香港法会|大法の洪恩が修煉者を作る
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 文/香港の大法弟子

 【明慧日本2019年9月28日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 一、修煉を始める

 私は2013年に香港に移民しました。1999年3月30日中国で修煉を始め、師父の広州での説法のビデオテープを見るよう同修が私に紹介し、その時に同修が座禅を試してみるよう私に教え、最初から双盤で座禅を組むことができました。同修は「座禅を堅持できれば、業を消すことができます」と言いました。私はその時に師父の説法を拝聴しながら座禅を堅持し、最初45分間座禅し、足が痛く、しびれ、つらく感じ、汗が出ました。同修は「師父に見守られています」と言いました。私は師父の説法を一晩中拝聴し、印象が最も深かったのは師父が「真・善・忍」と説かれたのを聞いた時で、「真・善・忍はすばらしい」と思い、学びたいと思い、同修から『轉法輪』を借り、1週間で読み終わりました。

 法の中で、私は「真・善・忍という特性は、宇宙の中の善悪を判断する基準です」[1] を学びました。

 始めて師父の写真を拝観した時に自分の肉親に会ったように感じ、以前どこかでお会いしたことがあるように感じました。『轉法輪』を読み終わり、人としての目的が修煉して返本帰真することであることがわかり、法輪功が性命双修の功法であることがわかり、人の道徳を向上させ、体を健康にする非常に良い功法であることがわかりました。私はその時に1カ月間ほど下痢をし、業を滅し、身体を清めてくださっているのだということを知っていました。

 二、大法を実証し 迫害を否定する

 1999年7.20以前、私は毎日朝4時に起きて公園で集団煉功に参加することを堅持し、夜も集団煉功に参加し、集団学法と弘法活動に参加しました。朝は五式の功法を修煉し終わってから出勤し、毎日努力し、性格がよくなり、古くからの体の病気が全快し、問題が起きた時には、自分のどこがよくなかったのかについて、内に向けて探すことを理解しました。残念なことは、7.20の鎮圧が猛吹雪が天地を覆い隠すかのようにやって来たことです。すべてのテレビ、ラジオ、新聞がみな嘘を報道しましたが、同修の励ましに感謝し、そのおかげで私は師を信じ法を信じ、自分が法輪功を学んでいることは間違いはないのだ、と信じました。

 私が修煉を始めて恩恵を受けたので家族にも修煉を始めてほしいと思い、姉に「『轉法輪』は貴重な書籍で、とても貴重で、どんな価値をもってしても量れません」と言いました。姉は好奇心を持ち『轉法輪』を読み終え修煉を始めました。大法書籍は無上の宝であり、常人の間で幾万の黄金をもってしても交換することはできません。

 2000年7月19日「610弁公室」がやって来て、私と姉をだまして鶴山警察署へ連れて行って、いくつか話をしました。警察署に着くなり、「まだ法輪功を修煉するのか、修煉するなら拘禁し、修煉しないならすぐにでも家に返し解放する」と私たちに聞きました。私と姉は「法輪功を固く修煉し、法輪功は善に向かい心を修めてよい人になるように人に教えており、煉功して体がよくなるので、必ず修煉します」と言いました。その夜、私と姉は留置場の異なる監房に拘禁されました。理由は「法輪功を修煉している」からで、私たちは15日間不当に拘留されました。

 2000年10月、私と数人の同修は何度もバスを乗り換え、私服警官の尾行を避け、多くの街を通り過ぎてから法を守るために、北京の天安門に駆け付けました。私は天安門広場で「法輪大法は素晴らしい」と書かれた横断幕を掲げ、「法輪大法は素晴らしい! 私の師父は無実です!」と大声を上げました。当時天安門広場には全国各地から同修がやって来て、ある同修は煉功し、ある同修は横断幕を掲げて、「法輪大法は素晴らしい」の声が天安門に響きわたり、警官らは私たちを捕まえ続けていました。私は経験がなかったので、横断幕を広げ終わると、その場に立ち警官らが捕まえに来るのを待っていました。その後、私は北京平谷県平谷留置場に10日間拘束され、姓名を名乗らず、どこから来たのかを言わなかったので、何度も殴られ、強制的に拇印を押させられました。私は9日間絶食し、管を差し込まれ鼻から薄いおかゆを流し込まれて血が流れ出し、10日目にやっと解放されて家に帰ることが許され、その時に何も言わなかった私は、名称としての番号を与えられました。家に帰り、私は法輪功の修煉を堅持したので、職場は私を解雇しました。

 2000年12月31日、私は再び法を守るために北京へ行き、広州駅で警官に食い止められ、地元の警察署に拘束され、迫害の口実は「社会の管理と秩序を妨害した」ことで、さらに「中華人民共和国治安管理処罰条例」を執行するという口実で、私を不当に15日間拘留しました。

 2001年2月14日「610弁公室」がやって来て、私と姉を不当に連行しました。私たちが座禅を組んでいると、「610弁公室」の人員たちは強制的に5階から私たちを引きずって階下に下ろしましたが、私たちは絶えず「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい、警察は良い人を捕まえています」と大声で叫びました。大勢の人が階下で野次馬見物しており、「610弁公室」の人員は一瞬動きを止め、すぐに私たちを車に押し込んで新城警察署に送り、その晩に鶴山拘置所に送りました。迫害の口実は「不法に集団煉功した」ことで、私を15日間拘留しました。私は煉功を放棄しないため、30日経ってやっと解放されて家に戻りました。姉は1年間不当に拘禁され、三水女子労働教養所に入所させられました。姉は留置場で絶食して抗議したので、警官らによって骨と皮ばかりにやせこけるまで苦しめられ、あと一息しか残っておらず、弱々しい姿でしたが、それでも80センチの幅に足を広げさせられて、足には2、30キロの重さの足掛けをつけられ、カギがかけられていました。

 2001年3月16日、拘置所から家に戻った後になってはじめて、地元の十数人の同修が2月24日に全員不当に連行されたことを知り、全員が労働教養を科され、私は住居を追われました。住居を追われている間でも、私はずっと地元の人々に法輪功の真相を伝える手紙を書き、そして、法輪功の真相を理解してもらいました。地元の「610弁公室」の人員は人々が真相を理解するのを恐れ、真相をせき止めるためにあらゆる手を尽くして、妨害しました。

 法輪功の真相を伝える手紙を書き、また私がずっと法輪功の修煉を堅持したので、私は江門薬物依存症者回復施設の洗脳班に不当に連行され、「610弁公室」の者らは転向書を書くように、強く私に迫りました。そこで私は「書かなければならないことはきちんと書こう」と思い、「法輪功は最も正しく、最も素晴らしく、最も偉大で、最も殊勝で、百利あって一害なく、私の生命をもって大法を守ることは、私の最大の光栄であり、私は確固として法輪功を修煉します」とはっきりと書きました。私にはその時に恐れる心は全くなく、また、どれだけ長く私は不当に拘禁されるのかということを考慮しませんでした。ただ、信仰の自由だけを考え、煉功することは罪にはならないと考え、すべてを師父の按排にゆだねました。すると、洗脳班は1カ月で私を家に戻し、解放しました。その後、私は外で住居を追われました。

 2002年8月13日、家に帰ったばかりの時「610弁公室」の者らがやって来て、また不当に連行し、その晩鶴山留置場に不当に拘禁されました。その後、三水女性犯教育所で不当に1年6カ月の労働教養を科され、2003年12月29日にやっと釈放されました。それでも法輪功の修煉を堅持し、真・善・忍を信仰したので、地元の「610弁公室」によっていわゆる「ブラックリスト、積極的な活動家」に定められ、出国を禁止されました。

 鶴山市留置場で拘禁された1カ月後、私は三水区にある広東省女性労働教養所の第1区2大隊に移されました。労働教養の期間中に洗脳班に入れられてひどく迫害され、生産労働に参加させられて迫害され、今まで何度も体を検査されて2回ほど採血されました。大隊長は「もし転向しないなら、西北部に送る」と言いました。私は「転向基地」でも拘禁を強要され、そこでは「転向基地」はまた「水牢」と呼ばれ、また「レスキュー隊」とも呼ばれ、何日間も眠らせてもらえず、トイレに行くことも歩くことも禁じられ、さらに両手を後ろ手に背中側で上下に手錠をかけられました。そして、しゃがまされたままの格好で、ずっと長時間、その姿勢を保たされました。動くとスタンガンを使われて電撃され、時には1日1回だけしかトイレに行かせてもらえず、その上、無理やり洗脳ビデオと洗脳資料を見させられました。さらに、高音を発するイヤホーンを強引に耳に押し込まれ、中傷する内容の録音をずっと聞かせられました。そこには中傷する内容の大きな文字のスローガンが壁いっぱいに掲げられ、4人の警官らと2人の受刑者らが交代しながら、リレー方式で残忍に酷く迫害し、洗脳し、殴り、スタンガンを使い電撃されました。そこで、私は頭を壁にぶつけて抗議すると、警官らは私の精神と肉体をさらに酷く迫害し、私は大きな傷を負いました。

 鶴山拘置所では拘禁される度に、120元(およそ1800円)の食費を強引に払わされました。私は鶴山拘置所と留置場で煉功を堅持し、規則のスローガンに背いて協力せず、手作業の参加に協力しませんでした。そのため、警官らは私に煉功させず、強制的に足かせをはめ、2、30キロの重さの棒状の足かせと手錠を使い、5キロ以上の重さの首輪をかけ、80センチに足を開かせ、首、手、足を鎖で縛り上げて苦しめました。7、8日間してからやっと一度鎖を解かれ、20分間体を洗い、洗い終わるとすぐに鎖をかけ、トイレに行くのもとても困難でした。寝るのも横になれず、ひざをついて半身が起きた状態でトイレのそばのコンクリートの上で寝るしかありませんでした。善心のある受刑者が私が顔を洗うのを手伝ってくれ、トイレに行くのも手伝ってくれました。私は拘置所と留置場で法輪功の真相を伝え、大部分の受刑者はみな真相を理解しました。

 私の夫の王斌は、中国で1996年に法輪功を修煉し、修煉を堅持し「真・善・忍」に基づいてよい人になったために、かつて何度も中国共産党の人員に不当に尾行され、訪問を受けて騒ぎを起こされ、電話を盗聴され、さらに捕まえられて労働教養所に拘禁されて拷問と残酷な迫害を受けました。

 2000年12月20日、夫の王斌は真相資料を配ったために不当に捕まり、三水労働教養所に3年拘禁され、さまざまな非人道的な拷問による酷い苦しみを受けました。

 2006年11月1日夜10時、夫の王斌は修煉を堅持し、真相を伝えたことを通報され、江門「610弁公室」と花園警察署が警官らを派遣し、家宅捜索を受け、殴られ、不当に連行され、三水洗脳班に不当に拘禁されてひどい迫害を受けました。当時私の娘はちょうど満5カ月で、私は娘を背負い、家族と王斌の姉と一緒に公安局へ行き、夫の釈放を要求しました。私は娘を背負って王斌の姉と三水洗脳班へ行き夫の引き渡しを要求しましたが、洗脳班は夫に会わせず、釈放にも応じませんでした。各界の正義ある人々と大法弟子が救出にあたり、半年後に夫はやっと釈放され家に戻りました。

 2017年5月22日、王斌は「610弁公室」および警官らに不当に連行され、家宅捜索を受け、不当に江門留置場に拘禁され、1年7カ月以上も残酷に迫害された後、弁護士が江門市蓬江区裁判所の「刑事判決書」を送ってきました。裁判所はなんと夫の王斌が携帯電話でウィーチャットを登録しグループを作り、法輪功の真相を伝えたという理由で、夫に8年という重い懲役刑を科し、さらに罰金として、3万人民元(およそ45万3500円)を徴収しました。その後、私は転々とさせられて、夫の王斌が韶関刑務所(訳注:広東省韶関市にある刑務所)へ送られたことを知りました。

 私の娘は12歳で、中国で誰も面倒を見る者がおらず、娘はしばらくの間、親せきの家に住むしかなく、苦労しながら両親との団欒を待ち望み、毎日両親のことを思って暮らしていました。そして、私が最も心配したのは娘の安全でした。

 王斌が不当に拘禁された後「610弁公室」は私たちの大家を脅かしました。そこで大家は、2カ月以内に引っ越すように私たちに迫り、私はその時「百の苦一斉に降る」[2] と感じ、関と難に直面して、たった3日間でさえ、心穏やかな良い日を過ごせませんでした。当時、私1人で生活上の各方面からの圧力と問題を引き受け、無形の圧力が大きな岩のように私の心を押しつぶし、涙を流しながら『洪吟』の中の「その心志を苦しめる」と「威徳」を暗唱し、このようにして辛い毎日を歩んできました。

 三、大法による幸福と平安

 私の娘は大法により幸福と平安を得ました。娘はずっと大法の恵みの中で健康で平安に成長し、娘がちょうど説法を学んだ時、私が娘に最初に教えた言葉は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」でした。娘は生まれた後に、病院で医者が強制的に2回予防接種を施しただけです。家に帰った後、私は娘を病院に連れて行って身体検査をしたことがなく、注射もせず、薬も飲ませず、高熱が出たり、体の調子が悪い時はいつも、娘に『轉法輪』を読ませ、師父の説法を聞かせ、1日か2日かするとよくなりました。

 娘は小学1年生になり、学生を強制的に少年先鋒隊に加入させることを学校は父兄に通知せないまま、その日、何も知らない娘は赤いスカーフをつけて下校しました。娘は赤いスカーフがよくないことがわかると、脱退したがりました。翌日、私は担任の先生に電話して「先生、私たち父兄は子供を政治に参加させたくないのです。私たちはこの政治組織が好きではありません。子供を脱退させてください」と言いました。先生は「脱退するのであれば、少年先鋒隊の多くの集団活動、旅行などに参加できなくなります」と言われましたが、それでも私は「かまいません」と言いました。先生は「脱退したいのであれば、赤いスカーフを返してください」と言いました。毎週中国共産党の旗を掲げ、全校で娘だけが赤いスカーフを付けておらず、敬礼せずにいると、少年先鋒隊の委員が娘に敬礼させようとしました。私の娘は「私は少年先鋒隊を脱退したのだから、敬礼する必要はありません」と言うと、先生も「そうです、彼女は脱退しました」と言いました。級友達は中国共産党の国歌を歌い、私の娘は「法輪大法は素晴らしい」の歌を歌いました。そして、「中国共産党の国旗は上げることはできない、上げることは絶対にできない」と心の中で思っていたそうです。

 娘が8歳の時に、常人が言うところのじんましんの状態になり、全身が赤い発疹でいっぱいになり、痛くてかゆくなりました。私は香港で働いていて休みを取って中国へ行き、娘に付き添い、長時間娘のために正念を発し、師父の説法を聞かせました。私は娘に「私たちは大法弟子で、師がいらっしゃり、法があるので、心配いりません」と言い聞かせました。娘は心を込めて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じ、2、3日で全快しました。師父のご恩は、言葉では語り尽くすことができません。

 私は香港で2013年から2018年4月まで密閉された空間での地盤工事を行ない、今まで何度も足を滑らせて足をぶつけて、全身が青黒くなりましたが、第一念で「大法弟子には、これくらい何でもない」と思い、すぐにはね起きました。ずっとそばで保護していただき、師父に感謝申し上げます。

 四、師が法を正すことを手伝う

 2015年6月15日、同修の手助けの下で、私は中国のある街に戻り、郵便局で江沢民のジェノサイド案件の郵便物を郵送することに成功しました。一通は北京の最高検察庁告訴申立課に送り、もう一通は北京の最高裁判所立件法廷に送りました。その時郵便局で表を記入した時、心臓がドキドキして私の手は書きながら震え、恐れの物質が強化されているのに気づきました。手が震えないようにと私は師父に加持をお願いし、心の中で『洪吟二』「恐れ無し」を暗唱し、手続きを終えて郵便局を離れてから、やっと手の震えが収まり、恐れる心が取り除かれました。

 2017年5月30日、私は同修と一緒に中央政府駐香港連絡弁公室までパレードをして抗議しました。さらに各界に救出の協力を呼びかけ、私の夫、王斌をすぐに釈放するよう中国共産党当局に要求し、そして王斌と娘を香港に移して一家団欒できるように、すぐに手配するよう要求しました。パレードの数日前、私は再び恐れる心が出てきました。心配しながらもし出てきて横断幕を張ったら、地元の「610弁公室」の人員がそれを知った後、私を不当に連行することがあるでしょうか? 私の娘は1人で家にいてどうすればいいのでしょうか? さまざまな感情が綯い交ぜになり、あれこれとつまらぬことをむやみに考え、人の観念が反映されてきました。私は正念を発して自分に存在する恐れの要素を取り除き、宇宙の正法の基準に符合しない変異した生命、変異した物質を取り除き、これらすべてを取り除き、師父にご加持をお願いし、すべてを師父の按排に委ねました。私は「同修が迫害され、私は何をしているのか?」と思いました。私は表に出て救い出す責任を受け持つべきであり、これは私が妻の責任、母親の責任を行なうということです。ここまで考えると、それらの恐れる心が取り除かれました。事件が暴露された後、世界各地の同修が真相電話をかけたり、真相を伝える手紙を送ったりする方法で積極的に私の夫を救助し、私も中国に戻って、夫のために正義の弁護士を頼みました。そこで、私は師父の詩を思い出しました。

 「時空を超越して法を正すことを急ぐ

 巨大な難に志移らん

 邪悪が狂っても途に迷わず

 悪を除くは只塵を拂うとす

 弟子大法の路を正しく歩み

 光天地を照らし、悪尽く除かれる

 法徒精進して寒中の梅

 万古の艱難は只今回の為だけである」[3]

 これは私たち大法弟子が歩まなければならない道である、と私は深く信じています。

 香港で、私は移動真相拠点に参加して新聞を配り、配りながら「すみません、『明慧週報』です。ご覧ください。これは法輪功の真相資料です。法輪功は人に善に向かうよう教え、真・善・忍を修煉してよい人になるように教え、煉功して体を強くし、病気治療と健康保持に効果があります。ご家族全員が真相資料を見れば、きっと家族全員が恩恵を受け福報があります。そして、真相を理解することは希望であり、みんなに真相を理解する権利があります」と言います。多くの常人がためになる話を聞きたがり、新聞を喜んで受け取り、喜んで離れていきます。中には、近づいて来ても受け取らず、しばらくしてからまた戻って来て新聞を受け取って歩いていく人もいます。また、わざわざ道路の反対側から歩いて来て、真相資料を受け取る人もいます。

 ある時、市街区の商店街(深水埗商店街)付近で、ある女性が新聞を受け取り、「あなた達の法輪功の新聞はよく書かれていて、応援しています。頑張ってください!」と言われ、私は「ありがとうございます」と応えました。その女性が真相がわかったことで私は心から喜びました。その時、その女性の口を借りて、師父が私たちを励ましてくださったことを感じました。そして、外に出て真相を伝えなければならないことを私たちに悟らせてくださいました!

 ある時、離れた市街区の鉄道の駅(上水駅)で、邪悪の団体の人間2人が妨害し、写真を撮って罵りました。そして大きなスピーカーで高音で嘘を流しました。私がどこに行ってもこの邪悪の団体の人間は、私のそばに立って邪魔をして、私の新聞を通行人が受け取らないようにすることが目的でした。そこで私はずっと正念を発して、人々が法輪功の真相を理解して救われることを妨害するすべての邪悪要素を取り除きました。しかし、心の中では邪悪の団体の人間を恨まず、邪悪の団体の人間がウソによってごまかされ、大法に対して犯罪を犯していると感じ、ただ邪悪の団体の人間をかわいそうに思いました。

 ある時、ある商店街(荃湾商店街)の外で新聞を配りました。1人の女性がわざわざ歩いてきて大声で罵り、15分間ずっと罵り続けました。そして、歩いて行ったかと思うとまた戻って来て、15分の間罵りました。私は心の中で正念を発し、私が真相資料を配って衆生を救うことを妨害する邪悪要素を取り除きました。その女性がとても大きな声でののしるので、その女性が私をののしるのを周りの多くの人が見ていました。罵る声を聴いて、わざわざ店から出て来て新聞を受け取りに来る人もいました。また多くの常人が新聞を喜んで受け取りました。他の者がどんなに凶悪に罵ろうと私は恐れず、私も外に出て法輪功迫害の真相を伝えなければなりません! 学法をするの中で、真相を伝えることは私たちの重大な使命であることを私は悟りました!!

 私はいつも師父が説かれた「理智をもって法を実証し、智慧をもって真相をはっきりと伝え、慈悲をもって法を広め、世人を救い済度する偉大なる壮挙の中で、一人一人の大法弟子の圓満成就の道を完璧なものにしています」[4] を覚えています。

 同修の皆さん、私たちはともに精進し、法を正す進展に追いつき、私たちの史前の誓約をかなえましょう!!

 修煉体験にもし不足のところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 師父に感謝申し上げます!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「只今回の為だけ」
 [4] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「弟子の偉大さ」

 (2019年香港法会発表文章)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/29/388014.html)
 
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