修がみな帰った後、私はマウスを下にスクロールしながら9月5日の中国大陸ニュースをみたところ、外地の同修の情報ばかりで、現地のニュースがなかったため、クリックして詳細を読みませんでした。しかしマウスを下へスクロールする途中、偶然湖北仙桃という文字を見かけました。心の中で私の市にはこういう地名がない、ないのならば手紙を郵送しなくてもよいと思いました。劉さんが残した1元20銭の切手は現地に手紙を郵送するときに使えばよい、40銭が無駄になり、また手紙を外地へ送っても私達の地区には役に立たないと考えていました。まるで他所は現地から遥かに遠く離れているようでした。ここまで思いついて中国大陸ニュースを読むのをやめ、別の内容を見始めました。

 その夜夢を見ました。若い女性が手に1枚の白い紙を持っていて、私をそばに呼びました。そして「あなた、仙桃、仙桃を覚えてください」と、仙桃の2文字を何回も繰り返しました。更に白紙を机の上に敷いて手で紙の上の文字を指しながら(彼女はまるですでに私が普段いい加減に仕事をしていてことを知っているようでした)、面倒がらずに白紙の上の数文字を注意して見させました。私は内心で彼女がぐどぐど喋っていると嫌になりましたが、メンツのためその数文字を見つめました。「仙桃承諾」というゴシック体の4文字がはっきり見えました。私は仙桃の後ろの2文字「承諾」をじっと見つめながら、口の中で繰り返して「承諾」、「承諾」、「仙桃承諾」とつぶやきました。夢から覚めたとき「承諾」の2文字がまだ耳元で駆け巡っていました。

 朝パソコンを開き、9月5日の中国大陸ニュースを探すと、ら湖北省仙桃市西流河町の派出所が最近大法弟子の生活をかき乱したと書かれていました。この文字を見て私は本当にビクッとしました。なぜなら夢のなかであの女性が私に指さして見せたのは、ちょうど仙桃という2文字だったからです。ただその後ろに「承諾」という2文字がついていて、夢のなかではゴシック体の「仙桃承諾」という4文字がはっきり見えました。私自身が承諾を果たしていなかったので、師父が夢の形で私を悟らせ、私に補う機会を与えくださったのです。

 私はすぐ封筒を持ちだし、同修を迫害している場所の住所を書き写しました。この数通の手紙を書く時、以前より手紙の数は少なかったですが、師父が私の体を拡大しておられると感じました。そして私の心の容量が増大したので体もそれに従って変化が生じたと悟りました。「心性が高まってくると、身体にも大きな変化が起こります。心性が高まってくると、身体を構成している物質も間違いなく変化が起こります」[1] 。慈悲なる師父は私の私心をなくしてくださいました。このことを通じて「全体というのはどれほど大きい範囲か」がわかってきました。

 この交流文章を書く時も多くの旧宇宙の理が私を妨げました。その目的は私が書き続けるのを阻むためでした。それを書いてなんの意味があるか、発表できなかったら書いても無駄になるし、面目も失う等など様々な人心が現れました。私はそれらを見破り、声を出して「私は師父が要求されることをする」と言いました。師父の「社会と学習者に対して責任をもつ」[1] と言う法も脳裏に現れました。師父は私達が同修に対して互いに責任を持つように要求されているのです。

 以上は先日学法する中で体得した僅かな認識です。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/14/373793.html)
 
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