明慧法会|自宅で診療所を開き 来る人はみな縁のある人
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年5月12日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 2006年3月のある日、私はひどい脳梗塞を患い、医者は「このような状況で、生きていられるのはこれがすでに奇跡だ」と言いました。医者は私に薬を渡し、家に帰って輸液治療を行なうよう提案しました。

 私の母親と妹はみな法輪功を修煉しており、母親と妹は私に修煉するよう勧め、母親が法輪功を修煉して体が健康になった事実を私はこの目で見ていたため、すぐに承諾しました。現在(訳注:2019年11月)私の脳梗塞の状況はすでに完全に消え去り、他の病気、たとえば心臓病や胃病なども1カ月後に、知らないうちに皆よくなり、現在(訳注:2019年11月)は無病で体が軽く、今まで感じたことのない軽さで、歩くのも飛んでいるかのようで、思うがままに軽く、以前の状態とは比べようもありません。

 私が法を学び始めてから、法輪功が佛を修め、道を修める徳の高い大法であることを知りました。当初の病気を取り除きたいという目的は跡形もなく消え去り、この法を大切にし、努力して三つのことをしっかり行ない、自分の誓約を実現いたします。

 一、診察所で大法の真相を伝える

 私の夫は漢方の医者で、自宅で診療所を開き、夫は骨増殖の治療に経験を積んでおり、基本的に治療するとすぐよくなり、さらに再発もせず、そのため私の家の患者は引きもきりませんでした。

 私は修煉を始めてから間がなく、三つのことはみな母親の導きの下で行ないました。毎週、母親は10冊のパンフレットを私に渡し、私を連れて配りに行き、母親はとても慎重で、私の家(診療所内)では真相を伝えてはいけないと私に注意し、安全でないことを恐れていたので、私の家に来る患者にはみな私は真相を伝えませんでした。

 しかしその年、私の家で不思議なことが起こりました。患者の治療が終わった後、患者が再び私の家を訪れ返金を要求し、実際はすでに良くなっていたのですが、「まだ治っていない」と言い張りました。それ以前は、私の家ではこのようなことは起きたことがなく、私が法輪功を修煉した後、このようなことが起きました。私はその時まだ個人修煉中で、心性を修煉し自分を修煉しており、師父が説かれた「失わなければ得られず」[1]  の法理を以って、自分を導き、自分の利益を求める心を取り除いていました。もし私がまだ一人の常人であれば、私は絶対に患者たちに返金せず、因縁をつけてゆするようなことの存在を絶対に許しませんでした。しかし、私は大法を修煉しており、返金を要求しに来た患者たちに、返金しました。その年、私の家では1万6000元(およそ24万円)以上の金額を返金しました。すると、その年の年末には、私の家(診療所)では基本的に患者はいなくなりました。

 私は絶えず深く法を学ぶにしたがって、同時に毎回『明慧週刊』を読み、「これが旧勢力による私に対する迫害である」と悟り、正念を発して、旧勢力によるこのような経済的な迫害を一掃しました。それと同時に、自分が間違っていたことを認識し、患者たちが私の家に治療に来たのは、実際は大法の真相を聞きに来たことがわかりました。それなのに私は患者たちに真相を伝えず、患者たちを救わず、患者たちが返金しに来ないはずがあるでしょうか?

 およそ6カ月間正念を発していると、患者が来始めました。それ以後、私の家に治療に来る患者すべてと、同伴する家族に私は一人一人みな真相を伝え、三退を勧め、基本的にみな三退させることが出来ました。患者たちは一般的に7日間の治療過程があり、この7日間の中で、4日目ぐらいに法輪功の基本的な真相と中国共産党(以下、中共)の邪悪さを私は患者たちに伝えました。このようにして準備し、最後の日に三退を勧め、とても順調で、一般的にはすべての人に三退させることが出来ました。容易に三退した患者については印象はあまりなく、なかなか三退しなかった数人の人に対して、私は昨日の事のように覚えています。

 はっきり覚えているのですが、私たちの地区の検察庁の副検察長が私の家に治療に来ました。私は副検察長に法輪功の真相を伝えると、副検察長は「共産党はあなたが修煉するのを禁じており、こんなに弾圧されているのにあなた方がまだ修煉し続けるのは、なぜですか?」と尋ねました。私は「簡単な例をあげ、共産党は虚、悪、闘争を信じており、法輪功は真・善・忍を信じており、どちらがいいと思われますか?」と逆に尋ねました。副検察長は少し考えてから、「それならやはり、真・善・忍の方がいいでしょう」と言いました。私は「真・善・忍と虚、悪、闘争は相反しているものではありませんか? どちらが正しく、どちらが邪なのか、比べたことはありませんか?」と言いました。副検察長は「そうですね」と言いました。私が副検察長にさらに真相を伝えると副検察長はとても共感し、中共の邪悪さや腐敗を伝えると副検察長も同意しましたが、私が三退を勧めると、副検察長は何を言っても三退しませんでした。

 最後に私は「あなたが入党した時に、こぶしをあげて『すべてを捧げます』と誓い、あなたが三退しなければ、共産党が解体する時、あなたも一緒に副葬品として葬られます」と言いました。それでも、副検察長は孤児で、共産党が養ってくれたのだから三退することはできず、副葬品として葬られるならそれも仕方ない、と言いました。この時、副検察長に付き添って看病に来ていた副検察長の妻が、私の話を理解し、副検察長の妻は「あなたが脱退しないなら私が脱退します。ばかだけが副葬品として葬られるのね」と言いました。副検察長の妻は銀行に勤めており、中共の党員でありながら、実名で中共組織を脱退しました。私の家の診療所に来て三退した人は皆、実名で三退しました。

 その副検察長を三退させるために、副検察長の治療が終わった後、私は再び副検察長の家族と食事をし、大法の真相を再び細かく伝えました。その時、大学に通っていた副検察長の息子が真相を理解し、三退しました。しかし副検察長はやはり三退しようとせず、最後に私は副検察長に「今脱退しないのなら、後でよくわかってから脱退しても大丈夫です」と言いました。私は副検察長に動態ネットのURLを教え、「インターネット上でもご自分で脱退できますが、くれぐれも法輪功修煉者の迫害に加担してはいけません。神佛を迫害すれば大きな業を作り、その末路は、あなたが責任を負いきれるようなものではありません」。副検察長は「この点については安心してください、そのような案件を私は絶対に引き受けません」。私が知る限り、副検察長は本当に大法弟子の迫害に加担しませんでした。少し残念でしたが、副検察長のような高い地位で法輪功の真相を理解することができ、修煉者の迫害に加担しないことは、副検察長自身はまだ助かる見込みがあると言えます。

 さらにある年配者は「教育局を退職した局長だ」と言い、妻を伴って私の家に治療に来ました。私はその年配者に法輪功の真相を伝えると、その年配者は「法輪功は素晴らしい、法輪功こそ素晴らしい」と言って、とても同感しました。しかしその年配者に、三退を勧めても三退しませんでした。私の母親がその年配者に迫害の真相を伝えましたが、それでも三退しませんでした。その妻は退職した元教師で、それらの話を聞いて真相をすぎに理解し、三退しました。

 ある日、その年配者は朝市で散歩している時にある老婦人に出会いました。その老婦人は大法弟子で、その年配者に法輪功の真相を伝え、三退を勧めました。すると、老婦人はとても慈善的に振る舞って、その年配者を引っ張って手を放さずにいましたが、それでもまだ三退しませんので、老婦人はその年配者をどこにも行かせませんでした。すると、その年配者は仕方なく「脱退します、脱退します、脱退します、脱退します」と言って、応じました。

 脱退した後、その年配者は私の家に駆け付けました。なぜなら、私の家は朝市の近くにあったからです。入って来るなり、その年配者は興奮して私に「私は脱退しました、脱退しました、脱退しましたよ」と伝えました。私は少しぼんやりしてから「何事ですか、三退したのですか?」と聞くと、その年配者は「あの党だ」と言いました。そして、三退した過程を話しました。私は「2年の間伝え続けても、あなたは脱退しなかったのに、今回脱退したのなら、本当にうれしいことです」と言いました。

 また、ある大連の軍人は、以前その軍人はいつも部隊を引き連れて、法輪功修煉者が貼った真相シールを後方部隊がはがしていました。私はその軍人に法輪功の真相を伝え終えると、その軍人は「なんと法輪功はそんなにも素晴らしいものだったのか」と驚きました。私は「そんな悪事を働くと罰が当たりますよ」と注意すると、その軍人は「あんなことはもうこれからしません」。その軍人は治療期間がとぎれとぎれだったので、最終的に6カ月治療しましたが、私はその軍人に6カ月間法輪功の真相を伝え続けました。その軍人は「あなたは本当に話がうまく、6カ月の間、話が重複していません」。実際は私がすごいことはなく、みな師父が加持してくださったのです。治療の最終日に、私はその軍人に三退を勧めると、その軍人は「考えてみます」と言いました。私は「もし、あなたが大法弟子に会えなければ、永遠に機会を逃していたでしょう」と言いました。その軍人が帰った後、私は同修に頼んで真相電話をかけてもらい、その軍人はついに三退しました。

 私の家は基本的に診療所の収入で生活しており、8~9年の間、何人が三退したのか、計算できません。私が診療所で真相を伝え、三退を勧め始めてからは、患者に返金を求めることは二度と起きていません。

 二、工事現場で真相を伝える

 2011年、私の家は取り壊しの仕事を請け負い、工事現場は私が人を救う場所になりました。工事現場には家屋を解体する労働者がおり、毎回レンガを整理するアルバイトをする人もおり、そして、中古の品物を買いに来る人がおり、工事現場の管理人の中に数人の大法弟子もいます。その目的は大法弟子が互いに協力して人を救うのに、このような環境があるということです。また大法弟子たちは仕事をすると同時に三つのことを行なうことができました。毎日、水が流れるように人々の往来があり、私は人々と巡り合う機縁をできるだけ逃さないようにし、時間を見つけては法輪功の真相を伝えて三退を勧め、時には伝えきれないと、私の母親が数人の同修を連れて来て、三退を勧めるのを手伝いました。

 私の家で仕事をする人は真相を聞いてわかり、三退した後にとても大法を認めてくれました。三退した人すべての人に私は真相のお守りを渡し、仕事をする人たちは夏に腕をまくって仕事をしている時、みな首に着けており、仕事を始めるとお守りがゆらゆら揺れて、とても目に映えました。オートバイに乗る人もおり、その人たちに真相のキーホルダーを渡すと、全員がみなカギに付けていました。

 さらに、レンガを運ぶある運転手はどこかから真相の書かれた垂れ幕を2枚拾ってきて、1枚には「法輪大法は素晴らしい」と書かれており、もう1枚には「真・善・忍は素晴らしい」と書かれていました。その運転手は2枚の真相の垂れ幕を車の両側のサイドミラーにかけ、車が走り出すと、2枚の真相の垂れ幕が風を受けて翻(ひるがえ)りました。その運転手は私を見ると、興奮しながら「おばさん、見て、きれいでしょう?」と私に叫びました。私は運転手の車にかかった真相垂れ幕を見て、心に急に少しの恐れの気持ちが浮かびましたが、衆生はヘタることなく真相の垂れ幕を車にかけており、私は支持し、うなずいて「すばらしいわ」とほめました。このようにして、その運転手は数日の間、大法の真相の垂れ幕をかけていました。

 ある年の端午の節句に、私は資料拠点から吉祥の子供たちの真相画を何枚も持って来て、私の家の労働者たちを招き「節句で、みなさんに贈り物があります。1人2枚ずつの吉祥画で、家にかければ順調で思い通りになり、平安が保たれます」と言いました。私の家の労働者は私の話を聞き終わると、蜂の群れのように吉祥画を選び、あっという間になくなってしまいました。

 私の家で雇用している安全管理者は工事現場を取り仕切っており、私の夫の弟子で、私たちは皆その安全管理者のことを「小六さん」と呼んでいます。小六さんは真相がわかると工事現場で私を手伝って人を救います。他から新人が来ると、小六さんはオートバイに乗って私を呼びに来て、「おばさん、また新人が来たよ、食事が終わったら、あなたを連れて真相を伝えに行こうよ」と誘います。私はいつも「いいですよ」と答えます。食事が終わると、小六さんはオートバイに私を乗せて真相を伝えに行きます。時にはさらに、三退を勧めるのを手伝い、「脱退しましょう、私も脱退しました」と言い足します。小六さんは大法を認めているので、大法の中で限りなく恩恵を受け、福報が連なり、何をやっても儲かりました。

 他の人の家を取り壊した現場では、ほとんどが安全を脅かす事故が起きていますが、私の家だけが5、6年間、ずっと平穏無事でいます。これはみな、師父がご加護してくださっているからです。

 三、面と向かって真相を伝える

 数年来、私が面と向かって法輪功の真相を伝えるのは、ずっと私の家の診療所と現場で、時間に余裕があれば、真相をしっかりと伝えています。他の同修たちのように街で面と向かって真相を伝え、二言三言で人々を三退させることは私にはできません。心の中で時にはやはり疑問が生じ、「二言三言で人々に真相や三退を理解させることができるのか?」と思いました。私はずっと二言三言で大法の真相を伝えることに対して、気後れしていました。

 師父は「更に、偶然に出会った人、生活の中や仕事の中で出会った人に皆さんは真相を伝えなければなりません。この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません。済度されるべき人、更に縁のある人を失わないでください」[2]  と説かれました。そこで私は「私たちは旧勢力と奪い合って人を救っており、さらに、時間が緊迫しており、この道をしっかりと歩み、自分を突破して乗り越えなければならない」と思いました。

 今年(訳注:2019年)春、私は地方に行き、面と向かって三退をしている同修と山間地帯の市場に行って法輪功の真相を伝えました。経験のある同修たちが農村の市場で面と向かって三退を勧め、真相を伝えるのを私は学びました。最初の頃は何度やっても毎回4、5人しか三退できませんでした。しかし、現在(訳注:2019年11月)は一度に十数人、15、6人と三退させることができ、ついに、この関を乗り越えました。私が真相を伝えるのは簡単で、話しかけて関係を近づけ、それから人々に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」を覚えるように伝え、続けて三退を勧めます。そして、時間に余裕があれば、「天安門焼身自殺」を伝えることができます。このようにして救われた生命たちが、皆しきりにお礼を言います。これを聞き、私は本当に人々を救うことが出来たことを喜びます。

 私たちが地方に行って配るための法輪功の資料は比較的多く、私たちのプロジェクトではある同修が一人で資料を作成し供給が需要に応じきれません。そこで、資料を作れないかと私に相談してきます。私は「できます」と快諾しました。こうして2011年に私の家で小さな花が咲き始め、自宅での真相資料の拠点が成立しました。資料を作る過程は自分を修煉する過程でもあり、時には機器が思うように動いてくれません。そんな時、私は機器とよく話をし、自分の心性を探し、探し当てると機器は使えるようになり、修理する必要もありませんでした。

 また、不思議なことがたくさんあります。仕入れの時に紙が重くて私はまったく動かせず、階上まで運べず、そんな時、みな他の同修が手伝って運んでくれました。その後、私は自分で仕入れ、その時は私と車を運転する同修だけでした。その時この車いっぱいの荷物をみな、運転手の同修に運ばせたら疲れるだろうと思い、私は「師父、私に力をください。運転手の同修1人に運ばせることは出来ません」と師父にご加持を求めます。師父へお願いし終わると、私は紙を1箱持ち上げてみます。すると不思議なことに、すぐに持ち上げることができ、自分で紙を階上に運ぶことができました。それ以降、どれだけ紙を仕入れても、私はいつも階上に運ぶことが出来ました。

 師父にしっかりとついて法を正す修煉を行なったこの13年来、私は努力して三つのことを行ない、恨まずに悔いを残していません。しかし、まだ多くの人心が取り除かれておらず、これから私はもっと多く法を学び、内に向けて探し、すべての人心を修めて取り除き、師父に安心してもらわなければなりません。1人の法を正す時期の大法弟子として、私はとても幸運で、とても幸せに感じ、しっかりと行なわない理由がありません。

 ありがとうございます、師父!

 ありがとうございます、同修の皆さん!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法四』「二〇〇三年アトランタ法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
 [4] 李洪志師父の著作:『各地での説法二』「二〇〇二年ワシントンDC法会での説法」

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/8/395457.html)
 
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