【明慧日本2019年9月11日】(陝西=明慧記者)陝西省漢陰県の法輪功学習者・邝東亮さんは、拘禁されてすでに2年が経ち、この期間中に2回の判決を受けた。裁判所は2019年6月10日、「本案件の公文書は、すでに高等裁判所に手渡したので、ここでは判決を下すことができない」と邝さんに告げた。そのため、邝さんの両親と妻は何度も面会を申し出たが、すべて関係者に拒否された。
1994年、邝さんは偶然の機会に法輪功に出会い、それ以来、法輪功を学ぶようになった。当時、19歳だったという。1999年7.20、江沢民は法輪功に対する残忍な迫害を発動した。そのため、2000年の初めと2001年の初めに、邝さんは二度上京して法輪功迫害の真実を善意に伝えたが、警官らに滅多打ちにされ、その後、労働教養所へ入所させられ、そこで2年6カ月間労働教養を強いられた。
2004年、邝さんは生計を維持するためお金を借り、学習者・呉新明さんと共同で金物雑貨店を経営することに決めた。呉さんは迫害に遭い、労働教養所から帰宅した。その直後のある日、2人はドアを開けて、塗装工事はどのようにすれば良いかを話し合っている最中に、610弁公室の責任者と現地の国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)の大勢の警官らが突然、記者を連れて侵入して来た。そして、邝さんと呉さんを公安局に連行し、尋問を行なった。その後、呉さんは連行され労働教養2年を科され、棗子河労働教養所で残酷な迫害を受けた。苦しめられた呉さんの身体は虫の息の弱々しい状態となり、帰宅して間もなくしてから亡くなった。
2005年3月、大勢の警官らはまたもや邝さんの家に押し入って、部屋を荒らし回り、邝さんの母親を罵ったり押したりし、公安局に連行した。家族が解放を求めても、公安局側は一向に解放せず、何の返事もなかった。その後、やむおえず邝さんは家を離れ、長く耐え難い放浪生活を強いられた。
放浪生活を強いられた数年間、610弁公室と国内安全保衛部門の警官らは、絶えず邝さんの情報を探し回り、家を隣近所の人たちに監視させ、邝さんの指名手配をネット上で公開した。漢陰県公安局の警官らは2、3日置きに、邝さんの両親に対して嫌がらせを働き、長期にわたり邝さんの岳父一家の電話を盗聴して監視し、ひいては妻の兄や姉、親戚や隣近所に対しても監視を続けた。
2017年9月26日、邝さんは70代の両親に会いに自宅に帰った直後に、監視されていたため、県公安局の警官により自宅で連行され、今なお、漢陰県留置場に拘禁されたままでいる。
2018年9月27日と2019年5月6日、漢陰県裁判所は邝さんに対して2回の裁判を行ない、邝さんは自己弁護をして無罪を主張したが聞き入れられず、裁判長と検察官は2回とも早々に裁判を終了させた。
邝さんはすでに2年間拘禁され、裁判所が判決を下そうにも、法律的な根拠がないためになかなか判決しづらく、また、解放しようにも、上からの問責を恐れて解放する勇気がなかった。2019年6月10日、裁判所は「本案件の公文書はすでに高等裁判所に手渡したので、ここでは判決を下すことができない」と邝さんに告げた。