文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2020年5月20日】自分の修煉の生い立ちを振り返ってみた時、このタイトルが頭に浮かんできました。自分の修煉の状況は師父の要求される基準にはまだほど遠いのですが、この法会の機会を逃すことなく、大切にしたいと思いました。なぜなら、自分の修煉の過程を振り返ってみて、皆とのへだたりを見つけることが向上につながると考えたからです。
帰り道を見つける
生まれた時から病気がちの私は貧乏な田舎暮らしの中で、やっとのことで、今日まで生き抜いてきました。 小学校を卒業したばかりの当時、文化大革命が始まり、国中が混乱状態に陥っていました。学校が休校状態になったため、生産隊に入って農作業を始めました。20代の時にうやむやなうちに、町に住む人と結婚し、それ以来、家庭での魔難が始まりました。
夫は気質の荒い人で酒に目がありません。夫は男の子が好きでしたが、結婚後2人の娘が生まれました。息子がいなかったこともあって、夫はさらに怒りやすくなり、毎日、粗を探して喧嘩を売ってきました。37歳で仕事を辞めた夫はアルコール依存症となり、それでも一日中酒を飲んでは家の中でふざけていました。食事中いきなりテーブルをひっくり返したり、物を投げたりして、私と子供を日常茶飯事のように殴ったり、罵ったりしました。夫は、時にはナイフを私の胸に突きつけて、どうのこうのと叫んだり、時には包丁を乱暴に振り回したりして、怖くて子供たちと一緒に家から飛び出して逃げました。これらの苦しみから逃れるために、私は佛門に入りました。
夫は48歳の時に亡くなり、私の生活環境も大きく変わりました。1996年、私はすでに佛教の中で5年間修行をしていました。しかし、まだ完全に迷いや苦しみから解脱することが出来ないと感じ、心の中に絶望感がありました。当時、私たちの地域には法輪大法が伝わってきたばかりで、ある知らない青年が2~3日ごと私の営む散髪屋にやって来ては法輪功を紹介し、「法輪功は生命双修の功法で、一世で成就することができ、万年に一度しか出会えない優れた功法です」と教えてくれました。前々から人間はあまりにも苦しいものだと感じていましたので、すぐに今までのものを捨て、大法修煉の方へ移りました。
修煉の初期の頃は、本当に師父が自分を引っ張り上げて、前へ前へ推されたような気がしました。また、師父がいつも自分自身に厳しく要求され、悟らせて下さっていることを感じていました。毎回の悟りをすべて理解するようにし、それから実行できるように努力しました。
「悪瘡」を入れて、そんな時に背中に大きな悪瘡ができて、大きなジャガイモのように膨らみ、やがて花が咲いたように蜂の巣のようになり、中から血膿が出てきました。自分では手が届かないし見えないので、娘にティッシュで拭いてもらっていました。当時、娘は大変驚いて心配で仕方がありませんでした。私は「大丈夫だ、銭湯で洗い流せばいいよ」と言いました。他の人を驚かせないように、洗う時になるべく人に見られないようにしていますが、突然、「わあ、ひどい」と、 1人が恐怖の顔で悲鳴をあげました。私は慌てて「大丈夫です、すみません」と気まずく思いながらも詫びました。その当時は、頭が非常に単純で、ばい菌や感染症などのことを一切考えたことがなく、数日後に治りました。
他の人から聞いた話ですが、この種の悪瘡(※1)は実は大変恐ろしいものであり、その痛みは死ぬほど酷くて、かなりの治療費がかかると言われました。しかし、私は終始痛みがなく、師父が耐えて下さったことが分かりました。初期の頃に、身体の業力を消去される時も多くの奇跡が現れました。腰の椎間板ヘルニア、関節炎、五十肩、鼻炎などの病気が、奇跡的に消えてなくなりました。ここでは一々詳しく言いません。私は絶望の暗闇の中で一筋の光が見え、帰り道を見つけられたことをとても幸運だと感じています。
パソコン音痴の自分に、翼が生える
1999年7月20日、江沢民集団は中国共産党と互いに結託し、法輪功に対して誹謗中傷し、天地を覆い隠すほどの勢いで弾圧し始め、国際社会を驚愕させました。 すべての修煉者は、自分の今後の歩むべき道について考えました。私は気が重い中で道行く人達を見て、「もし、修煉しなければ世間の人達と同じように、何の希望や目的もなく人生を送るのは虚しいことだ。自身の人生を潰すわけにはいかず、元気を出して奮い立たせなければ」と思いました。
私は人心を捨てて、断固として大法の迫害に反対する激流に加わりました。 市政府の前で数百人の煉功活動に参加し、上京して大法の無実を訴え、法輪功の資料を配り、横断幕を掲げ、真相を伝える掲示物を貼り付けたため、地元の重要人物と見なされて相次いで5回も連行されました。その中で、自分が最も後悔していることは、不当に労働教養を科された時、曲がった道に行ってしまったことで、師父に申し訳ないことをし、大法に対しても申し訳ないことをし、自分自身にも汚点を残してしまいました。
大法を実証するために63歳の時、年を取っていることやあまり学校に通っていなかったなどの観念を克服し、パソコンを使えるようになり、ネットから資料をダウンロードして、印刷して製作するなどの簡単な技術を身につけ、そして地元の資料拠点を広めました。毎日、明慧ネットと繋がることができ、国内外の修煉者の交流文章を読めるようになり、水を得た魚のように修煉においてまるで翼が生えたように自在になりました。
私は小学校しか通っていませんが、師父のご加持の下でパソコンを使って印刷もできるようになりました。特に江沢民を告訴する期間中は、同修たちに告訴状を書いたりしました。60代の自分はマウスの持ち方から覚え、そして文字を入力する方法も学び、手がなかなか言うことを聞かず、視力もついていけなくなり、小学校で習ったピンインもとっくに忘れてしまい、すべてがゼロからの出発でした。
パソコンの知識がないので、やっとのことで1枚の告訴状を入力できたのに、保存する時に同じタイトルのものを上書き保存してしまい、何回繰り返しても訳が分かりませんでした。真夏の時期には、一日中忙しくし、さらに夜遅くまで続いたため、パソコンの前で大汗をかいて、イライラして頭も回らなくなり、問題を解決する方法が分からず、気持ちが最悪の時もありました。そんな時には、人心が湧いてくるものです。「技術に精通した若い同修は、なぜ緊迫感がなく、他の同修の告訴状の手伝いをしてくれないのだろうか」と考え、とても納得できませんでした。
翌朝、数人の同修がやって来て、告訴状を取りに来たと言いました。同修たちを見て泣きそうになり、「この地区では自分は一番年を取っているし、学歴もないし、パソコンでの文字入力を習ったばかりなのに、これらのことをすべて私に任せるなんて、あなた達は能力があるのに助けてくれないし、本当にもう無理だよ」とついには、常人のように愚痴をこぼしてしまいました。
同修は私の様子を見て、「我々は確かに、あなたより若くて教育を受けましたが、あなたは我々よりもずっと能力がありますよ。あなたが努力を払って、よく頑張ってきたことを皆が知っています。気持ちを整えて、引き続き頑張って下さいね」と慰めてくれました。ある同修は、私が食事をする余裕がないことに気づき、朝食を買って来てくれました。後で落ち着いて内に向けて探してみると、自分の焦る心や恨む心、仕事をする心が見えました。特に江沢民を告訴することに関して、急いで終わらせたい気持ちが強く、早くしないとこの機会を逃してしまうかもしれないと思い、素早く行動しない同修や心がまだ躊躇している同修を見て、どうしても理解できませんでした。それらの執着心を見つけると、不思議に技術者の同修が来てくれて、これまでの問題を解決してくれました。
告訴状を書いた後、私は皆を連れて郵送しに行きました。あの頃、私の身体に異常が現れ、首の痛みで頭が動かなくなりました。内に向かって探してみると、次のことが分かりました。自分は「元帥(げんすい)となった穆桂英」(※2)のように、何事でも一手に引き受けようとし、いかなる事にも参加してきました。しかし、修煉の基点から考えておらず、これは皆が自身を修煉する過程であり、人心を取り除く過程であることを悟っていなかったのです。ただ、自分は協調人なので、リーダーシップの役割を果たさなければならないと思っていただけで、それは本当にはつらつとしてやる気いっぱいでした。問題の所在が分かると、体が一気に軽くなり、すべて自分の人心によって邪悪からの妨害を招いてしまったのです。大法の超常さのおかげで、何も知らないパソコン音痴の私が現地で力を発揮し、大いに責任を果たしました。
責任と救い済度
師父はこのように説かれています。「真相を伝えることは簡単なことではなく、単に邪悪を暴露するだけのことではありません。真相を伝えることは、つまり衆生を救うということですが、同時に皆さんの修煉における個人の向上と執着の除去、法に責任を負うこと、最後の圓満成就に向う過程で、いかに自分の世界を豊かにするかなどの要素も含まれています」 [1]
私はしっかりと自分を修め、師父が法を正すことを手伝って衆生を救い済度することが、今一番大事なことであるとわかっています。しかし、数年前まではただどこかへ出かけて行っては、思うままにやっていました。 昨年からは、今までのやり方をやめて、本格的に外に出て人を救いました。
黒龍江省の冬はとても寒く、零下30度以上の日は普通で、至る所は真っ白な雪で覆われ、天地が凍らんばかりの寒さなのです。私は生まれつきの寒さに対する恐怖を克服し、毎日出かけて行き、人々を救うことをし、この1年6カ月の間ようやく自分の歩む道を開きました。
今年の春、私の住んでいる都市ではほとんどの交差点や駅、あるいは人の集まる場所で警備室が設置されたことに気づきました。これは末日の邪悪が人々を怖がらせ、うわべだけの気勢を作り上げているのだと悟り、心が全く動ぜず、いつものように毎日出かけて行き、大法の真相を伝えています。師父はこのように説かれています。「邪なものに妨害されず、それに動かされなければ、良くない要素は自分のところから生じることはなく、邪悪は微々たるものになり、皆さんは大きくなり、正念が強くなるのです。本当にいつもこの情況です」[2]
私は毎日大法の真相を伝えに行く前に、まず師父にお線香を捧げ、「師父、弟子の知恵が多く出て来るよう、多くの人を救えるように、ご加持をお願い致します。師父に感謝いたします!」とお願いし、それから乗車します。車内で発正念をし、自分の行き先の空間場と周囲の邪悪を取り除き、世人が大法の真相を理解し、救われることを妨害するすべての邪悪な生命と要素を取り除き、心理状態を整え、笑顔と慈悲の心で周りに対処しています。リュックの中には各種の大法資料とお守りが入っています。通常は話かけた後にすぐお守りを取り出し、「あなたに良いものを差し上げます。これはお守りです。カードに九つの文字が書かれており、誠心誠意に念じれば健康になり、すべてが順調になりますよ」と説明します。
お守りを見てすぐに手に取り、目を輝かせる人もいます。その時には「ご覧ください。『真・善・忍』の三文字はとても素晴らしいですよ。『真』とは人に対して誠実で、真実な話をし、真実なことを行なうことです。『善』とは人に親切に接することです。『忍』とはトラブルの中で寛容に対処し、人と争わず相手を責めず、何事に対しても自分に向けて自分の不足を探すことです。師父は『一歩下がれば世界が広々と開ける』と私たちに教えておられます」と説明します。すると相手はうなずいて「そうですね」と言ってくれます。そして、「中国共産党による大法への迫害は間違っていることや、大法は無実であること、中南海を包囲した事件と天安門焼身自殺事件はすべて画策したものであり、真っ赤な嘘である」と伝えます。もっと知りたい人には、他の法輪功資料を渡し、「家に帰ってからしっかり読んで、真実を知ると福がある」と教えてあげます。
時には別の視点から生活に関連しての実際の問題に触れます。「皆さんが見て分かるように、今日の中国では偽物が至るところにあり、野菜や果物、食品、肉などすべてが有毒です。また、今の低い官職であれば大きな腐敗問題があり、上層の官職であれば巨額の腐敗問題があり、腐敗問題のない官職はいないほど腐敗だらけになっています。いくら政策を作っても彼らはすぐに別の対策方法を持ち出し、誰もがこの混乱局面を片付けることが出来ません。なぜ、このようになったのでしょうか? 全て中国共産党が無神論を唱えた結果です。 無神論を宣伝することによって、人々は善悪の報いを信じなくなり、悪いことをすれば悪の報いがあると信じないので、憚らずに悪いことをします。その結果として、社会全体の道徳が崩壊し、良心という理念を失いました。なんと大きな罪でしょう。社会がここまで退廃してしまうと、どこへ発展して行くでしょうか? 昔から『人が治めなければ天が治めます』という言葉がありますが、天は悪党を滅ぼし、大法は善良な人達を救っています。大法は佛法だからです」とわかりやすく言って聞かせます。
多くの人がこれらの話を受け入れて「三退」し、「ありがとう」とお礼を言います。
もちろん人を救うには慈悲の心や善である話し方をして、正念と知恵が必要です。 負の要素に触れないように心がけると、悪い人でも悪い態度ができなくなり、大法に対して罪を犯す心配もありません。
一例を挙げると、ある日バスに乗った時に、40代の男性が隣の席に座りました。私は笑顔でネット封鎖を突破するソフトを渡したところ、男性はさりげなく 「これは法輪功だね」と受け取ってくれました。私は「この中身はすべて良いものです。法輪功を知りたければもちろんあります」と答えました。
男性は自分がある部門の講師(公安部門らしい)だと言い、そして、大声で滔々(とうとう)とよどむことなく法輪功に対する認識や各派の信仰について語りはじめました。男性の言葉が豊富で考えが途切れなくスムーズに進み、話題の新鮮さもあり、まるで何でも知っている大物の知識人のようでした。その時、私は何も考えておらず、自然と彼の自慢話を聞き、口を挟む機会は全くありませんでした。車内の離れた席の同修を含めて、すべての乗客は男性の話が聞こえているので、この男性の身分が気になっていました。同修はときどき私の方に振り向きましたので、心配してくれているのだと感じました。その時、自分はあまり深く考えておらず、「この人は悪い人ではない」という印象でした。もうすぐ降りる停留所に着くので、同修は急いで立ち上がって下車の合図をしてくれました。
この時、私は丁寧に「どうもすみません、もうすぐ駅に着きます。今日、あなたに出会ってきっとこれはご縁ですね」と話を挟むと、男性は「確かにそうです、100年のご縁です」と言いました。引き続き私は「あなたはとても知識が豊富で感心しました。あなたは能力があり善悪の分別ができる方だと分かりました。今日せっかくのご縁ですので、悔いを残したくありません」と、手を彼の胸にちょっと当て、小さい声で、「天意に従って下さい。王朝が交代することは避けられないことです。また、幸せと健康を選択することは当たり前のことです。法輪大法は人を救っています。『天意』です。偽名で心から党員を脱退しましょう」と勧めると、男性は頷きながら「いいですよ」と返事しました。その時、バスはすでに目的の駅を通過したので、私は慌てずにリュックを開けて資料を取り出そうとすると、彼は微笑んでリュックを見て、「大丈夫です、これがあれば十分です」と言いました。
バスを降りて、同修と待ち合わせるために前の駅に戻らなければならず、この男性はおそらく、自分がこんなに簡単に脱退したとは思ってもおらず、さっきまで、大いに弁舌を振るって偉そうな態度だったのに、 自分は穏やかで冷静で善をもって師父のご加持の下で、スムーズに脱退させることが出来た、と歩きながら思いました。まさに、「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる!」[3]
師父はこのように説かれています。「皆さんに教えますが、ここ数年来、私はいつも大法弟子に非常に大きな能力があると言っていますが、どうしても信じない人がいます。なぜならば、あなたに見えないようにしているからです。あなたの正念の作用で、周りのすべてとあなた自身まで変化が起こりますが、あなたは試してみようと思ってもいません」[4]
私は人を救うことには束縛を受けず、機会があれば必ず逃さないようにしています。銀行には監視システムがあり、私の情報を持っていますがこれらを気にせず、銀行を利用した際に、2人の支店長と3人の銀行員を脱退させました。銭湯に行く時も、積極に自然と話しかけたり、手伝ってあげたりして、その目的は大法の真相を伝えるためです。こうして一番多い日には、7人を脱退させました。
長年来、大法の真相を伝える中で一つのことを悟りました。それは善を以て悪を制することです。どんな状況に出遭っても心が動じてはいけません。世界の人々に理解してもらわなくても構いませんが、自分は世界の全ての人を理解しなければいけません。「お婆さん、家でのんびり楽にすればどんなに良いことか。こんな寒い中でもこの事をすれば連行されますよ、恐れないのですか? 給料をもらっているのですか?」とよく人に言われます。私は笑顔で次のように答えます。「仮にあなたにいくらかを払えば、あなたはこの事をしますか? あなたは慈悲というものを知っていますか? 神佛が人を救い済度することに代償など要りません。私は神の使者です」
時間を無駄にせず修煉する
私は一人暮らしですので環境はとても良く、毎日のスケジュールも充実しています。朝、煉功が終わって『轉法輪』の一講を読み、それから人を救いに出かけます。2~3時間で十数人を脱退させることができ、時には20人に達したこともあります。毎日すでに習慣となって時間になるとすぐに出かけて行き、一日さえも欠かせたくありません。午後に法を暗記し、そして、『轉法輪』を8カ月以上かけて暗記することができました。今は2回目の暗記をしています。『洪吟』と『洪吟二』はすでに流暢に暗唱することができます。『洪吟三』の40首までは流暢にできますが、その続きは今も暗記しています。毎日明慧の交流文章を読み、たまに自分も投稿します。また、他の同修に資料を印刷したり、お守りを作ったりしてあげます。毎年10月になると、大法の真相を伝えるカレンダーを印刷し始め、外に出て配布したりして、繁忙期に入ります。
時間を節約するために1日2食にしています。料理や食事の時間に明慧ラジオの交流文章を聞きます。時には、病業の同修のために発正念、学法の手伝いをします。毎晩、『各地での説法』などを勉強し、1日の4回の発正念を必ず欠かさずします。全身全霊で法の中に溶け込み、正真正銘の合格した大法弟子を目指しています。私はまだまだ人心や不足がありますので、これからの修煉の中で厳しく自分に要求し、内に向けて探し、心性の面において向上するように多く力を入れ、先史の大願を果たし、師父の慈悲なる苦心の済度に背かないように勇猛邁進して、師父について必ず家に帰ります!
師父に感謝いたします! 合掌
同修の皆さん、ありがとうございます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『導航』「ワシントンDC国際法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十』「大紀元会議での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇五年カナダ法会での説法」
[4] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
(※1)悪瘡(あくそう・悪性の腫れ物などを指し、潰爛後なかなか浸出物が止まらず、治りにくいものの総称)
(※2)穆桂英(ぼくけいえい)