文/中国の大法弟子
【明慧日本2018年12月25日】私は今年で50歳になります。幼い頃から内気であまり話したがらないため、人と接するのが苦手でよく一人で行動していました。何をしても自分なりのやり方で行い、また、自分の角度や視点から問題を見ていましたので、問題を解決する時も相手の事を全く考えていませんでした。しかし、法輪大法を勉強するようになると自分の性格が大きく変わりました。師父の「真・善・忍」の教え通りに、何かをする時はまず他人の事を考え、無私無我で相手を先にし、自分を後に行うようにしています。
1989年に結婚してから、主人も私の実家に住むことに決めました(主人の家は平屋で、私が平屋に住み慣れていないためです)。主人は非常に短気で、何かあるとすぐに怒り出します。私の実家に住んでいますが、主人が怒ると理性を失い、視界に入る物を何でもかんでも投げ捨てます。あの当時は障害者と結婚した方がまだましだ、と自分を不憫に思っていました。
私は比較的にきれいな顔立ちをしており、また、しっかりした教育も受けてきましたので、軍隊に入っていた主人とは性格も合いませんでした。
私の実家に住んでいるので、休日になると主人は自分の実家に帰りたがります。主人は末っ子で、上に6人の兄と姉がいます。全員結婚して子供がおり、私は何人かの名前しか覚えていません。私には兄1人しかおらず、家の中が非常に静かであるため、大人数で騒ぐことが苦手な私と、ワイワイ盛り上がる雰囲気を好む主人との間では、よくトラブルが起きていました。
後に2人の間に子どもが出来ても、主人の性格は直りませんでした。また、彼は遊ぶことが好きで夜、家に帰って来ないこともしばしばありました。出産後は、主人の実家で休養していました。ある日、村に催し物が開催されたので彼は見に行きました。しかしそこで、相手側の不注意で、主人の新しいズボンに傷をつけてしまいました。怒った主人は私に八つ当たりして、大喧嘩になりました。その結果、私は産後の休養中に乳腺炎を患ってしまい、体調も元に戻らず、辛い思いをしながら毎日を過ごしていました。そして、赤ん坊も3か月の時に肺炎を患ってしまい、入院して検査を受けたところ、心不全であることが判明しました。
あの頃の日々は苦痛でしかありませんでした。主人は怒りを発散して気が済んだかもしれませんが、私はそう簡単に忘れられません。罵ることも、八つ当たりすることも、そして物を投げることもできない私は、ただ涙を流して耐え忍ぶことしか出来ず、悲しみと苦しみが溜まっていく一方で、20代の若さにしてすっかり体を壊してしまいました。そして熱を出して肺結核にかかってしまい、赤ん坊の世話も母親に任せっきりでした。その後、なんと主人は賭博にまで手を出したのです。
1996年の春、私は幸運にも法輪大法に出会いました。あれから22年間の修煉の中で、薬を飲んだことも、点滴を打ったことも一度もありません。『轉法輪』を勉強することで、他人の態度や行いが悪くても、自分に当たってきても、それは前世であるいは前前世で、相手に何か借りがあったのかもしれません。このように徳と業力の関係を1歩引き下がって考えてみれば、理解できて視界が広がり、何もかもが変わってきました。他人の良いところに着目することや全ての出来事には因果関係が存在していること、徳を持って怨恨を解決し、慈悲な心でもって全ての事を解決すること、そして、問題やトラブルに遭った時は、まず内に向けて自分を探すことを理解しました。さらに、師父は夫婦の縁の由来や夫婦間の接し方なども教えてくださいました。
以前の私は無口でしたが、法輪大法を修煉してからは何も言わなければ、自分の気持ちや考えが何も相手に伝わらないし、相手も何も理解してくれないことがよく分かりました。暖かみのある言葉は人の心の鎖を解くことができ、人と交流する架け橋になるのです。ですから、自分の心を閉じ込めていることも、上から目線の言い方はいけません。心を開いて主人と話し合い、相手を刺激しないように言葉遣いにも気を付けなければならないのです。
心が広くなれば自然と細かいことも気にしなくなり、主人に八つ当たりされても、段々と平気でいられるようになりました。もちろん、初めの頃は、我慢できずに涙を流すことが多々ありましたが、時間が経つにつれ、少しずつ穏やかな気持ちでいられるようになりました。大法を学んで、私の性格が変わりました。主人と正々堂々と話し合うことが出来るようになり、彼を理解して尊重するようになり、何かあると相談するようにしました。以前と違って主人を見下すこともなくなり、冷戦状態になることもなくなりました。
私の性格もずいぶん変わり、主人が怒った時でも途中で笑いながら冗談を言うと、主人も怒るどころではなくなり、すっかり気が鎮まることが多くなりました。今では時に主人が外で気分を損ねるようなことに遭い、家に帰って私に話すことさえあります。私は相談に乗り相手に良くすることは、自分にも良くすることでもあると彼に教えます。家の中の事も大きいことであれ、些細なことであれ、主人に決定権を持たせています。そして、お母さんのことも常に心にかけ、よくお土産を買って主人の実家を訪ねます。さらに、私が仕事を始めてからは毎月、お母さんに生活費を振り込もうとも思っています。何年か前にお母さんが引っ越すことになり、家を誰に住まわせるのかという問題になった時、私は主人の兄弟姉妹達とお母さんを困らせないために、お金を借りてまで兄弟姉妹達の言い争いを解決しようとする主人の考え方を支持しました。
私は主人に伝統文化の事や人としての良い、悪いのことをよく話していますので、主人も少しずつ変わってきました。ある晩、帰宅した主人に突然、「これ落とせるか」とコートを渡されました。何事かと思いよく見ると、コートの袖の部分に大きな油汚れがついていました。どうしたのか尋ねると、昼食をとりにレストランに行った時に新人とぶつかり、料理の汁がこぼれて袖につき、そこで相手は何も謝らなかったそうです。「以前の俺ならただでは済まさなかったよ」と主人が言ったので、「今は?」と尋ねると、「何も言わなかったさ。お前がいつも忍耐、忍耐って言っているだろう」と言って笑いました。普段から主人が良い行いをした時は励まし、私が良く出来ていない時は自ら先に謝ります。
今では主人は遊びに行かなくなり、仕事が終わるとすぐに帰宅してよく家にいるようになりました。また、仕事で私の帰りが遅いと、主人が夕食を作って私の帰りを待っていることもあり、時々家事も手伝ってくれます。法輪大法が私と主人を変え、この家を守ってくださっています。大法を学ばなかったら、私はすでにこの世にいなかったかもしれません。今日の中国では離婚率が非常に高いのです。法輪大法が私たちに幸せな家庭を与えて下さいました。
先生の教えの中に「恩讐を一笑に付してしまい」という教えがあります。今では善の心を持って、真心を込めて主人と接することができ、相手の欠点や短所を気にしなくなりました。私が彼を信じることが出来るようになると、主人の方も真心で善の心で私と接してくれています。以前は私の態度が悪ければ、主人の態度も悪かったのに、今ではその真逆の状態なり本当に不思議です。息子が生まれてからは、ほぼ主人一人の給料で生計を立てており、非常に大変なので私はいつも感謝の心を持って日々の生活を送っています。息子が大学に上がってからは、私も仕事を探し始めました。これまで、主人が家族のためにしてきたことや、大法と大法弟子たちが迫害されてきた中で耐えてきた圧力や心配、それに大法弟子のこの私を見捨てなかったことにとても感謝しています。また、主人も少しずつ私たち大法弟子の行為を理解してくれるようになりました。
以前の私は心が狭い人間でした。慈悲深い師父が「真・善・忍」を教えてくださり、これをもとに良い人になること、そして、修煉者になることを教えてくださいました。法輪大法が私に新たな人生を与えて下さったのです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」