21年前の「4.25」から人々は何を学んだか
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 【明慧日本2020年4月30日】災難が過ぎ去る度ごとに人々は過去を省みて、その教訓を生かす。2019年から2020年にかけて拡大を続ける伝染病から、中国国民は何を学んだのだろうか? 今年は、法輪功学習者が北京への陳情を行なった4.2521周年にあたる。それでは当時の「4.25」から人々は何を学んだかについて考えてみたい。

 1999年4月25日、「真・善・忍」を信奉する1万人以上の法輪功学習者たちが北京中南海の陳情受付事務局に集結し三つの事項を陳情した。一つには2日前に天津市で拘束された法輪功学習者を釈放する事、二つ目は法輪功に合法的な修煉環境を与える事、三つ目は法輪功の書籍が合法的に出版できる事であった。当時の首相は、陳情担当責任者と一緒に学習者に面会し、要求に対して適切に対処をする事を約束した。そして学習者たちは解散し、陳情の幕を閉じた。これが国際社会で好評を得た1999年「4.25」の1万人の陳情である。学習者の北京への陳情は、政府に対する信頼の上で行なわれ、法律を実行する各部門に、善を修煉し健康づくりをしている国民に対する妨害を阻止してほしかったのである。しかし、当時の中国共産党(以下、中共)の独裁者・江沢民は、かえって国民の権利を守る努力をせず、「4.25」を弾圧の口実にして、3カ月後に国力を総動員して法輪功学習者に対する全面的な迫害を始めた。その天地を覆い隠すほどの残酷な迫害は今も続いている。

一九九九年四月二十五日逾万名法轮功学员在北京和平上访
1999年4月25日、北京で平和的に陳情を行なう法輪功学習者

 ある人は法輪功のこの陳情が江沢民の迫害を招いたと言うが、学習者が陳情しなくとも、江沢民一派は様々な口実で迫害をしたに違いない。1万人の学習者の陳情は、政府に法輪功の実情を知る機会を与え、信仰の自由のためのあらゆる努力を示した。学習者は不屈の精神をもって二十数年にわたる迫害に対して平和的に制止活動を続けた。この精神こそ中国国民に自由をもたらす希望へとつなげたのである。

 法輪功が求める信仰の自由は誰もが無関係ではない。信仰の自由と言論の自由とは双子のように、信仰の自由を失った社会は、必ず言論の自由をも失ってしまう。中国において法輪功学習者に修煉の自由がないのは、今の感染症に対して言論の自由がないのと同じことである。最初に感染症を発見した人は官員ではなく、第一線で働く医療関係者であった。その医療関係者に言論の自由がなかったことが、のちに悲劇をもたらした。この感染症が現れた当初、ネット・ユーザーらは一時的に言論の自由を呼びかけたが、中共の「防疫」という規制の大波に埋もれてしまった。中国国民は言論の自由のない苦しみを再び味わったのである。

 感染症が発生するたびごとに人々は振り返り、政府は何らかの行ないをしたと思っている。しかしその効果はどうだったのか? 

 2003年に発生した SARS」の後、中国政府は伝染病に関する法律や条例を改変し、のち十数年かけて2017年「世界最大の公衆衛生緊急事態ネット・ワーク通報システム」を完成させた。それまで平均通報時間に4日間かかったのを、4時間まで短縮したという。大規模なテスト演習による仮設名は「2020年『X』感染症」と名付けられた。演習には全国31の省と市が、インターネット・テレビを通し8200人余りが参加した。

 これで政府は、「 SARS」の感染症に対して軽視していたとは言えまい。しかし、大規模な演習が終了してまもなく、さらに猛威を振るう感染症「中共ウイルス」(武漢肺炎)が発生した。自称「世界最大の公衆衛生緊急事態ネット・ワーク通報システム」は本当に作用したのだろうか? 実際それは「政府の感染症の隠蔽」を阻止出来なかったのである。

 「 SARS」の悲劇は感染症の隠蔽によってもたらされた。今回の中共ウイルスの悲劇も依然として隠蔽によるものだった。今回の感染症の中で人々が見たのは、告知者(警鐘者)が中共の圧力で口封じをさせられたことである。感染症について何も知らない武漢市民は、4万の家族が参加する春節の「家族大宴会」の開催に集まった。武漢入りし感染症の実情を報道した記者らは、その後、消息を断った。武漢が都市封鎖される前に500万人が武漢から脱出し、数十万人が世界に散らばったことが、中共ウイルスを世界に拡散させ、治療できない伝染病になってしまったのである。

 ある人はこのように言う。「皆さんが知っているように、わずかな期間に二度の感染症に対する隠蔽で悲惨な被害を与えたことは事実です。二度とも地方の幹部が失脚させられ、次にやってくる感染症をあえて隠蔽する人はいないでしょう」

 これはただ一方的な願望にしか過ぎない。「 SARS」が収まってから人々は同じように考えたが、しかし中共ウイルスが現れた時、中共は依然として隠蔽をしたではないか? ウイルスは形を変えて異なる場所と異なる時間に現れ、官員らは前回の教訓を生かす事が出来なかった。一つの仮説シナリオを立ててみよう。国家の指導者が外遊中に感染症が発生したとする。この感染症を報道するだろうか? もう一つの仮説シナリオを立ててみよう。北京で国際大会が開催され、世界の多くの政界要人らが国際大会を盛り上げるため駆け付けた。ちょうどこの時に感染症が発生したとする。中共は報道するだろうか? いずれにせよ中共官員らは隠蔽することしか考えていない。なぜならば中共の官員らは上層部の事しか考えておらず、上層部は「平和で繁栄した時代」の雰囲気を作り出すために、彼らは一心同体となって隠蔽するのである。感染症は見えない敵であり、中共の官員らは自然に「虚言をもって隠蔽し、真実を語らない」道を選択するだろう。

 国民は発言権もなければ言論の自由もない。中共の感染症の隠蔽を根本から解決する方策は、国民に発言権を持たせること、すなわち言論の自由しかないのである。

 政府に何かしてほしいのではなく自由とは天から授かった権利であり、私達に自由がないのは、中共に自由を奪われたからである。

 21年前、1万人の法輪功学習者は陳情を行なった。これは私達に何を学ばせたのだろうか? それは自由を手にするために努力し続けることだ。法輪功学習者はこれを貫いてきた。

 あなたが法輪功学習者の信仰の自由を支持し、学習者が配る真相資料を受け取れば、あなたも言論の自由と闘い再び感染症の隠蔽による苦しみを味わないために闘っていることになる。中共の迫害を恐れず、天安門広場で広げた横断幕、ネットに張り付けた一つの真実の言葉、すべてが「国家転覆罪」に当たるという政権はどれほど脆弱なのだろうか? 実は、国民が迫害を恐れているのではなく、この脆弱な政権が国民を恐れており、真相が暴かれるのを恐れているのである。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/24/404268.html)
 
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