文/中国の大法弟子
どうしても我慢できない時、私は心の中で「師父、師父、助けて下さい。もうこれ以上、我慢できません」と叫びました。しかし、同時に「何かおかしい。自分はどうしてこんなにも利己的なのか? 師父は私達のために、衆生のためにこれだけ多くの苦難を引き受けてくださっているのに、もうこれ以上、師父にご迷惑をおかけしてはいけない」と思いました。
私は、「師父よ、もしこれが業を滅することであれば、私は耐えますが、旧勢力の迫害であれば、私はそれを拒否します。決して認めません。師父のご判断にお任せします」と思いました。不思議なことに、この一念が出た途端に、五臓六腑の痛みが一瞬にして消えてなくなりました。
この事からいろいろ悟りました。「邪悪の迫害も、業を滅することも、私達の体に現れた痛みや辛さは同じもので、それを区別することが難しいのですが、迫害であれば、私達は決して認めてはいけないし、耐える必要もありません。迫害なのか、業を滅することなのか、それをはっきりと区別できない時は、私達は師父に決めていただき、師父のご判断にお任せすればいいのです。そうすれば、邪悪は私達を迫害することが出来なくなるし、消去すべき業力も滅することになるでしょう」
個人的な考えですが、「病業」がやって来る時、基本的には私達が行なうべき「三つのこと」に影響を与えないはずです。心性上の原因を探し、何かに執着していないか、隙に乗じられていないか、どうして「病業」の仮象が現れたのか、と内に向けて探さなければなりません。修煉者には病気などないはずです。内に向けて探し、その原因を突き止め、それを取り除くことが出来れば、私達は必ず心性を高めることが出来るのです。