文/中国の大法弟子
【明慧日本2019年5月22日】最近、周りの同修の中に、利益を図る心が膨らみ、ピンドゥオドゥオ(※)というECサイトのグルーポンを使っての商品購入に夢中になっている人がおり、法律の抜け穴をつくようなピラミッドセーリングをする人もいます。これらの同修はずっと、なかなか心性が上がらないので、衆生を救う時間を多く無駄にしました。悪いことをしていると意識せず、法律で許されると思い込んでいます。
我々修煉者として全ての行為は、法律に従うのはもちろんですが、大法に符合しているかどうかを何よりも優先に考えるべきです。法律で正当化されたことでも、大法の基準で量れば、魚を釣るとか、株の投機をするとか、同性愛などは、必ずしも正しくありません。
我々は数年に亘って修煉しており、やるべきことと、やってはいけないことをしっかり区別することができます。利益を図る心を放棄せず、しかも色々な理由で誤魔化すのはなぜでしょうか。師父は釈迦牟尼が弟子を連れて修煉するときの例をあげて、「『私のお碗は銅のものだ、私のお碗は玉のものだ、私のお碗はきれい、私のこのお碗は銀のものだ』と比べ合っています。お碗をたくさん貯めた和尚も出てきました。釈迦牟尼佛は次のように説きました。もし物に対する執着心があれば、家に帰ればよく、家には何でもあり、何を貯めてもいいのです。なぜ托鉢用のお碗に対する未練を放下できないのでしょうか?」と、説かれました。修煉するのであれば、必ず常人の考え方を放棄しなければなりません。
師父は『轉法輪』の「心性を向上させる」という節で例を二つ挙げられました。一つは山東省のメリヤス工場の修煉者と、北京の修煉者の子どもが景品くじを引くことに言及されました。師父が説かれたのは大法弟子の行為の基準であり、未来の修煉者のためにもっとも正しい道を残されています。メリヤス工場の従業員が法輪功を修煉してから、タオルを持ち帰るのを悪いことだと認識し、タオルを返しました。北京の修煉者も心性が向上したので、子供が引いた景品くじで子供用自転車があたり、自転車と同額の金を寄付金として工場に寄付しました。以上の例は法輪功が伝え出されたときのことで、今は法を正す時期の最後なのに、利益を図る心を放棄しない大法弟子は大法をどのように位置付けるのでしょうか、自分の修煉をどう思っているのでしょうか?
どんなものでもこの世界で成り立つには必ず肝心な要素がなければなりません。つまり、この空間において一つの場を形成しなければならないのです。 師父は「この場は物質的な存在です」[1]と説かれました。もし利益を貪る心が生じたら、悪魔に物質的な基礎を提供したと言えるでしょう。そこで悪魔に隙に乗じられ、大法弟子が迫害されるようになります。
大法弟子は20年来迫害されています。大法を固く信じて、修煉の道を正しく歩けば、どのような困難も克服できるでしょう。世の中の毎日は師父が大きな犠牲を払って勝ち取られたものです。言い換えれば、今の時間は我々の時間ではなく、大法の資源と言えます。師父が、修煉者を向上させるために、衆生が救われるように時間を延ばしておられます。もし大法弟子がしっかり修煉せず、衆生を救う時間を無駄にするのは本当の罪になるでしょう。
大法の慈悲と威厳は同時に存在し、時間を大切にして、最後の法を正す道をしっかり歩くように覚悟しましょう。
適切でない部分があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。
(※ ) 「拼多多(ピンドゥオドゥオ)」とは、グルーポン型販売サービスを提供する中国のECサイト。最大90%の割引が適用されることも少なくない。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』