法の中で真に修めれば 魔難が消えてゆく
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文╱中国の子供弟子

 【明慧日本2019年6月5日】再び2011年に、大法修煉に戻って来てから、師父の慈悲なるご加護の下で、ここ数年来、僕は平穏に三つのことを行なってきました。次に、僕が病業の関を乗り越えた時の体得を皆さんと交流し、病業にいる同修達に少しでもお役に立てればと思います。

 修煉に戻って来た当初は別の空間からの妨害が大きく、恐れる心がいつも湧いてきて、そのを絶えず否定しましたが、しばらくの間は毎日胸がとても苦しく感じました。小さい頃に同修の母に助けられ、病業の関を乗り越えて来ましたが、今、僕は500キロも離れている学校におり、今まで経験したことのないような辛さを感じ、とても心細くなりました。怖さというより不安な気持ちでいっぱいでした。そのため、この関門をなかなか乗り越えられず、不安な気持ちがより一層強くなりました。そこで、僕は毎日大量に法を学び、功を煉り、静かな環境がなければ、誰もいない夜中に宿舎の最上階で動功を煉り、昼休みにはベッドの上で蚊帳(かや)の中で静功を煉りました。

 ある日、師父の次のような法を思い出しました。「安心して、まだ生きており、まだ正念があるのではありませんか? ただひたすら大法の中で修めます」[1] すると心がぱっと開き、「そうだ、何を恐れているんだろうか? 命さえあれば必ず最後まで修めて行ける」と思いました。その日から、本当に少しも怖くなくなりました。正念は法から生じるもので、法を多く習い、法を多く心に留めておくと、自然に恐れる心がなくなりました。

 この2年間、煉功を疎かにしていました。数年前の精進していた頃と比べれば、体の状態はあまりよくありません。歩くと、太ももあたりが我慢できないほど痒くなるため、僕は常人の方法で痒みを緩和しようとしましたが、結局は駄目でした。自分がしっかり煉功していないから、このようになったと心の中で分かっていました。しかし、安逸心が生じてきて、なかなか突破できませんでした。そして、関がますます大きくなり、その後、体にも足にも蚊に刺されたような湿疹がいっぱい出来て、痒くて辛くてとても大変でした。家族に「これは○○と言う病気だから、病院に行こう」と言われましたが、「絶対に行かない、死んでも病院には行かない」と心の中で決めていました。その後、自分は法を正す時期の大法弟子で、死ぬはずもなければ死んではいけない、何の問題もないと悟りました。そんなとても辛い時、「気持ちが良いことは修煉ではない、辛いことこそ良いことで、それが修煉だ。これは向上するいいチャンスだ。僕には道は一つしかない、それは法の中で修め、内に向けて探して真に向上し、それによって関を乗り越えることが出来るのだ」と思いました。

 さらに真剣に法を学んで法を暗唱し、自らの執着心を探して直ちに改め、真に自分を修めました。ある日、母に「携帯電話を止めなさい! もう携帯電話で遊ぶのは止めなさい!」と強く言われ、その時、僕は少し弁解して母の指摘を気に留めませんでした。実は、師父が母の口を借りて、気付かせてくださいました。その後、携帯電話で遊ぶのを止めたら、体がすぐに良くなりました。

 振り返ってみれば、当時の僕は体調不良を改善しようと思うことより、自分が修煉者だからしっかり修めなければならない、自分を高めなければならない、自分の過ちを改めなければならない、こうすることが僕のやるべきことだと思っていました。心性が高まると難は小さくなり、逆に、僕は大きくなりました。大きくなった僕は一歩踏み出すことにより、その関門を乗り越えました。それは常人の観念を放下したからです。「関門を乗り越えられたのは、自分の正念が強いから、自分がうまく行なったからではなく、正念を持って正しく行ない、法に合致しており、師父から慈悲なるご加護をいただいたからだ」と僕は悟りました。師父に叩頭して、お礼を申し上げます!

 浅い僕の体得ですが、正しくない所があれば、同修達のご叱正をお願いします。

注:
[1] 李洪志師父の経文:『ニュージーランド法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/12/386838.html)
 
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