5時間で病業の関門を突破する
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2019年10月30日】私は今年59歳です。1997年に法輪大法の修をし始めました。長い修煉の道では、私は失敗ばかりを重ね、はっきり言えば、あまり精進していない人間でした。数日前に私に大きな衝撃を与えることが起きました。以下では、その事を皆さんに話して、自分の体得を皆さんと分かち合いたいと思います。

私はある町で孫の世話をしています。2019年9月22日の午後、胃の調子が少しおかしいと感じましたが、あまり気にせず、孫娘の遊び相手をしていました。夜6時頃、息子の嫁が子供を迎えに来ました。(私達は一緒に住んでいません) 部屋の片付けをしていたとき、胃が痛いと感じました。時間を見ると、もう少しで7時になるため、私は座って発正念をして、8時頃、同修の家に行って一緒に法を学ぼうと考えました。

しかし、座って発正念をしたら、胃痛がひどくなり、座れないほど痛くなりました。当時、家には私1人だけでした。あまりにも激しい痛みに襲われたため、同修の家にはとても行けなくなりました。息子たちに電話をしようと考えましたが、「だめだ、彼らに知られたら大変なことになる。病院に行かなければならない。どうすればいいだろうか」と思いました。

この時、同修と交流した際、「修煉の中でどんなに大きな困難に遭遇しても、必ず師父のお言葉、『修煉の中で、皆さんは良いことに出会っても、良くないことに遭っても、すべて良いことです。なぜならば、それらは皆さんが修煉しているからこそ、現れたことだからです』[1]を思い出してください」、と同修が励ましてくれた言葉を思い出しました。そこで、「良いことであれば、来るなら来なさい。今晩、胃痛が治らなければ、私は発正念を止めない!」と思いました。

強い意志で正念を発しました。座れなければ、私は枕を抱え、身体を丸めて発正念をしました。1時間、2時間、3時間が過ぎました。夜10時を過ぎると、痛みが突然消えてなくなりました。そこで、私は身体をまっすぐにして発正念を続けました。体調がますますよくなり、そして、胃痛は全くなかったように完全に治りました。掌を立てていたら身体が入定したように、頭にいかなる雑念もなく、ただ「滅」の一文字だけでした。夜中12時、全世界大法弟子の発正念の時間が終わると、私はやっと発正念を止めました。

発正念を止めたその瞬間、涙が溢れてきました。この5時間は私にとって、まさしく生死の試練でした。もし、師父のご加護がなければ、もし、師父がこれほどの苦難を引き受けてくださらなければ、私はこの関門を突破することが出来ませんでした。師父に対する感謝の気持ちは千言万語を使っても言い表せません。師父は弟子のためにあまりにも多くの苦難を耐えてくださったからです。

ここでは、私と同じようにあまり精進していない同修に言いたいのです。師父は私たち大法弟子のために、あまりにも多くの心血を払ってくださいました。私たちはただ精進して着実に修め、そうしてはじめて師父の慈悲なるご済度に背かないことになります。今度、病業の関門を突破できたのは、師父のご加持と、同修たちの普段からの助けと激励があったおかげです。師父に叩頭して感謝いたします。同修に感謝いたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「シカゴ法会」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/13/394519.html)
 
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