80代の私は幸運にも 法輪大法を得た
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2019年12月28日】私は今年で88歳です。定年退職する前はある公的機関に勤め、その機関の責任者でした。2015年1月1日、私は法輪大法の道に入り、幸運にも大法弟子になることができました。師父や法輪大法がなければ、今日の私はいません。法輪大法のおかげで、私は救われて生命を延長され、長寿者にもなれました。それと同時に、私は中国共産党の邪悪な本質をはっきりと認識することが出来ました。

 中国人の根元を断ち切るように、中国共産党は無神論を私たち中国人に注ぎ込み、神の存在を信じないようにさせ、私たちが神の子孫であることを信じないようにさせたのです。そのせいで、私たちは物欲と貪欲まみれのこの世の中で迷ってしまいました。しかし法輪大法のおかげで、私は返本帰真が生命の帰着であると認識できました。ここで、私は法輪大法を得る前と得た後に自分に起きた変化を書き出して、師父にご報告し、同修の皆さんたちと交流したいと思います。適切でないところがあれば、慈悲にご指摘をお願いします。

 無神論による毒害を受ける

 私は1948年6月に中国共産党の軍隊に入隊し、18歳のときに共産党の党員になり、20歳で幹部に抜てきされました。軍隊で28年間仕事をして、1976年3月に軍隊から離れて地方に移り、除隊しました。中国共産党の無神論を詰め込まれた私は無神論者になり、さまざまな愚かなことをやってしまいました。

 1970年5月、まだ軍人である私はある日、友人と山西省にある玄中寺に観光に行きました。その途中の道中で、学生たちが「破四旧」(旧い思想・文化・風俗・習慣の打破)のために行なっていた事を私もやりました。自分も無神論者であることを証明したいがために、山道で地面に転がって散乱していた砕け散った仏像の破片を見かけ、右足で半分になっていた仏像の頭を蹴りました。1970年代の気功ブームの時期から1990年代の法輪大法が広まり、盛んになる時期まで、私は相変わらず、自分のことを無神論者だと自称していました。そして、気功は封建的で迷信だと思っていました。

 しかし、1994年に妻が法輪大法を学び始め、師父のハルビンでの9日間の講習会にも行きしました。妻がその9日間の講習会の後、長期に患っていた病気が無くなり、健康になり、精神的にも健全になりました。本当に不思議な出来事でした。妻の変化を目の当たりにした私は、妻に法輪大法を紹介され、法輪大法を学ぶことを勧められましたが、全然心が動かず、無神論の思想が岩のように揺るぎませんでした。

 1998年、末娘も法輪大法を学び始めました。娘に法輪大法の素晴らしさを紹介され、法輪大法は佛法であること、師父が人を済度されに来られたことなどを、繰り返し私に話してくれました。しかし、私はただ「良いものなら、お前たちが学べばよい。オレは反対しない」と言っただけで、学ぼうとしませんでした。

 1999年7月20日、江沢民がいきなり法輪大法を弾圧し始め、法輪大法の修煉者に迫害を加えることを命じました。そのとき、私は無神論者ですが、まだ心が善良で良知があり、「良い人に迫害を加えることや、善良なものを打撃することはきっと邪悪のものだ」と、善と悪の分別がはっきりしていました。

 その後、娘が前後2回、労働教養所と刑務所に入れられ、迫害を受けました。数年後、刑務所から帰宅した健康的だった娘が、痩せこけて弱々しい体になり、黒かった髪の毛が白髪だらけになりました。数十年も涙を流したことがなかった私は、娘に会った瞬間に涙が流れ出ました。その娘が「生きていながら、臓器狩りをされた同修がいる」という話をしてくれ、私の心は震撼されて非常に痛みました。それ以降、私は積極的に妻と娘の修煉、法輪大法の修煉を支持するようになりました。

 娘からもらった法輪大法の資料を読んで、全世界で100以上の国と地域に法輪大法を信仰し、支持する人がいることを知りました。大法修煉者の確固たる信念と強靭な忍耐力で、「世界には真・善・忍が必要で、中国にも真・善・忍が必要であり、これにより、中国の未来も明るくなる」ということがわかり、私にも希望が湧いてきました。

 慈悲の啓示

 1970年代に、私は仏像の頭を蹴ったせいで業を作り、その応報に遭いました。

 2014年12月25日の朝明けに、私は起きて体を鍛えようとして近くの江の岸に行きました。横断歩道を渡るとき、左足がもうすでに歩道に踏み出していましたが、もう一方の右足が走ってきた乗用車にぶつけられ、粉砕骨折してしまいました。当時、私はまだ、法輪大法を学んでいなかったのですが、妻と娘の影響を受け、「これは普通の交通事故ではない。仏像を蹴ったせいで招いた業力によるものだ。神様が無神論の私に懲罰を与えられたのだ。私を救っておられることでもあるのだ。これは神様の慈悲の啓示だ」という認識をしました。

 私にぶつかって来たのは警官でした。その警官は重い傷を負った私を見て、怖くなってすぐに救急車を呼び、私を病院に搬送しました。その後、娘はすぐに病院に駆けつけました。病院で娘は「その人がわざとお父さんにぶつかったわけじゃないので、あまり彼を恨まないでね」と私に言いました。その後、娘は警官にも「私たちはあなたからお金などゆすりません。心配しないでください」と話しました。

 その警官は最初、私がもう83歳だと知ったとき、私たちがきっとお金を騙し取ると心配しました。本当のことを言うと、妻と娘が法輪大法を学んでいなければ、また、私がこの十数年、法輪大法の影響を受けていなければ、例えお金を騙し取ることをしなくても、介護費用や精神的な賠償、栄養剤などの費用を請求していたに違いありません。看護師の話によると、このような事故では少なくとも十数万元(10万元で、およそ156万円)の賠償金をもらえるそうです。

 妻と娘はもちろんのこと、1元ももらう気がありませんでした。私は修煉していなかったのですが、妻と娘の修煉に反対したことはなく、妻がハルビンの講習会に参加したときの費用も私は出しました。私は法輪大法が健康に良い功法だと思っており、いつも妻と娘の安全を祈りながら、黙々と妻と娘の修煉を支持してきました。

 娘はその警官に「私たちはあなたから1元も取りません。あなたもこれから先、きっとわかるようになります」と話しました。

 妻と娘の考え方は私の予想通り的中しました。妻と娘の身から法輪大法が超常的なものだと知り、大法の師父の偉大さも分かりました。偉大な師父と偉大な佛法があって、きっと大法弟子たちを無私で善良な人に導くことが出来ると分かっています。私の息子も警官ですが、妻と娘の影響で権力を笠に着せて、加害者をいじめたりはしませんでした。息子は穏やかな行動を取りました。そこで、娘がいつも私に言っている師父のと説かれた言葉で「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1] を思い出しました。そして、私は心の中で千回も万回も法輪大法の師父を「師父! 師父!」と呼びました。「師父がおっしゃった通りです。息子も受益しました! こんな品行が正しいことができるのは、今の社会では法輪大法修煉者だけで、その次は法輪大法の恩恵を受けた法輪功修煉者の家族だけだ!」と私は本当に心からそう思いました。

 看護師と他の患者が私と私の家族が、いっさい金品のことで加害者を困らせなかったことを知って、「今どき、こんなに善良な人もいるものかねえ」と言って、不思議そうな顔をしました。

 観念を変えることで奇跡を起こす

 入院している間、妻と娘は「誠心誠意に法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいを念じるように」と教えてくれました。私はそれに従い念じ始めると、痛みが和らぎました。その後も繰り返し、師父の広州での説法を聞きました。そのおかげで、数日で足の痛みがなくなりました。この素晴らしい効果で頑固で無神論の私でしたが、法輪大法は絶対に普通の気功ではないと確信しました。

  そして、妻と娘は私に「師父に感謝してください。師父はお父さんの代わりに耐えられたんですよ」と言いました。このとき、私は口では何も言わなかったのですが、心から認めました。私の痛みを取れるのは大法の師父しかやれないことだと分かっています。その後、私は一層真剣に師父の説法を聞きました。「師父がどうやって良い人になれるのかを教えられ、真・善・忍に従って、もっと良い人になれるようにと教えられている。師父は本当にいいことをおっしゃっている」と分かり、感激しました。この世では法輪大法だけが人の心を正せるのだと心の底から思いました。

 その1週間後、医者に鋼プレートをつけられて手術をしました。その間不思議なことに、私は痛みを全く感じなかったのです。毎日、師父の説法を誠心誠意に聞き、傷を負った足も日に日によくなり、「2本の骨が粉砕骨折した足が、こんなに早く回復できるなんて本当に奇跡だ」と周りの人が驚きました。

 完全に回復しなかったのですが、私は22日間入院して退院しました。病院側が「費用は加害者へ請求できるので、自分からお金を出さなくても良いし、もう少し入院していてもいいのではないか」と私の退院をとめましたが、「法輪大法を学んでおり、大法弟子になったので、入院を1日でも延ばすとその分費用が加害者の負担になるし、師父が他人のことを考えるべきだと教えてくださった。家に帰って学法をし、煉功もやりたい」と思って、薬も栄養剤も保健剤も何ももらわずに退院しました。

 退院したとき、妻と娘が警官に法輪大法の真相を伝えました。話を聞いた警官は驚き、「三退」しなかったのですが、これからは法輪功学習者を捕まえることをやめると約束しました。警官は「法輪功を学ぶ人たちは本当に善良な人たちです」と言いました。

 「筋骨に傷をつけられた怪我を直すには100日間ぐらいかかる」という話がありますが、22日間で私はほとんど回復しました! 法輪大法は超常的なものだと感じました。妻と娘はいつも法輪大法は、佛法で素晴らしいものだと言っていますが、本当にそのような素晴らしいことが私の身に起きました。それと同時に「目覚めることが遅すぎた」とも痛感しました。

 今回の交通事故で私は「善悪に応報があり、善には善報が、悪には悪報が必ずいつか来る。これは本当のことで、真理だ」と悟りました。

 また「この世の物事は本当に神様にコントロールされている。中国共産党が宣伝した無神論は、中国人に道徳を低下させる毒の根元である。人が良いことをするのも、悪いことをするのも皆、神様には良くわかっておられるのだ。神様が人間を作られたのだから、当然、人間を管理しておられるのだ。人が悪いことをやりたい放題のまま放置されないのだ。天理があるのだ。人が治めなければ、天が人を治めるのだ」と悟りました。

 中国共産党に深く毒害されていること、中国共産党の本質を認識するのが遅れたことを今は悔やんでいます。もし、慈悲深い神様にこの交通事故によって啓発されなければ、叩かれなければ、私はきっと中国共産党の滅亡の犠牲者になったに違いありません。

 私は中国共産党に六十数年にわたって邪悪なものを注がれ、花崗岩のような頭になってしまいました。しかし、幸運にも私は目覚めました! そして2014年12月25日に「今日から、中国共産党を脱退し、徹底的に共産党と決裂して、これからは法輪大法を学び、法を信じ、師父を信じ、返本帰真の道に入って行く」と決心しました。

 私は心から「この世には法輪大法だけが人の心を正せ、人を善に向かわせ、道徳を向上させ、人々の心身を健康にすることができる。一つの生命がこの高徳な大法を得られるなら、何よりも幸運なことである」と思うようになりました。

 2015年1月1日、私は正式に法輪大法の道を歩み始めました。病院で師父の説法の録音を繰り返し聞き、娘が持って来てくれた『轉法輪』の本を繰り返し読み、もっと早く法輪大法のことを理解できればよかったのに、と悔やみながら毎日勉強し続けました。

 「師父、こんなに遅くなって大法の道に入った私ですが、弟子として、もう迷いません」

 「師父がいらっしゃることを思うと本当に嬉しいです。毎日、充実で幸せな気持ちでいっぱいです。これが今の私の本当の気持ちです」

 退院後、私は家で妻と一緒に法を勉強しました。そしてその後、娘の勧めで私は学法グループに参加し、同修たちと『轉法輪』を読んでいます。『轉法輪』の一言一言を読むと、心身ともに震動しました。そして、法輪大法に啓発された私は、心性が絶えず向上していると感じています。さらに、私は『論語』や『轉法輪』、『洪吟』を繰り返し暗唱し、多くの段落を覚えました。私はいつも昼間に、師父の『轉法輪』と各地の説法を学び、発正念を4回行ない、そして、夜に5セットの功法を煉ることにしています。それで数カ月後、以前に患っていた小脳の萎縮や足のむくみ、両目の白内障、前立腺炎、心臓病、胆石症、B型肝炎などの病状がすべて消えました。しかも、交通事故で骨折した右足も回復しました。私の体が若者と同じように健康になりました!

 4年あまりの修煉の中で、師父が絶えず私の体を浄化してくださいました。健康な体を得ただけではなく、心も浄化され、返本帰真の真諦※も得られ、価値がある生命になりました。とにかく師父に対して、言葉で表せないほど、胸がいっぱいです。ですから、師父の言うことに素直に従い、法をよく勉強し、発正念をサボらず、より多くの人に真相を伝え、衆生を救う使命を忘れないようにするしかありません。

 昨年から、私は以前の同僚や友人たちに「三退」を勧め、彼らに「常に『法輪大法は素晴らしい』と念じることで福法を得られる」と伝えています。時々、私は街や市場で人々に法輪大法の真相や、「三退」の理由、大法の素晴らしさを伝えています。これまではあまりよく行なっていなかったのですが、毎日努力して「三つのこと」をやり、よく出来ていなかったことを補うようにし、師父の慈悲深い済度に応えるように努力して、圓満成就に向かって、師父について本当の家に帰ります!!

 ここで師父に叩頭いたします!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』

 ※ 真諦(しんたい・仏教の最高真理。絶対・究極の真理)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/9/19/393517.html)
 
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