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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年4月24日】私は1999年以降に法輪大法を修煉し始めました。1990年代に法輪功は世に広まりましたが、私は全く知りませんでした。1999年から中国共産党に弾圧されたことも知らないまま、数年が過ぎました。ある日、私は自転車で買い物に行って帰る時、自転車の篭に一冊の小冊子が入っていました。開いて見たら法輪功が迫害されている内容が書かれていて、初めて法輪功のことを知りました。しばらくして、縁があったのか、近所にある女性が引っ越して来ました。彼女の孫娘と私の娘がだいたい同年齢だったので、よく一緒に遊んでいて、私と彼女はそばで子供を見ながら会話したりしていました。私は彼女から法輪大法の素晴らしさを聞き、私も学びたいと思い、『轉法輪』を一冊買ってくれるように頼みました。

 書籍を手に入れた私は、ページを開くと師父の写真が目に入りました。なぜか師父の目が私を見透かしているように感じ、びっくりして本を閉じました。それから本を読もうとすれば雑用に追われてなかなか進まず、長い時間経っても本を読めませんでした。その後、本気で煉功するつもりだったのですが、何度も厄介な事が起こり、そのまま数年が過ぎ、ようやく修煉の道に辿り着きました。

 昔から私は腰椎椎間板ヘルニアに悩まされ、修煉を始めた頃は煉功しながらマッサージなどで治療しましたが、一向に治りませんでした。またある時は、風邪のような症状が数カ月間も続いたので、あっさりと治療をやめましたが逆にすぐに治りました。現在の私は、具合が悪い時も気にせず、普段通りに学法と煉功をし、一日か二日で回復します。ある日、昼食が終わったころ何の前兆もなく、突然立てないほどのめまいに襲われて吐き始め、間もなくすると体が動かなくなりました。私は直ちに「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と繰り返し念じました。不思議なことに夕方頃には完全に正常になりました。

 私は数十年の人生の中で、各種の観念や執着が形成され、あるものには自分も意識できず、それらを取り除くことは容易ではありません。私は周りの人や物事に対していつも自分が正しいと思い込み、不平不満を感じていましたが、明慧ネットで同修達の文章を読み、自分が正しいと思った理が高い次元から見ればそうでもないことが分かりました。私が執着しているのは皆人間の理だと悟った瞬間、その執着を放下することができました。

 また、察しにくい人心について、同修らの交流文章を読んで、正常であると思ったものも取り除くべきだと分かりました。例えば値引き商品を買い求めることは自然なことだと思っていましたが、同修の文章には、それは目先のちょっとした利益を貪る心だと書かれていました。また、今まで私は何かの為に、あるいは誰かの為に力を貸せば報われるのは当たり前だと思い、そうでないと心のバランスを崩していました。明慧ネットの文章を読んで、それは報いを求める心で、非常に良くない心だと認識しました。その他にも、例えば修煉の中で時々安逸をむさぼって気が緩み、あまり精進しなくなります。明慧ネットで同修達の修煉状態をみて、自分も速く追いかけなければならないと反省するようになりました。ここで、明慧ネットと投稿した同修達の皆さんに感謝します!

 私は数年前に『轉法輪』を暗唱しようとして数段落やってみましたが、結局、難しくて放棄しました。その後、明慧ネットで同修の体験談を読んで心が打たれ、再び暗唱し始めました。一句一句暗唱するうちに、頭に雑念がない時は集中力が高くなり、しっかり覚えますが、逆に雑念が多ければで記憶に残らないと分かりました。以前から何度も読んだ内容ですが、初めて見たように感じ、暗唱する時にはより深い理がいきなり分かってくることもありました。法を暗唱する過程で、頑固な執着心もだんだん弱くなり、以前のように抑えきれないことは少なくなったことに気づきました。

 私は同修達の体験談から、皆さんは数々の試練を乗り越え、大法に対する信念は岩のように堅固であり、私を大きく震撼させました。一部の同修達は倹(つま)しい生活の中でも、全身全霊で大法を実証しています。それと対照的に、私はまだ自分の生活に執着していて、彼らとの差は一目瞭然です。私は学法や煉功、集団学法、それに明慧ネットを見ることで、少しずつ修煉が分かってきました。私が理解している修煉は、各種の観念と執着心を取り除くことによって、自分の思想を純粋に、きれいにし、私心と雑念をなくすことだと思います。

 現在、私は脳裏に現れてくる一念が、どんな心によってもたらされたのかを意識し、それを抑えることができるようになりました。しかし完全に修めて取り除くことはとても難しく、強い意志が必要です。時には間違っていると知りながらも自分を制御できません。例えば明慧ネットで、いまだに韓流ドラマを見ている同修がいると指摘していました。私はなぜまだこのような同修がいるのかと他人事のように思いましたが、私自身、ドラマは見なくても、常人のネットにアクセスすることがよくあります。間違っていると知りながらも自分を制御できません。それはドラマを見る同修と同じではないでしょうか? 人を笑っていますが、自分も全く同じです。常人社会の中で修煉するのは本当に難しいことであり、各種の魔難や誘惑などの全てが修煉者の意志を試しているのです 。堅く師父を信じ、大法を信じることこそが意志の力を強め、難関を乗り越えられるのです!

 私の、ここ数年間の修煉を振り返ると、安逸を求めて精進しなかった時もあれば、転んだり、立ち直ったりした時もありましたが、これからは自分を厳しく律し、良くない心を取り除き、大法の修煉を最後までやり遂げたいと思います!

 個人の体験談に過ぎませんので、不足しているところがあれば、同修の皆さんのご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/4/12/385033.html)
 
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