黒竜江ジャムス市の于春蘭さん 迫害され死亡
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 【明慧日本2020年3月18日】黒竜江省ジャムス市郊外に在住する法輪功学習者・于春蘭さんは、法輪功を学んでいるという理由だけで、地元の英俊派出所の警官らに何度も嫌がらせを受け、家財を押収された。家族も公安の人員らに数回にわたって、合計1万5千元(約23万円)以上もゆすられ、強要された。于さんは5回も身柄を拘束され、拘置所や留置場に拘禁され、ひどい拷問を受けた。その期間中、于さん本人と家族は精神的にも、経済的にも大きなダメージを与えられた。そして、于さんは2019年2月11日、享年69歳だった

'于春兰'
于春蘭さん

 于さんは1950年6月26日生まれで、ジャムス市紡織工場の元従業員で定年退職し、ジャムス市郊外の雲環コミュニティーに在住していた。1997年から法輪功を学び始め、その後、多くの病気は完治し、心身ともに大きな変化があった。1999年7.20以降、于さんは何度も酷く迫害されたことがある。

 2000年9月末、于さんは他の学習者の自宅でジャムス市英俊派出所の警官ら2人に身柄を拘束された。警官は家宅捜索し、法輪功の関連書籍、法輪功創始者の写真などの私物を押収した。于さんは留置場で20日以上拘禁され、家族は1600元(約2万5千円)をゆすられ、強要された。

 2001年7月末、多くの学習者の携帯電話は盗聴された。警官らは盗聴の内容から、于さんが他の学習者の家で法輪功の新経文を読んでいることがわかり、その学習者の家に押し入り、于さんを含む学習者7人を英俊派出所に連行した。于さんは家財を押収され、留置場に拘禁された。その後、ジャムス市610弁公室の人員は家族から3000元(約4万6000円)をゆすり取り、于さんを解放した。

 同年11月、于さんと他の学習者2人は天安門広場で法輪功の無実が書かれた横断幕を掲げ、法輪功創始者の潔白を晴らすために呼びかけた。于さんは「法輪大法は素晴らしい」の横断幕を挙げたという理由で、警官らに北京駅前派出所に連行された。警官は名前すらも聞かず、すぐに于さんを広い部屋に閉じ込めた。

 数日後、苦しめられた于さんは意識が朦朧となった。名前と住所地を言った于さんは、北京の留置場に拘禁された。20日あまり拘禁された後、于さんは地元に帰された。英俊派出所の警官はいわゆる食事代、車代など5000元(約7万7000円)あまりを請求したが、家族に領収書を渡さなかった。

 2007年5月、于さんと他の学習者は木の上に「法輪大法は素晴らしい」、「三退すれば無病息災になる」の横断幕をかけた時に、英俊派出所の警官らに身柄を拘束された。その時、同行した学習者は私服警官ら7人に蹴られ、頭の数カ所が腫れ上がり、腰を怪我した。

 その後、英俊派出所の警官らは家財を押収し、于さんを留置場に拘禁した。そこで苦役に服させられ、1人1日あたり1000本以上の爪楊枝を作るノルマを科せられた。これらの爪楊枝は輸出用で、ノルマが完成できない者は体罰を受け、睡眠を禁じられた。その後、于さんは留置場で8日間拘禁された後、家に帰されたが、家族は4000元(約6万1000円)をまたゆすり取られた。

 2009年2月12日、英俊派出所の警官ら3人は于さんの家に侵入し、于さんがいないのにもかかわらず、法輪功のカセットテープ、『明慧週刊』、法輪功の資料などの私物を押収した。

 2015年7月30日夜7時過ぎ、英俊派出所の警官ら6、7人は于さん宅のドアをノックし、いきなり入室した。于さんは捜査令状があるのかを尋ね、派出所に行くことを拒否した。そこで、その中の警官の1人が派出所の所長に電話をかけ、夜9時半前に必ず于さんを家に帰らせると嘘をついた。

 于さんは長青派出所に連行され、健康診断を受けて終わったら家に戻れると騙された。しかし、于さんは病院からは出たが、そのまま市拘置所に移送された。警官ら2人は于さんに15日間の拘束手続きをした。于さんはそれに抗議したが相手にされなかった。そこで、于さんは拘置所の中で3日間の断食をして、やっと家に戻された。

 中国共産党による法輪功への20年にわたる迫害の中で、于さんの家族は大きな精神的なプレッシャーを受けた。亡くなった年配の姑は、生前に警官の名前を聞くだけでビビったり、パトカーを見ると身体が震えるほど怖がっていた。

 姑の死は于さんにさらにショックを与えた。また、于さんが酷く迫害を受けている中で、夫も警官らに脅かされて病気になり、亡くなった。ダブルショックを受けた于さんの身体の具合がだんだんと悪化し、2019年2月11日に他界した。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/14/402435.html)
 
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