同修の法に符合しない言動を 正念でもって対処する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年4月14日】私は閉ざされて修煉している青年大法弟子です。近年、見聞きし、 自らも同修間で起きた多くのことを経験しました。同修たちの法に符合しない言動に、どう対処すべきかについて、自分の次元における浅はかな認識を述べ、皆さんと交流したいと思います。

 一、法理を知り、師と法を信じる

 正法時期の大法弟子である私たちの修煉形式は、今までの歴史上にあったそれらの修煉形式とは異なります。

 師父はこのようにおっしゃっています。「その上、この空間は迷いの空間なので、私たちは正反対の方法をとっています。ミクロから、あなたの生命の最もミクロの粒子によって構成された身体から次第にあなたを変えます。それから一層ずつ最大の分子に向かって突破し、つまり、人体の表面に向かって突破します。最後にこの目で見えるこの肉体の細胞まで、この分子で構成された肉体の細胞まで突破したら、あなたは圓満成就になります。私たちはこのような道を歩んでいます」[1]

 今の自分がいる次元での理解では、もっともミクロ的な部分は私たちの主元神の本源で、その層の粒子がもっともミクロで、かつもっとも清らかです。師父が私たちに宇宙の大法を授け、弟子たちの罪業を消去するために無尽の苦労をされているお陰で、真に修める弟子たちは非常に早く次元を突破できています。加えて、大法弟子は三界より遙かに高い次元、ひいては正法に妨害をもたらす旧勢力生命よりも高い次元から来ているので、旧勢力が大法弟子に押し付けた気質や性格、特性などの三界内の人間を構成する要素は粗い粒子で、主元神のもっともミクロ的な体系の中に浸透することはありえません。主元神の本源であるもっともミクロの層はすでに新宇宙の基準に達しており、それが私たち大法弟子の「真我」(しんが・本当の自分のこと)であり、師父に認められています。その部分が旧宇宙に汚染されないように、基準に達した瞬間に師父は隔離して下さっているのです。ならば、新宇宙の基準に達した「真我」が、宇宙の法に符合しないことをすることはあり得ますか? ありないはずです。

 師父はこのようにおっしゃっています。「実は、自分自身にある正しくないすべての要素も含めて、すべて大法と大法弟子の正念と一致していないものはいずれも、旧勢力の関与によってもたらされたことです」[2] 個人の理解として、発正念において、主意識をはっきりさせなければならないことが、再三に強調される理由は、主意識が私たちの「真我」で法に符合しており、もっとも正なる部分だからです。

 二、理性的に旧勢力を否定し、解体する

 魔難(不当な連行や病業)に遭っている同修や、同修の法に符合しない言動を目にしたとき、大法弟子として、私たちはまず徹底的に旧勢力を否定し解体しなければならず、同修の「真我」が法に符合していると肯定的に考えなければなりません。法に符合しない一切の言動は旧勢力が仕出かしたもので、旧勢力が大法弟子に観念や執着を押し付け、さらに他の生命に指図して、同修の人間の皮を操って良くない言動を行なわせているだけで、大法弟子の主体が行なったことではないと考えるべきです。ですから、私たちは根本からそれを認識し、否定し、解体すべきです。私たちは随時に自分を厳しく律し、物事に遭遇すれば法に則って認識し、自分をしっかり修めることができれば、他空間の邪悪な要素は自然に正なるエネルギーの中で瞬時に解体されます。

 ある地区の某資料点の多くの同修が不当に連行された事件がありました。他の同修によると、不当に連行された同修たちは聡明で能力があって、法輪功の迫害資料もしっかりと作っていました。しかし、長い間一緒に資料を作ってきた過程で、男女間に曖昧な感情が生じ、邪悪に迫害されることになったのです。では皆さん、考えてみてください。この色欲の執着は誰が按排したのでしょうか? 明らかに旧勢力です。旧勢力は各々の大法弟子の比較的ミクロ的な空間内の異なる執着を強化し、正法を妨害するための準備をしてきて、さらに、その強化された執着を理由に大法弟子に迫害を加え、大法弟子を壊す目的を達成しようとしています。

 実際、法に符合しないそれらの言動は同修の「真我」が行なったことではなく、旧勢力が同修のまだ良く修めていない部分を拡張させ、迫害を企てたのです。「大法の一粒子」として、私たちは必ず法理をはっきり理解し、正念で旧勢力が正法にもたらした妨害と迫害を否定し、解体しなければなりません。ひたすら同修を怨み、叱責しては、邪悪を取り除くことにも、同修を手伝うことにも全くプラスの作用がありません。

 三、着実に一思一念、言動の一つずつを修め、法に同化する

 別の角度から考えれば、人間の思惟構成や口に出した言葉は、別の空間から見ればすべて物質です。あなたの叱責や怨言(えんげん・うらみの言葉)は良いものになりますか? 話が口に出た途端、あるいはあなたが考えた瞬間、その良くない物質は同修の方に投げ出され、同修の正念を抑制してしまいます。では、あなたは良いことをしているのか、それとも悪いことをしているのでしょうか?

 この時、私たちは皆一つの選択を迫られます。つまり、真に慈悲をもって全体を圓融するのか、それとも互いに叱責し隔たりをもたらすのかです。同修の誰にでもこのような経験があったと思います。その時、「神の念」で対処できたのか、それとも「人間の念」で対処してしまったかは、本当に心性と次元そのものの表れです!
 
 四、内に向けて探し、ともに向上する

 魔難やトラブルを前にして、私たちは邪悪の罠を認識し、正念で同修を加持するとともに、内に向けて探さなければいけません。一歩下がって広い視野で物事の全体を見渡し、自分自身の執着や欲望、観念を探し出して取り除き、初めて全体の修煉環境にプラスの作用を働きます。

 私たちは突然、自分が経験した類似の事件を思い起こすときがあります。それは師父が私たちに内に向けて探すように悟らされていると考えています。きっとその件に関連し、自分自身にも同じ問題が存在しているのです。その時、私たちは気を引き締め、一思一念を法に照らして正しくない部分を正し、他人に損失をもたらしたならば補う方法を考え、補うことができなければ師父に間違いを認め、圓融できるチャンスをくださるように師父にお願いすべきです。総じて言えば、私たちは常に自分を厳しく律し、師父がくださる向上の機縁を大切にし、自分を正すと同時に全体を忘れず、善意を持って同修たちと交流し、魔難にいる同修と一緒に内に向けて探し、共に向上すべきです。

 以上は、個人的な認識です。これを以って自分自身と同修たちを促し、ともに向上していくことを願います。不足している部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。師恩に感謝致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『波紋を呼んだ副元神に関する文章について』

 
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2018/1/1/358856.html)
 
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