いたずらっ子から 成熟した大法弟子へ
■ 印刷版
 

文/武漢の大法弟子

 【明慧日本2020年6月6日】母は1996年に法輪大法を修煉し始めました。母の影響を受けて私もすぐ修煉を始めました。当時私は小学生でした。母の話を聞くと、ある日、公園を通りかかるとそこで数人が法輪功煉功をしていて、煉功音楽を耳にした母は気持ちがすがすがしくなり、五式の功法を教えてもらったそうです。母は五式目の静功(坐禅)を学んでいた時、自分が卵の殻の中に座っているような感覚を覚え、その 功法が素晴らしいと思い、すぐに大法の修煉を始めました。

 法輪大法は「真・善・忍」と言う宇宙の法理に従って自分を修め修煉しますが、母は大変素晴らしいと感じ、子供の私もそこに連れていかれ修煉の道を歩み出しました。

 大法修煉を始めると、私はまるで生まれ変わったようになりました。修煉する前は女の子でしたが、ずいぶんと腕白でいたずらっ子で、よく男の子のクラスメートと殴り合いの喧嘩をしていました。時には少ししか遊んでないのに、すぐ人と殴り合いを始めたりしました。それで殴られた子供の親が我が家を訪れては、傷を負ったと訴えたため、私は両親からよく叱られました。おそらく当時、争ったり戦ったりすることが好きだったのかもしれません。私はとてもやんちゃな顔をしていて、成績はクラスでうしろから1番目か2番目でした。両親は私のことで大変頭を痛めていました。

 法輪大法を修煉してから、私は真・善・忍に従って振る舞い始めました。良い人になろうと、絶えず自分を高め向上させました。他の子供との殴り合いをするのを止め、友達が多くなりました。また嘘をつき他人の物を手にする悪い習慣を改め、熱心にクラスメートを助けていじめられても気にせず、クラスの辛い仕事や疲れる仕事を自ら多く担当しました。そして、授業中は積極的に先生の質問に答えました。先生に誤解される時もありましたが、そんな時はじっと我慢しました。誤解により教室の掃除をさせられるような懲罰を受けても、クラスのために仕事をすることは良いことであると考え、事後にそれらは先生に説明すれば良いと思っていました。

 担任の先生は私が一気に態度が変わったので、大変驚かれました。「あなたはどうして最近こんなに変わったの?
 たくさんの事が以前より大変良くなったわ」と褒められました。私は「母が最近、法輪功を修煉し始めて私も一緒に学んでいます。だから、私は良くなりました」と答えました。担任はまた問いました。「法輪功はどんな功法なの?
 私の母もやっているのよ」と聞かれ、私は「法輪功は人に真・善・忍に従って良い人になるように教えています」と答えました。

 幼い時、早朝に公園に行き煉功していた時、五式目の功法をやると、業力の消去により、最初は脚がとても痛かったので、家を出る前に靴下にティッシュペーパーや布の帯を入れてクッションにしました。こうすればそれほど痛くなくなるだろうと思いました。しかし、煉功し始めるとやはり痛くなり、靴下に入れたものをすべて取り出して傍に積んで置きました。それをみて皆が笑っていました。間もなくして私は、両足を組んで1時間座禅が出来るようになりました。とても楽に出来るようになりました。

 また抱輪(両手を輪にして前方に出す)を始めた時、両側の腕に水の入ったバッケツを一つずつかけたように、すごく重く感じました。一度だけ、私は続けたくなくなり、公園でしばらく走り回りながら遊びました。戻ってから続けてやりました。少しやったら二式目が終わりました。当時、隣にいた母は私が最初から最後まで抱輪が出来たと思い、大変喜びました。 功法を教えていた修煉者は私が遊びに行って来たことを知っていましたが、そのことを明かしませんでした。帰宅すると、母はご褒美に私にケーキを一つ買ってくれました。一口食べた時、ケーキが喉に詰まりました。それは良く出来てなかったからだと、私にはよく分かっていました。

 一度早朝の煉功が終わった時、私はカマキリを1匹見つけ、非常に小さくてとても可愛く、家に持ち帰りたくなりました。それを見ていた煉功音楽を流すテープレコーダーを手に持っていたお爺さんが私にこう言いました。「修煉者は生き物を飼うのも殺すのもいけないよ」。しかし、私はどうしても飼いたかったのです。お爺さんにあれこれと説得され、カマキリを芝に逃がしてやりました。いま思い返せば、あの当時、お爺さんに説得されていなかったら、もしかすると、不注意でカマキリの足を折ったり、あるいはよく飼うことが出来ず、傷を負わせて業を造っていたかも知れません。しかもそもそも、動物や植物は霊気を得やすいので、大法修煉者として生き物を飼ってはいけません。

 その当時、私は常に母と一緒に集団学法に参加しました。集団学法に参加する人は大変多い時もありましたが、皆とてもやさしかったです。私の幼い心の中でも、法輪大法を修煉するお爺さん、お婆さん、叔父や伯母達は皆非常に心優しい人達で、普通の良い人達より、さらに良い人達でした。

 小学校の高学年の時、母は私の進学を心配して、煉功点と学法グループに連れて行く回数が少なくなりました。実際、母のこの判断は学法が深く出来てないことが原因でした。また、執着によりもたらされたことです。実際、法をしっかり学び、煉功をよくすれば、学校の成績は必ず修煉を緩めなくてもすむはずです。

 小学校卒業のその年の夏休み、1999年7月に中国共産党(以下、中共)は大法修煉者に対して迫害を始めました。捏造された偽のニュースが繰り返し放送され、世の人々に害を与え惑わせました。この全てを見聞きした私に初めて浮かんできた一念は、これらのニュースは絶対に真実ではないということでした。なぜなら、私が関わった大法修煉者の人達は皆非常に優しい人達だったからです。また私の母を例にすると、母は法輪功を修煉する前に鼻の手術を受けましたが、医師の不注意で神経を傷つけ後遺症として、片頭痛が残りました。大法を修煉してから、その後遺症が全て治りました。私の母方の祖母は故郷から武漢に、心臓手術を受けるためにやって来ました。母が祖母を連れて煉功点に行き、法輪功を煉って1週間後、祖母の顔色が明るく艶々になり、再度、病院に行って検査を受けたら、心臓に何の問題もなくなり手術も要らなくなりました。これらの身内の実体験は、大法の不思議な力を実証することに十分でした。

 大法はすでに私の心の中に深く根を下ろし、真・善・忍の法理に従って修煉の道を歩みました。その後、試験問題に大法を中傷する内容が出ると回答せず、その点数を取りませんでした。大学の試験と大学院の入試の時も同様でした。

 大法の修煉を通して、私の人生には顕著な変化が起こりました。以前は成績が後ろから数えて数人目だった私でしたが、劇術学院に受かり国家一等奨学金を初めて獲得した学生になりました。その後、芸術専門の本科大学に受かり、さらに特別招集の芸術大学院生になりました。普通の人からはこれらの経歴を不思議に思われるかもしれませんが、これら全ては大法を修煉して得た、私にもたらされた素晴らしさと祝福なのです。

 私の容貌も随分と変わりました。ヤンチャな顔からきれいなスッキリした顔に変わり、私を知らない人は私を20代と言ったり、16、7歳と思う人もいます。実際私はすでに30歳を過ぎていました。年齢が若く見え、親近感があるために知らない人に大法の真相を伝える時、老若男女に関わず皆良く聞いてもらえます。そして喜んで三退してくれます。もしも、良く勧められない顔見知りの人に会っても、私は黙々とその人に対して発正念をして、再び説明をします。すると、ほとんど皆三退してくれます。困難に遭遇しても私は諦めません。なぜなら、またいつ会えるか分からないし、悔いを残したくないからです。時には、私たちの誠実さに感動する人もいます。

 修煉者の一念は極めて重要な役割を果たします。またこの一念は、普段の修煉の精進具合や修煉の基礎に関わります。しかし、時にはこれらのチャンスに試練が伴うことがあります。正念をもって正しく行なうためには、必ず普段から良い修煉状態を保たなければなりません。

 芸術専門の大学院生の時、学院から大学院生は本科生向けに少なくとも1科目の授業を取らないといけないと言う要求がありました。学院は私に会計専門の三つのクラスの学生に服装概論課程を教えるように按排しました。100人を超える学生達が階段教室で授業を受けることになりました。私は彼らが非芸術専門の学生で卒業も近かったので、就職面接時の服装や礼儀、服装のコーディネイトをメインにして、細心の注意を払って授業を準備しました。スーツと作業服の違い、スーツを着ることからはじまり、礼儀の細部に至るまで説明し、面接の経験談や映画の中の参考になるシーンなども挟み込みました。学生達にとっては、実用的で知識を豊富にできる興味深い授業でした。

 学生達は私の真面目で責任感の溢れる授業を受けた後で、良く「先生、お疲れ様です」と言ってくれました。このような反応は大学では比較的まれです。私はずっとこれらの学生に大法の真相を伝え、彼らに中共とその関連組織から脱退するように勧め、自分自身のために素晴らしい未来を選択してもらおうと願っています。

 当時、美術館ではちょうど複写した敦煌(トンコウ)の壁画展があり、私は授業の一環として学生達に展示会を見に行かせました。天を敬い神を信じる伝統文化を学ばせ、彼らに一部の壁画の内容を説明しました。学生達に善悪には報いがあるという天理を伝え、木の葉っぱに咲いた優曇華(うどんげ)(※)を教室に持って行って、実物を皆に見せました。その機会に大法の真相を伝えて三退を勧め、自分のために素晴らしい未来を選択するように伝え、三退することを試験問題として出しました。当日八十数人が授業に参加しましたが、五十数人が三退を選んでくれました。

 ある日、母が明日ほうれん草を買って来てと頼みました。翌日、私はほうれん草を買いに野菜市場に訪れましたが、思い浮かばず、あちこち見ながらどれがほうれん草なのかと考えていた時、あるおばさんが私に「何の野菜を買いに来ましたか」と声をかけられ、「ほうれん草が欲しいのですが」と答えました。そのおばさんは「ここにありますよ」と言って、直ちに台の下からほうれん草を一束取り出し、慣れた手つきでビニル袋に入れてくれました。代金を支払う時に、このおばさんは自ら私に声をかけてくれた縁のある人だから、大法の真相を伝えて共産党の関連組織から脱退させ、素晴らしい未来を持つようにと思いました。しかし、私がまだ一言も言ってないのに彼女は話をさせませんでした。私が再び話をしようとしたら、また慌てて話し始め、そう言うことが2、3回繰り返されました。彼女は「あなたはもう早く行ってください、早く帰ってください」と言いました。私は機縁がまだ整ってないと感じ、次回、彼女の店で野菜を買った時に真相を伝えようと思いました。

 帰宅後、ほうれん草を洗うためにビニル袋を開けると、あまり新鮮でないことに気付きました。さらに細かく見ると多くが腐っていて、茎にカビが生えていました。恐らく私の年齢が若く見えたので、買い物の経験がないと思い、長くそこにいたら新鮮でないことに気付き返品するのを恐れ、早く帰らせようとしたのだと思いました。考えてみると、大法を修煉していなかったら、絶対に我慢できませんでした。その店を訪れて不満を言い、返金を求めたはずです。しかし今、修煉者である私は不公平なことに直面しても、他人のことを考え、しかも、そのおばさんに大法の真相を伝えなければいけません。もし彼女と言い争って仲が悪くなれば、どうやって三退を勧めるのでしょうか。私は注意深く腐った葉っぱを摘み取り、何回も洗い、夕食の時に、強火で少し長く炒めてゴマ油をかけました。それで家族は皆、美味しそうに食べてくれました。

 翌日、私はまたその店を訪れ、空心菜(クウシンサイ)を買いたいと言い、前日のことを一切口にしませんでした。するとそのおばさんは、私がまた自分の店を訪れたので、超新鮮な野菜を一束選んでくれました。前日は新鮮な野菜を上げられなかったため、今回は新鮮な野菜をあげると言いました。代金を支払際に、三退して平安を守ることについて説明し、大法の真相を伝えました。すると、すんなりと三退してくれました。

 普段用事があって出かける時や仕事や生活の中で、私は面識のない人々やまだ大法の真相が分かってない親友らに真相を伝え、三退を勧めます。中には私の学生や保護者、学校の先生や上司、そしてタクシーの運転手や同僚、各業界の従業者、店主、露店を営む人、また、プロの詐欺師やプロの乞食などの人達も含まれています。大法の真相を伝える中で、三退が順調に進まなかった時は、往々にして、私が真相を伝える前に発正念を忘れ、重視していなかった場合か、あるいは、その日に学法をせず出かけた時です。

 実際に人を救っているのは大法です。大法の背後にある意味とは、世の人々を救うことなのです。法を正す時期の大法弟子として大法の真相を伝える中で、必ず学法と発正念をしっかり行ない、正念をもって正しく行なわなければなりません。法を正す最後のこの時期に、私たちがよりよく行なえることを期待します。

 (※)優曇華(うどんげは、三千年に一度花が咲くといわれ、優曇華の花が咲くときには転輪聖王が姿を現すと言われている)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/4/21/404139.html)
 
関連文章