毎日の朝煉は一日の精進の始まりである
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 【明慧日本2019年11月10日】朝の煉功は一日の精進の始まりです。煉功が終わって、発正念をしてから、法を暗誦することで、一日中ずっと精進していると感じ、自分が煉功者であるという意識が持続します。

 朝の煉功を4年間堅持しました。この4年間、煉功しない日は少なかったです。できなかった日は、ほとんど用事で外出していたり、特別な理由があった日でした。第二功法の1時間バージョンが出た後は、ずっと1時間でやりました。記憶の中では、出来なかったのは4日間だけです。その中の2日間は外出していたからで、それ以外は人心が出てしまい、アラームが鳴ったのに起きることができませんでした。その時「昨日ずいぶん遅く寝たから、もう少し寝よう。後で起きて座禅すれば大丈夫」と考えてしまいました。この一念をすぐに排除できなかったため、朝の煉功をしませんでした。

 実はどのくらい寝るのかについては、これもまた人の観念です。例えば今日、数時間しか寝れなかったとします。睡眠時間が短いから眠くなる、学法に影響が出る、他のことに影響するなど、人の観念で考える必要はなく、本当に影響がありません。人の念が動じなければ本当に神の状態になります。時には睡眠時間がとても少くても、昼間の学法や他のやることも元気にできているので、まったく眠いとは感じません。

 状態が良くない時もあります。自分を厳しく律していない時、人間の状態が出てきます。5、6時間寝たとしても、体がだるくて全然力が入りません。

 ある日、怠けて安逸心を求めたため、朝の煉功ができませんでした。アラームの音が雨音に聞こえて、まだ暗かったので、どうしても起きたくありませんでした。少しの油断で朝寝坊してしまい、起きてからとても後悔しました。

 怠けること、安逸心は魔性です。それを養ってはならず、必ず取り除かなければなりません。その後、再び怠ける心、安逸心が現れたら、自分に「そのような心は要りません。絶対にノーと言わなければなりません。少しの生存空間も与えてはいけない」と教えています。そしてアラームが鳴った時、二度と安逸心に機会を与えることなく、直ちに起きました。

 怠けもの、安逸心も一種の物質です。それらを養ったら、あのモノはますます強くなります。あの心が大きくなったら、もうあれをコントロールできなくなります。逆にコントロールされやすくなります。あの物質はあなたを寝かせ、学法させなくし、煉功もさせなくし、横になるのがとても気持ちよさそうに感じさせます。人にあの心から抜け出すことを難しく感じさせます。

 あれらの心に機会を与えなければ、生存する空間がないので、生きていけずに自然と消えてしまいます。もちろん、ここまで来るためには、苦をなめなければいけません。師父はこのように説かれました。「あなた自身は自らを厳しく律しなければなりません」[1]、「したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」[1]

 本当に乗り越えて歩んで来たら、朝の煉功はご飯を食べたり、寝るのと同じように自然になると感じました! 私はこのようにして、朝の煉功を突破してきました!!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/10/11/394404.html)
 
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