【明慧日本2019年12月20日】遼寧省営口市老辺区の法輪功学習者・徐傳徳さん(男性)は真・善・忍に従って心を修め善に向かい、より良い人を目指して法輪功の修煉を放棄しなかったため、不当に3年の労働教養を強いられたことがあり、そして、懲役4年の実刑判決を下されたことがある。長年の迫害を受けた徐さんは、2013年5月17日(旧暦)に他界した。享年46歳だった。
1999年7.20、江沢民が中国共産党を利用して法輪功への迫害を発動した。徐さんは法輪功の真実を伝えるために陳情しただけで、不当に3年の労働教養を強いられた。2002年4月、営口市労働教養所に収容された徐さんは、「小椅子座り」の拷問を受けた。障がい者である徐さんは毎日朝6時から夜9時まで、小さな、小さな椅子にずっと座り続けることを強要された。
その後、徐さんとほかの学習者計14人は労働教養所を逃げ出した。その中の数人はその後、警官らに連れ戻され、拘禁されて、残忍な迫害を受けて死亡した。
障がい者で行動が不便でなおかつ猫背で、強度の近視だった徐さんは、労働教養所を逃げ出した後、お金もなく、あれこれ紆余曲折を経て、やっと鞍山市の姉の家にたどり着いた。そこでしばらく身を隠そうとしたが、当時、法輪功への弾圧に対して、姉は怖くて弟に少しのお金を渡しただけで、弟を老辺区に帰らせた。徐さんは家に帰えるとまた連行されると思い、仕方なく山に入って身を隠した。
当局は警官や町事務所の共産党員など計30人あまりを出動させて、山を取り囲み、徐さんを連行した。そして、徐さんは懲役4年の実刑判決を下され、本溪市刑務所に収監された。
本溪市刑務所で徐さんは十数人の警官らにより酷く殴打され、肋骨2本を骨折した。また、肺病も再発したため、徐さんは医療を受けるための保釈を申請した。徐さんは障がい者なので労働ができず、刑務所側にとっては、利用価値がないとみなされ保釈が許可された。
除さんは家に帰っても収入がまったく無かったので、瓶や缶、段ボールなどを拾って売り、生計を維持した。病気も完全には治らず、当局からの嫌がらせも絶えなかったという。そういう苦難の環境下で、徐さんは2013年旧暦の5月17日に冤罪のはれないまま他界した。