法輪大法の修煉者は本当に素晴らしい
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年4月1日】私は1997年8月に法輪功の修煉を始めました。20年来修煉をして、心身ともに大きく変わりました。見た目には60代前半に見えるとよく言われますが、実際には76歳で、体はとても丈夫で元気です。今日、自分の修中の些細な出来事をここに書き、同修の皆さんと交流したいと思います。

 2009年9月30日の午後4時30分に、私は電動三輪車に乗って、東城小学校に通う孫を迎えに行き、家に帰りました。孫は10月1日前後に7日間の長期休暇をとることを喜び、道中でやりたい事をずっと話していました。そして、あるわかれ道を通った時に、頭から血を流して道路に横たわり、泣いている少女を発見しました。私は三輪車を止めて彼女を抱き上げて何が起きたのかを聞き、名前を尋ねました。どんなに尋ねても、少女はただ泣くだけでした。

 ここは私が住んでいる所から約2マイル(3.2キロ)離れているので、近所の子供かもしれません。コミュニティの住民は田舎と違いお互いに馴染みがなく、しかも、新しいコミュニティでした。そこで、少女を三輪車に乗せ、孫と一緒にコミュニティに連れて帰りました。コミュニティに戻って、孫に1人で家に帰るように言い、女の子をコミュニティの医療ステーションに連れて行き、医者に傷を治療するように頼みました。傷の治療後、医師と私は少女の両親の名前と電話番号を再度尋ねましたが、少女は何も言わず、ただ泣くだけでした。

 少女のランドセルの中に練習帳を見つけ、名前は柳冬梅(仮名)と言い、東城小学校の1年生でした。医者は少女の傷を治療している間、この子が私とは何の関係もないことを知りました。私が医者に費用を支払うとき、医者は医療費の受け取りを拒否しました。「あなたでさえ、ここまで親切にしているのに、私が費用を受け取るわけにはいきません」と言って、お金を受け取りませんでした。私は医者にお礼を言って、女の子を連れて医療ステーションを後にしました。

 どうすればいいのか? きっと田舎から町の学校に来たばかりの子供に違いありません。ずっとそれを考えながら、自分が住んでいるマンションの下に着きました。私は妻を呼び出して、妻に少女を抱きしめさせ、落ち着かせてから三輪車に乗せました。私は少女が転んだ場所まで連れて行き、もう一度、住まいを尋ねました。この時、やっと少女は泣き止みました。そして、少女が案内した道にそって三輪車を走らせ、家まで送り届けました。

 3マイルほどの道を走り、少女の母親が働いていた小さな縫製工場に行きました。母親は何が起こったのかと尋ねると、少女は自分で転んだと言いました。母親は私に感謝しました。私たちはお互いに話し合ったところ、彼らは田舎から来て、しかも隣人であることがわかりました。昔から田舎では「遠くの親戚より近くの他人」ということわざがあります。会話の中で、彼女たちはあらゆる面で非常に大変であることを知りました。私は彼女に自分の住所を教えて将来、互いに助け合い、困ったことがあったら声をかけるように、と話しました。別れるとき、彼女はリンゴをいくつか買って持たせてくれました。私は仕方なく、受け取りました。

 10月2日の夕方8時に、誰かがトン、トン、トン、と我が家のドアをノックしました。 ドアを開けてみると、その子の両親が娘と一緒に来ていました。 その時、私は「彼らは本当に義理堅く、わざわざ家まで感謝しに来たのだ」と思いました。彼らに水を注ぐために手を動かすと、子供の父親は「その必要はない」と言って、断りました。そして、真剣な顔でこう言いました。「子供の問題はまだ終わっていません。この件を公で解決するのか、それとも私的に解決するのか?」と、いきなりその子の父親に言われました。父親は私が言うのを待たずに、また急いで言いました。「あなたは私の娘に怪我をさせなかったら、そこまでしますか? そんな良い人がどこにいますか?」と言いました。さらに「私的に解決するなら、私たちは状況について話します。他の人達はそこに監視カメラがあると言いました。私は一度、交通警察隊に行きましたが、交通警察隊はいま休暇中で、9日後に仕事が再開されます。我々は9日後の午前9時に交通警察隊に行って、ビデオを見てから結論を出しましょう」と一方的に言われ、私は「わかりました。それでいいですよ」と伝えました。

 父親は話した後、怒って立ち去りました。父親は現場にビデオがあって調べられると言ったのを聞いて、ちょうどこちらにも都合がよく、何によりも一番いいと思いました。

 翌日、私をよく知っている友人が私を見て、「あなたが自転車に乗って、小さな女の子にぶつかったと聞きましたが、これは面倒なことですね。女の子の両親は近所の委員会と不動産会社のマネージャーまで訪ね歩き、さらに診療所にまで行ってあちこちで言いまくっており、この噂が街に広がっています」と教えてくれました。コミュニティで私を知る人は多くないと思いますが、これで変に有名になりました。私が当たっていない実情を話した時、友人は「今時の人間に、道理が分かる人がどれくらいいるでしょうか? 人のせいにする者は絶対に人のせいにします」と私に言いました。またさらに、「もう警察に通報し、確認できる動画もある」と言いました。私は「もし動画があるなら、その動画は私の身の潔白を証明してくれるので、安心してください。心配いりません」と言いました。

 10月9日の9時前に交通警察隊に行きました。事務所に入るとすぐに、警官は「小さな女の子に当たった老人ですか?」と尋ねました。この時点ではっきり言うことは出来ないので、私は「はい」とだけ言うしかありませんでした。相手がまだ来ていないので、座って待っていました。しかし、1時間以上たっても来ませんでした。警官は母親を見つけてくるように私に言いました。私は縫製工場に行き、一緒に交通警察隊に行くようにと母親を誘いました。そして同時に、母親が私にくれたリンゴを返しました。しかし、母親は行きたがらないのです。私の再三の願いにやっと応じてくれました。縫製工場の女性工場長は前に出て来て、「行くべきですよ。真実を知るためにあなたに同行します」と言ってくれました。そして、工場長は母親を車に連れて行き、私と3人で一緒に交通警察隊に行きました。

 交通警察隊の警官がビデオを公開し、真実が明らかになりました。小さな女の子は、飲み水のボトルをつかむために彼女よりも年上の男の子と争って、自分で倒れました。そのあと、私はどうやって女の子を三輪車に乗せたのかも、明白にビデオに映っていました。ビデオを見た後、警官は私たちの両方に書類にサインするようにと言われ、交通警察官の任務はここで終了しました。

 この時点で、私が言っていた事実が明らかになりました。そこで私は「あなたの子供に当たっていません。今回のことで、あなたは私の街の委員会や、コミュニティの不動産会社のマネージャーを訪ね、また、私が利用している医療ステーションと関連会社にも行き、私があなたの娘を三輪車で当ててケガをさせた加害者なのに、その子を助けていい人になった、と言われましたね。その事が私にどんなに悪影響を与えたかしれません。他の条件はないので、私に与えた悪影響を消すために、悪い噂を流した場所に行って、これらの事を説明する必要があります」と母親に言いました。

 工場長は、「もちろんですよ。私はあなたに同行します」。私たち3人はまた、私たちのコミュニティに戻りました。後で、私を気遣ってくれた友人が私に「今回の件で、あなたが法輪大法の修煉者であることを多くの人が知り、 皆が法輪大法を修している人は、本当に素晴らしい! と言っています」と教えてくれました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/3/17/402580.html)
 
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