私が真に心の奥底から自分を変えた時
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年8月31日】春が再びやってきて、万物が蘇ったように生気に満ちているのを見て、私は感慨深くこう思いました。いつだったのか、私は極度の苦痛に陥って、人生が絶望の淵に立たされましたが、幸い法輪大法に出会って修煉を始めました。私は李洪志師父によって作り直され、偉大な佛法によって変えられて、全てに根本的な変化が起きました。

 私は運命の巡り合わせが悪くて、婚姻生活で大きな苦痛に遭いました。結婚当時、貧しい夫の家からは5万元(約75万円)の結納金しかなく、私たちは借金して住み処(すみか)を買い、結婚後の暮らしもずっと厳しいものでした。嫁ぐ前、ブランド品の化粧品やお洋服しか使わなかった私にとって、この大きな落差は受け入れ難いものでした。さらなる不幸は、夫がアルコール依存症者であることを結婚後にやっと知り、酔っ払って夜遅く帰ってくる彼との喧嘩も絶えませんでした。

 結婚して2年目に私は妊娠しました。本来なら、どの家庭でもこれが喜ばれることですが、妊娠3カ月目に、私は夫の浮気に気づきました。しかも、は私が留守をしているお昼にその女性を我が家に連れてきて住むようにしていました。これがまさに青天の霹靂で、27歳の私には生きていても生きた心地がしませんでした。

 何回も離婚しようとしましたが、彼が応じてくれず、彼に対する怨みは私の心の中で日に日に溜まってきていました。

 当時、友人の中に大法弟子がいて、李洪志師父の著作『轉法輪』をプレゼントしてくれましたが、私は自分の強い執着心に阻まれて真に修煉に入っておらず、2012年にやっと真に修煉を始めました。同年、夫はいろんな原因で多額の借金をしてしまい、債権者たちは彼を見つけることができず、いつも我が家に来て大騒ぎしていました。絶望の中で私は大法の本『轉法輪』を手にし学び始めました。そして、私は師父によって救われ、大法に救われました。

 振り返れば、過ぎ去った10年間、私は悪夢を見ていたようでした。

 2017年3月、私は身体に違和感を覚えてもあまり深く考えませんでした。数年来、夫との関係がずっと悪く、家の経済状況も厳しいものでした。その後、自分が妊娠したと気づき、私は夫に「私は修煉者なので殺生できないので、この子供を産むつもりだ」と自分の意思をはっきり伝えました。

 夫は大きなストレスを受けて、私と何回も喧嘩しました。数年來、彼が多くの借金をしていて、もう1人の子供を育てる経済的な能力がないことを私もはっきり分かっています。この家でさえも、10年来ずっと私の微々たる収入で何とか支えてきました。しかし、師父の説法を考えると、「1人の生命がわが家に転生されて来るにはきっと按排がある」と知った以上、自分の私心のせいでこの生命をないがしろにできないと私は思いました。

 妊婦は本来世話を受けるべきですが、私は世話されるどころか、酔っ払いの夫に喧嘩まで売られて、心身ともに大きなストレスを抱える日々を過ごすしかありませんでした。しかし、心に大法があるので、私はきっと耐えていけると思いました。そして、彼に対して抱いてきた怨む気持ちを放下して彼を許し、彼に対するマイナスな考えや良くない人心も取り除くべきだと考えました。

 最初、夫は私が子供を産むことに強く反対していましたが、私が意を固めたのをみて、何も言わなくなりました。

 ある日の午後、会社に特別な用がないので、私は早退して家で学法することにしました。突然、夫は私も知っている1人の女性を家に連れてきました。私はすぐ状況を察しましたが、何も言いませんでした。ただ夫に対してとても失望しました。

 私は何とか我慢しましたが、心に溜まっていた怨み、過ぎ去った昔のことが全部ひっくり返されました。彼の目の前で私は爆発しなかったものの、心が千々に乱れました。

 同修と交流すると、同修は内に向けて探し、多く法を学ぶようにと言いました。

 事はこのように流れていきました。私は大法を持ってこの事を量り、まず耐えるべきだと思いました。また、長年私は彼に関心を見せず、さらに常に冷たい態度をみせていたので、夫婦間のひびを招いたと気づきました。そこで私は大法の法理に従って自分の良くない人心を真に放下し、本当に夫のために考えて、彼の長所だけを見ながら自分を修め、自分を変えていこうと考えました。

 私は何もなかったかのように夫に話しかけますが、彼は恐れおののいていました。考えてみれば10年前、私は今と同じ情況に追い込まれていて、その時、私たちは大騒ぎしていました。私は彼の両親に電話をかけ、さらに彼の醜態を親友たちに暴き出しました。それ以来、彼は親友たちの前では頭が上がりませんでした。この事で私たちは5年近く喧嘩し続けて、2012年に私が真に修煉し始めてからやっと喧嘩が収まりました。しかし、私の心にはしこりがずっと残っていました。

 諺では、一旦蛇に噛まれると十年たっても井戸の縄まで怖いと言われています。常人にとって、この事は確かに耐え難いと思います。苦痛はあるものの、私の頭ははっきりしていました。昔と違って、修煉者になった今、私は師父の教えに従って家庭の環境を正して、家族に大法の素晴らしさを実感させるべきだと考えました。

 私は黙々と耐えていて、彼に「古代の人々は男女関係において慎重だった。あなたの行為は家庭、そしてあなた自身にも危害をもらたすので、その女性との関係をきちんと処理してほしい」と淡々と言って、さらにこう続けました。「私は修煉し始めたので、誰をも傷つけないし、師父から常に他人のために考えることを教わったので、今回の件に対して、もう以前のような対処の仕方をしません。あなたには自重し、家庭と子供のために責任を持つ行動を取ってほしい。一定の時間を与えるので、自分でこの事をうまく処理してください」

 その後、私は大量に法を学び、法の基準に則って行動し、10年来重ねてきた怨みを絶えず取り除き、彼に対するさまざまなマイナスの考えや怨恨、見下す心、そして自分の嫉妬心、闘争心、色欲の心などを取り除く努力をしました。

 その間、私は彼がその女性と連絡を取り合うのを何回も見ました。ある日、女性の返信メッセージを目にして、誘惑と言っても過言ではないと思いますが、私は刺激を受けて心がとても辛かったのです。その心身両面の苦しみは誰にも言えないものでした。ためらいを感じる度に私は法を学び、瞬時に希望と光がみえて、すべての物事の背後にはそれなりの因縁関係があることが分かりました。世間の事は修煉者の目からみれば明瞭で、はっきりしているのです。度々の苦痛の中から、師父は私を掬い上げられました。

 私は彼と口論せず、生活の面で彼のことに気を配り、彼の立場に身を置いて考えるようにしました。地方出身の夫は身内が身辺におらず、姑も9年前に亡くし、正直、彼のことを気にかける人は誰もいませんでした。数年来、借金のせいで彼はみじめに生きてきて、1着もまともな服がなく、このような彼を私はずっと見下し、恨んでいました。考えているうちに、私は涙を流しました。私は恨みを放下し、自分を苦しめていた出来事や他人の事を脳裏から取り払うと、心が慈悲と衆生への憐みが湧いてきて、大法と師父に対する感謝の気持ちで満たされました。まさに師父がおっしゃっているように、「柳暗花明又一村」[1]です。

 私が心の底から自分を変えた時、すべてに大きな変化が起きました。以前、夫は家のことをまったく構わず、家で食事をすることが殆どなく、息子の食事は私が用意していました。今回の事件以来、彼は毎日家で昼食を取り、しかも、自ら昼食を用意して息子と私の帰りを待っていました。表面上、彼は妊娠している私の不便さを配慮してこのような行動に出たようにみえますが、実際は大法がすべてを変えてくださったと私には分かっています。私はそのとき、「修は己にありて、功は師にあり」[2]の一つの次元での内涵を深く理解しました。

 長年の飲酒や休憩、栄養不足のせいで夫は寝込んでしまい、治療費を払えないために1人で家で苦しみに耐えていました。私は給料の全額を彼の治療費に充てて、大法の素晴らしさを信じれば福報を得ることができると彼に教え、彼の食べたいものを買ってあげ、生活の面でさらに心をかけるように努力しました。徐々に、愁いを帯びていた彼の顔に笑顔が現れました。長年來、私は彼の弾けるような笑顔を見たことがなく、脳裏には彼の酒に酔った姿とかんかんに怒る姿、人を殴り罵る姿しかありませんでした。

 しばらくして夫は病から回復し、元気も少し取り戻しました。

 時間が流れていくうち、2番目の子供が生まれる日が近づいてきました。夫には金の余裕がないと思って、私は1人で子供の出産費用を準備しました。彼が後ろめたく思っていて、感謝もしていることを私は分かっています。以前の私なら、きっと嫁ぎ先をひっくり返すほど騒ぐでしょう。姑が亡くなった後、舅は一人暮らしをしていて、年金額も少なくありません。しかし、舅に面倒をかけず、彼を喜ばせるために、私は1円も要求しませんでした。修煉している今、舅のために考えなければならず、彼を不機嫌にさせてはいけないと思ったからです。

 私の変化は夫の目に留まり、心に残されました。私の出産後、彼はほとんどの家事を担い、忙しくしていました。

 妊娠後、私は従来と同じくどんな仕事もこなし、以前よりも元気になって、同僚たちが感心していました。今の人は妊娠してからいろんな栄養食品を摂りますが、私はそういったものを口にしたことがなく、ただ毎日煉功と学法を続けて行なうだけでしたが、誰よりも健康でした。

 最初の頃、夫は子供が栄養不足になるのではないかと心配していました。私は師と法を堅く信じ、家で学法と煉功を強化しました。結果的に非常に健康な子が生まれて、しかもほかの子より太かったのです。病院で早期性別判定を受けた際、男の子だと言われましたが、いざ産んでみると女の子でした。初子が息子なので、夫はあまりの嬉しさで産室で飛び跳ね、子供を抱き宝物をもらったように喜んでいました。確かに、夫にとって、息子と娘をあわせ持つことは人生最大の幸福でしょう。これは大法が私たちに下さった福報です。

 今、夫はより一層家庭の事に気を配り、毎日私と子供達の食事を用意し、夜に息子の宿題をチェックしてから娘を抱いたりして、私は彼の変化に非常に驚いています。2017年の3月を思い起こせば、夫は常に酒を飲んで酔いつぶれ、息子と私はよく夫の罵る声の中でビクビクしながら眠りにつき、彼自身も怒りの中で寝ついていました。2018年3月、我が一家は佛光を浴びるようになり、私、夫、子供達は皆大法から恩恵を受けるようになりました。

 ここまで書いて私は思わず涙を流し、心の中で「師父」と軽く声をかけました。師父はどれほどの絶望に陥った生命を救われ、どれほどの崩壊寸前の家庭を救われたのでしょう!! 師父と大法の洪恩によって億単位の人々が生まれ変わり、返本帰真の道を歩み始めました!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪法解』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (※1)「柳暗花明又一村」 柳が色濃く茂ってほの暗い中、花が咲いて明るいの意味

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/8/1/371925.html)
 
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