【明慧日本2018年12月29日】甘粛省蘭州市の法輪功学習者・岳頂香さん(61歳女性)は、法輪功を学んだおかげで、慢性腎臓炎、頭痛、貧血などの病気が治り、健康になった。しかし、法輪功を学んでいるという理由で、第一労働教養所で1年間迫害された後、再度、懲役7年の有罪判決を言い渡された。甘粛女子刑務所に拘禁された岳さんは、残酷な迫害を受けた。
以下は、岳さんが自ら述べた迫害の経歴である。
甘粛省第一労働教養所で労働教養1年を強いられる
2003年、私は多くの人々に法輪功の素晴らしさを知ってもらうために、資料を配布した時、派出所まで不当に連行された。半月後、労働教養1年を強いられ、2003年7月、甘粛省第一労働教養所に拘禁された。
「三書」を書かないため、酷暑の時期に、タンクトップ1枚だけにさせられて、太陽の下に晒されたため、腕に水ぶくれができて皮膚が剥けた。そして夜になると、警官と監視役らに滅多打ちにされたり、罵られたり、立ったままの姿勢を強制されたり、睡眠を剥奪されたりして残忍で非道な迫害を受けた。
平安台労働教養所では土を掘り、小麦、トウモロコシ、梨などの収穫作業を強制された。時にはご飯を数口しか食べていないのに、すぐに畑に追い出されて晩まで働かされた。
冬の寒い日に、監獄室に入ることが許されず、外の冷たい水で入浴、洗顔を強制された。そして、ベッド板の真ん中に余計な3本の鉄筋がわざと付けられているため、腰や肋骨にあたって痛んだ。警官らは様々な悪巧みを考えては面白がり、私達法輪功学習者を苦しめた。
ある日「思想報告書」を書かなかったため、連続して8日間睡眠を剥奪され、ずっと立たされたままでいため、全身が腫れ上がった。特に歩行困難なほど足が変形したにもかかわらず、強制労働に従事させられた。
面会に来た家族は、ひどい症状を見て治療を求めた。そのため、康泰病院に運ばれた。翌日、4、5人の医師が病室に入ってきて、私の左太ももの部位から骨髄液を抜き取った。半月後、また労働教養所に戻され、引き続き労働を強制された。王隊長は「お前のような法輪功学習者を打ち殺しても、一切の責任を負わなくてもよいし、身元確認も要らないし、直接火葬すればいいんだ。これは江沢民の命令だ」と言った。
7年間 甘粛女子刑務所で迫害を受ける
2008年4月14日、蘭州市の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の警官により連行され、蘭州市第一留置場に拘禁された。所内の環境が極めて悪いため、ひどい疥癬を患った。
2008年12月10日、懲役7年の有罪判決を言い渡され、2009年1月6日に甘粛女子刑務所に移送された。その日から6年余りの間、さらに絶え間なく迫害を受けた。
監視役の厖偉は、椅子を私の足の上に載せて押さえ、本人が椅子の上に立っていた。また、私の下半身を蹴ったため、大小便を失禁し、歩けなくなった。厖偉は「転向しないなら、殺してやろう」と言って、腰掛けを持ってきて、頭部や足首の骨をめがけて叩いた。また、「脳震盪にさせてやろう」と言いながら、暴力を働いた。
監視役の梅菊は、未婚の若い女性だが、本性は極めて悪質である。彼女は靴を脱いで、その靴で私の顔面をむやみやたらに叩き「お前を障害者にしてやる。お前の家には金が沢山あるから、病院に送ってやる」と言った。ある日、私がしゃがんで顔を洗おうとした時、梅菊が力強く私の腰を数回踏んだため動けなくなった。心の中で師父にお願いしてようやく動けるようになった。その後の2カ月間というもの、直立ができず、腰は曲がったままで、片手で支えながら少しずつ移動した。
警官の孫立偉は、私をある部屋に呼び出して、スタンガンで私の頭部、顔、首、背中、手など数箇所に電気ショックを加えた。
監視役は、隊長の迫害を手伝う共犯者である。隊長が受刑者らに迫害を加える目的は、幹部に抜擢されたいわけである。また、減刑してもらうために受刑者らはポイントをためて、指示された悪事を働くのである。