明慧法会|醜いアヒルの子が大きなハクチョウになった
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文/中国の若い大法弟子

 【明慧日本2020年6月12日】

 師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は大学入試を終えたばかりの若い大学生です。私が生まれた時はまさに大法が極めてひどく迫害されていた時期で、大法を修煉していた母親は私を身ごもっていた時に天安門広場で不当に連行され、つまり、私は生まれる前に留置場に入りました。母親は何度も不当に捕まり、いつも帰って来た後1、2年経たないうちにまた捕まり、またそれによって、私は幼児期を父親の所で過ごしました。

 修煉を始める前と後の私はまるで別人のよう

 父親の一家は大法を修煉しておらず、自己中心的で、家の中はずっと抑圧された雰囲気に満ちていました。家人は外の人に対してすべて敵意に満ちており、いつも他の人を悪く見ており、またそれによって、家の人は悪を以って他の人に対処していました。このような家で成長し、私はいつもいらいらし、他の人に対する話し方は辛辣で手厳しく、すべて皮肉めいており、勉強については言うまでもありませんでした。授業中にものを食べ、他の人の宿題を写し、試験の時はいつもカバンを引っ張る動作をして、後ろの人の解答用紙を写すなどなど、私は救いようのない不良学生になりました。

 幸いにも師父の保護を受けて中学に上がる時の夏休みに、母親が帰って来て、それから、私の生活は大法が照らす中で明るくなり、心を入れ替えて真人間に生まれ変わったかのような変化が起きました。

 私は母親の所の中学校に転校しました。転校したばかりの時、私は極めてすぐにイライラして何をしても面白くなく、いつもイライラしながら人に対して売り言葉に買い言葉で、さらには勉強しようとせず、母親は極めて大きな包容力で私を導き、励ましました。一人の人間が10年間養ってきたものを捨て去るのは難しく、一人の人間を改変することは非常に難しく、それでも母親は私を導いて大法書籍を読ませ、「このような大きな法が、世の中のすべてを精錬することができ、大法は必ず私を本当に変えることができる」ということを母親は信じていました。

 大法を学んでから、心身が落ちついてきたように感じ、多くの道理がわかり、だんだんと是非を見わけることが出来るようになりました。私のその時の感覚は「この『轉法輪』の本が説いていることは正しい、大法は素晴らしい」というもので、特に業力の転化に私は興奮し、一挙四得の法理を私は突然悟りました。大法は私の心を平和的に変え、そんなに容易にイライラせず、太陽の光のように明るくなり、他の人が行なう良いことと悪いことは私自身のために行なわれたものである、と私はわかったので、自分の性質をおとなしくし始め、他の人を傷つけなくなりました。同時に大法は私の知恵を開いてくださり、私の学習は軌道に乗り始めました。

 学習の方面において、母親はいつも私がしっかり行なえると固く信じていました。初めての父兄会の後、母親は私が1番になれると信じていると私に話し、私自身は全くそんなことは信じられませんでした。思いもしなかったことに翌月、私はクラスで一番になり、3カ月目には学年で一番になり、これはまるで鯉の滝登りのようで、とても不思議でした!

 その後、私はもう落ちることはなく、ずっと学年でトップ10に入り、高校に行くと、さらにほとんど毎回1番で、文系か理系かを問いませんでした。これは以前なら考えようともしなかったことで、このような福を大法が与えてくださったのです。

 自分をしっかり修め、学校で大法を実証する

 成績がずっと良かったので、高2の始めに第1回目の共青団が投票で選ばれた時、私の名前がその中に入っていました。このことを私が母親に伝えると、母親は私に決めさせました。私は「大法はこんなにも素晴らしく、心身にみな恩恵をもたらし、共産党はこんなにもよい法を迫害し、それならばそれは当然悪いものであり、どうして私がその組織に加入することがで出来るだろうか?」と簡単に考えました。私は考えをまとめ、翌日クラスの担任の先生に「先生、私は入団しません」と単刀直入に言いました。先生はこの話を聞いてポカンとしてしまい、目玉が二つとも落ちそうになりました。先生は私を事務室に連れていき、入るなり「この子は入団しないと言った!」と大声で言いました。事務所にいた先生も驚き「入団しないなんて、今まで聞いたことがない!」、「多くの人が入りたいと思っても入れないのに!」と言いました。

 なぜ入団しないのかを先生に聞かれ、私は「共産党はとても悪いと思いますので、私は入りたくありません」と言いました。先生はまた目を丸くして、私を説得し始めました。先生が何を言おうと、私は「共産党はとても悪いと思いますので、入りたくありません」とだけ繰り返し、同じ話をしました。私はその時、本当に他のことは何も話せませんでした。最終的に先生はなすすべがなくなり、私の母親に電話をしました。母親は先生に、誰も私を左右できず、それが私自身の考えである、ということを言い、「入るか入らないかは個人の自由であり、子供が入りたくないのなら入れないでください」と言いました。こうして、私は順調に自分のきれいな身分を保ちました。その後、先生がクラスで「誰かまだ団員でない人はいますか」と聞かれる度に、私はいつも顔をあげて立ち上がり、心の中に自慢を抱き、なぜなら、自分が正しいことをしていると感じたからです。

 中学から高校に上がった時、母親は重い病業の関のまっただ中で、私の成績は地元の最も良い高校に行くには十分でしたが、家の状況を考慮して、レベルが少し低めですが家から近い高校を選びました。多くの人が私のことを惜しみました。もし私が最も良いあの高校に通っていたなら、必ずもっと良い成績が取れるはずだとみんな思いました。しかし私は「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[1] 、「一人の人間が生まれた時、時間概念のないある特殊な空間に、その人の一生がすでに同時に存在しており、一生だけではない場合もあります」[1] という師父の法を思い出しました。修煉者の一生は師父に按排されており、行くべきところに行くだけなのです。もしかしたら、ここに私と縁のある人がいるのかもしれません。私の心は余裕があり、得と失に対して余裕を持てるようになり、問題にしませんでした。

 確かにこのようであり、大法の中から獲得した知恵によって私は栄光を抱きながら高校に入り、そして。しばしば全校で一番という誉れが、再び、法を実証するための有利な道具になりました。成績が優秀で性格が温和な学生として、すべての先生がみな私に対していくらかの偏愛を持ち、学校も私を重点育成生徒とみなし、とても注目され、学校は母親と多くコミュニケーションをとり、交流することを希望しました。私の成績をさらに良く上げることについて、父兄会で母親に発言させ、私の教育してきた経験について、母親と交流したがっていました。このような機会を借りて、私たちの家が修煉している家庭である事実を母親は、各教科の先生および学校の首脳部に説明し、大法の真相を伝えました。先生たちはみな母親を尊敬し、母親がすごいと称賛し、母親が長年巨大な圧力の下でも、自分の信仰を堅持していることを称賛しました。母親は教壇に上がった時、「私は大法を修煉したというだけで、労働教養を科されました」と余裕をもって発言しました。母親は戻ってきた後、大法の法理の指導の下で、初めてどのように私を教育すべきなのかが分かったのです。母親のこの行為に、多くの父兄が震撼を受け、父兄はみんなじっと聞いていました。

 多くの人が私に対して関心を寄せたり、うらやましがったりして、いつも「どうして、こんなによく、勉強ができるのですか?」と聞かれることがよくありました。私は「大法を修煉しているので、食べること、着ること、用いることなどの物欲をみな淡々と見て、それらはどうでもいいのです。また、同級生と同じように何か物を購入することに執着していません。ブランド製品なども追わず、自然に淡々と見ているからです」と直接に答えました。

 事実、確かにこのようであり、私は親せきがくれたお年玉をみな母親に渡すか、他の同修に渡し、同修たちに小さなレコーダーを買ってもらい、大法の真相に関する内容を録音して常人に送るか、大法を実証する他のことを行なってもらいました。母親が私のために服を整えるたびに、私はいつも「服は持ってるよ、もう持ってる!」と言いながら、母親を引っ張って急いで店から離れました。このようなことに時間を浪費する必要はない、と私は本当に思っています。中学、高校と着ていた服はみな母親が若い時の服と他の人がくれた中古の服で、サイズが合えばそれでよかったのです。あるおばさんの同修が私に新しい服を買ってくれ、私は本当に必要がなく、何度もお金を返そうとしました。そして、そのおばさんは私が苦しんでいると思っていました。しかし、母親の方は苦をなめることはよいことで、高尚な行為であり、子供の執着を増やさないでほしい、と思っていました。

 食べることでも、ずっと簡単でした。それを見た先輩の同修が関心を持ち、「お母さんはおかずを作らないの?」と私に聞きました。さらに「子供が体を成長させるのに、野菜を食べないのはダメです」と言い、母親が充分に食事を作らない、と責め、私の面倒をしっかり見ていない、と責めました。私は同修たちに「学校におかずがありますが、私はあまり食べたくありません」と伝えました。母親は毎日忙しく、ちょうど何かのおかずがあっても時には覚えておらず、お腹がすけば、空腹を満たせばそれでよかったのです。師父が以前に法を伝えられた時、ずっとインスタントラーメンを召し上がっていらっしゃったことを私はずっと覚えていました。それで、同級生が予約した宅配料理を、いくらも食べないうちに捨ててしまったのを学校で見て、私は大法から理解した法理を伝え、同級生たちに「これらの食べ物はみな自分の徳と交換したもので、大事にしなければなりません」と伝えました。

 あるおばあさんの同修は、大法を実証することを私が少し手伝ったので、いつも私に食べ物を持たせようとします。当時、私は11歳でした。私はおばあさんの後ろについて一回りし、拒絶できないと感じ、「餃子が食べたいです」と言いました。おばあさんにこの心をなくしてもらうためでした。家に帰った後、おばあさんは「この子にケンタッキーフライドチキンを食べさせようと思っても、何を言っても行かないのよ。アイスクリームを買ってあげようと思ったら、それもいらないって!」と言いました。私は「ケンタッキーに行ったら数十元かかるけど、餃子を食べるなら12元で充分だから」とひそひそ話で母親に言いました。

 修煉者は世の中のすべてに対して執着せず、さらに大きく、さらに深い宇宙観、思惟と認識が法に則っているので、常人のその認識をはるかに超越しており、心を静かにして、はじめて一心不乱に学習できるのです。言うまでもなく、私は修煉者で、学習は学生の本分であり本来しっかり行なうべきである、と師父は私たちを導いてくださいました。さらに少しばかり重要なことは、つまり調和のとれた人間関係がなければいけないということです。平和的な心理によって、私は非常に大きい恩恵を受けられます。もともと優秀な多くの同級生は、いつも同級生や先生、あるいは父兄とトラブルを起こし、感情の起伏が大きく、何事も細かく詮索し、わがままで、自分の要求に達しないと泣き出して、怒り出しました。先生はいつも「私も学生にいじめられています!」と言いました。このようなことは必ず私の学習に大きく影響しました。私は同級生たちが惜しいと思い、法から学んだ人付き合いの日常的マナーの道理をいつも同級生に伝え、寛容さを伝え、徳と業について伝えました。ある同級生は怒った時泣きながら「寛容って言うけどとても難しい!」と言いました。

 携帯電話とウィーチャットは現代社会では学生にとって頭の痛い問題です。私は大法修煉者であり、師父が見守ってくださっているため、法を実証し、衆生を救い済度するということを担っている使命を理解しています。それで、私はほとんどウィーチャットを見ません。校内の同級生と先生とのおしゃべりは活気にあふれ、ウィーチャットに並んだ赤い数字(訳注:未読通知のアイコン)がどんなに多くても、私は一向に気にしません。私の携帯電話は静音に設定されており、これで一心不乱に学習できるのです。もし、大法がなければ、私は若者と同じように、永遠に回復できない深淵に入り込み、毎日ネット上にたくさんの無意味なデータを繰り返し書き込み、思っただけでも恐ろしいことです。

 ある有名な人権派弁護士が私の成績を聞いて、「あなたたち修煉者の子供は、自制力が高くて素晴らしい。私の家の子供はダメで、携帯電話で遊んでばかりいます」と言いました。

 クラス担任の先生がいつも私のことを他の学生が志す目標としており、「あなたと○○さんの距離はまだどれだけあるでしょうか」と言います。知らず知らずの間に、私にたくさんの「相手」が樹立され、多くの女子学生が「先生、先生は彼女をひいきし過ぎです!」と恨み言を言いました。大法の中で嫉妬心の問題を学び、私は努力して「真・善・忍」の基準に則って物事を行ない、自分の成績が良いことをひけらかしたことはなく、出会った人に成績をひけらかすような話をしたこともありません。そして、私から話題を作るか、あるいは同級生の長所を肯定しました。同級生が一緒になって、先生や他の同級生の悪口を言う時には、私はできるだけその先生の長所を提示し、同級生の間のトラブルをやわらげました。大法は私に包容する心を与えてくださり、まさに、この心によって私は言い争わないことを学びました。高校の段階で明らかにトラブルの発生が少なくなり、さらにトラブルが少なくなったことにより、大法を実証しました。ある時ある先生が「この太陽のような○○さんを見てごらんなさい。この法(法輪功)が間違いなく素晴らしいことがわかります」と心の奥底から言いました。

 毎回母親と話をし接触する中で、大法の真相に対して先生はだんだんと理解し、私たちも『共産党についての九つの論評』などの真相の内容が入った、USBフラッシュメモリーをそれぞれの科目の先生に渡すと、先生たちもみな受け取りました。ですから、高校2年で学校が私に入党させようとした時、私は先生に「入党しません」と言い続け、先生もまったく驚きませんでした。中国共産党(以下、中共)組織全体で先生と生徒が共産党を讃える歌を歌いましたが、私は先生に会って「私は歌いません」と言うと、先生もまったく疑問を挟まず、「歌わないなら、それでいいです」と言いました。私はさらに「先生も歌わないでください、よいことではありません」と言いました。ある同級生に「共産党を讃える歌のコンテストに、なぜ参加しないのか」と聞かれ、こういう場合私は、その機会を利用して相手に大法の真相を伝えます。私の家が大法を修めていることを、周りにいるほとんどすべての先生とクラス内の同級生はみな知っています。先生と同級生たちはみな私の信仰を尊重してくれています。学校での生活はずっと良好で、差別を受けず、好ましくない応対も受けず、このような環境において、私は先生と同級生の善意を感じました。自分が正しく行なっていれば、師父はこのようなすべてを私に与えてくださいました。

 高2から高3に上がった後、授業が厳しくなり、大学入試が近づいたため、「しっかり勉強しなさい」という先生たちの言い聞かせと、他の人たちが緊張して学習していることにつられて、私も多くの精力を学習の方に注ぎました。法を学ぶことが少なくなり、時にはさらに、長い時間法を学ばず、常人の中の物を大法よりも優先して配置しました。実際、その時にも間違っていることを知っていました。ただ、その重たい執着心を放下できずにいました。長い時間法から離れ、心も気まぐれになり、時には大法に向き合おうとせず、後ろめたさを感じました。常人の中で修煉することは容易ではなく、いつでも必ず、自分の心を修めることに注意していなければなりません。

 大学入試が終わり、多くの同級生がみな地方に遊びに行き、口を閉じて大学入試のことを語らず、それは結果発表の緊張から、なんとかして逃れようとしていたからです。成績が発表される前の晩、自分が超常的に能力を発揮できていることをみんなが祈りましたが、私の心は落ち着いていました。さらに他の人が私に尋ねた時、私は緊張もしておらず、なぜなら試験前にすでに「師父、私はどこにいても最大の作用を発揮し、どこへでも行きます」という願を発していたからです。師父が私のために必ずきちんと按排してくださることを、私は信じていました。

 試験の点数はまだ出ておらず、ある名門大学の学生を招くチームの先生が私に、そこの教育は中国のように軽率ではなく、うさん臭くもなく、マルクス・レーニン・毛沢東のようなことは学ばず、時間を有用なことを学ぶために使い、そこの学習施設と国際化を視野に入れていることや額面が適合な奨学金などなど、を伝えました。母親は動かされず、母親は心の準備ができておらず、なぜなら、地元に残っても良い大学に入ることができますが、このような学校を拒絶する力もなかったからでした。私自身はあまり問題にせず、執着せず、地元を出ても、地元に残ってもどちらでもよかったのです。

 その後、私は母親に「お母さんは自分が決定するものだと思ってるかもしれないけれど、実際にはそれは違うと思う」と伝えました。この私の話で、いやというほどの魔難に遭っている母親は安心し、母親はついに、少しずつ自分が決めなければならない、というプレッシャーを放下しました。私はその学校に採用され、すべての親せきと友人はみな喜び、長年連絡を取っていない親せきも向こうから連絡してきて、私が小さい時から利口だった、と親せきたちは言いました。私は「そうではありません。小さい頃は問題があり、法輪大法を学んでから、私は善行を積んだのです」と言いました。

 体の方面では、中学高校の6年間全体で、私は薬を飲んだことがなく、病院にも行かず、学校の統一予防接種も拒絶し、大法は私の体を徹底的に改善しました。小学校では、私は小児科医院の常連で、毎年必ず何回も病院に行き、病気の時の受け入れがたい辛さは今(訳注:2019年11月)でもなお、昨日の事のように覚えています。中学に上がったばかりの時、全身に力が入らず、私のジョギングはクラスで最も遅く、クラスの中で最も太った女子学生でも、私より速く走っていました。大法を修煉した後、私の体は丈夫になり、病業を2回消した以外は、二度と病気にかからず、ジョギングの速度もどんどん上昇し、残り数人のところでスパートをかけ、クラスの先頭に立ちました。体育の試験の時、私のジョギングは満点でした。高校生になり、体質はさらに良くなり、春と秋にインフルエンザが頻発する時、教室で回りに座っている同級生は順番に病気になり、1人の病気が治ると別の人が続いて病気になりましたが、学習の課題は厳しくて休みを取ることはできず、そこで、毎日目にするのはみな黄色い小さな顔ばかりでした。私はクラスの中で数少ない「生存者」であり、他の同級生のつらそうな様子を見て、私は小学校時代の自分を思い出し、本当に心から師父に感謝を申し上げ、私をこのように健康にしてくださったことに感謝を申し上げました。

 学校で大法の真相を伝える

 学校でも、私は機会を見つけては、先生と同級生に大法の真相を伝えました。ある時、国語の授業で先生が、「私は○○さんの『穹頂之下(碧空の下)』(訳注:中国の大気汚染問題を告発するドキュメンタリー映画)を見て、本当によくできていますが、残念ながら視聴することが禁止されてしまいました」と言いました。するとある同級生が「だいたい禁止されるものは皆よいものです!」、「法輪功も禁止されています」と言いました。先生は「まあ、そうですね、これは私にはよくわかりませんが・・・」と言いました。先生がこのように言ったのを聞き、先生に大法の真相を伝えるべきだと私はわかりました。この決定をするには大きな勇気を必要としました。頭の中で切磋琢磨し始め、私はこの決定をし始めてから授業が終わるまでずっと、先生が授業で何を言ったのか一言も耳に入ってこず、心臓はさらにドキドキして手足が冷たくなり、極度に緊張してきました。

 授業の終わりを告げるベルが鳴り、同級生たちはみな食事をしに行き、まだ何人かの学生が先生のそばで質問をしており、私はそばに立って待ち、一言も言いませんでした。先生はついに私の方を向き、私は心臓がどきどきするのを一生懸命押さえ、先生に「先生、授業の時、法輪功が禁止されていることを先生はご存じない、とおっしゃっていましたので、少しお話ししたいのですが。そして、先生にもっと理解してもらいたいと思っています」と言いました。先生は少し驚き、他の学生も同じで、皆まだその場にいました。教壇の周りを取り囲んでおり、そこで先生は穏やかに、「いいですよ、話してください。聞きますから」と言いました。

 先生は穏やかな態度で、大きく私を励ましてくださいました。私はそれほど緊張せず、ラジオをかけたかのようになめらかに、先生に「法輪功は佛法修煉の一つの法門であり、『真・善・忍』に基づいてよい人になるよう人にと教えています・・・。共産党はデマを流し、共産党は法輪功を迫害し、当時のローマ帝国の皇帝がキリスト教を迫害したのと同じです。最終的にあの強大なローマは大疾病に崩れ落ち、これは因果応報であり、迫害の中でキリスト教を助けた人たちは、疾病にかかりませんでした」と言いました。先生はとてもまじめに聞き、時々私にいくつか質問をし、また私に「天安門焼身自殺事件とは、どういうものなのですか?」と聞きました。私は「あれはウソです、共産党が人を雇って演じたもので、法輪功は自殺を許されず、自殺には罪がありますから」と言いました。「それなら、病気の治療もしないのですか?」、「病気の治療には二つの意味があり、一つは自分の病気を診せに行かせないこと、もう一つは人の病気を治しに行かせないことです。法輪功は修煉者が人の病気を治すことを禁じており、自分に病気がある時に、診せに行ってはいけないとは言っていません」

 このような一問一答の中で、海の水が涌き起こるかのように、師父は私に知恵を与えてくださり、もし普段の私であれば、こんなにはっきりと明瞭に、話すことは出来なかったはずです。この一歩を踏み出さなければならないと決心した時、師父は私を加持してくださり、知恵を与えてくださったのです。最後に先生は「私の家の以前の隣人が法輪功を修煉していましたよ」と言いました。私は「それなら、彼はよい人に違いありません!」とすばやく言いました。「ええ、そうですね、彼は確かに良い人ですが・・・その後、捕まえられたようです」。私は「捕まった人が皆どうなってしまうのか、ご存じですか? 彼らは様々な酷い拷問にかけられ、殴り殺されてしまう人もおり・・・」と少し目を潤(うる)ませて言いました。先生はとても驚き、中国の司法の暗黒の一面が、どれだけ恐ろしいかを、先生は明らかに知っていませんでした。さらに、中共の宣伝のように中国は文化が高く礼儀深く、法があり秩序があると思い込んでいました。私は「先生、USBフラッシュメモリを差し上げますのでご覧ください。よくわかるはずです。法輪功を修煉する人はみなよい人です」と言いました。先生は「わかりました。時間がある時に見てみましょう」とまじめに言いました。

 この時、食事に行っていた同級生が次々と戻って来て、先生も私たちに早く食事に行くように言いました。私はちょうど教壇のそばを取り囲んでいた同級生と一緒に下に降り、同級生たちはみな私と先生の会話を聞いていました。私が話していた時、同級生たちを避けたりせず、同級生たちも話の腰を折ったり、あるいは離れたりせず、最終的な評価は同級生たちがすぐに広めてくれたことがわかりました。私たちのクラスの同級生は、私の信仰に対して十分に尊重し、わかってくれました。夜に家に帰り、私の心はまだリラックス出来ずにいると、この時「安心してください。私たちは皆あなたを支持しています」という同級生からのウィーチャットのメッセージを受け取りました。私はさまざまな感情が綯(な)い交ぜになりました。

 授業外の時間に、私はいつもある同修と組んで資料を配り、印象が比較的深いのは「江沢民の真実」のDVDを配ったことです。私たちはわざわざ、人民解放軍の様々な部隊に所属する軍籍者のいる家族が暮らす、統一整備された共同生活圏まで行きました。入口には銃を持って歩哨に立つ軍人がおり、私たちは手に袋を提げて自然体で正門から入りました。まずはそれぞれの建物の最上階から、階段で降りて行ってすべての階に配り、動作は素早く、できるだけ袋から音を立てないようにし、歩くのも音を立てないようにしました。私たちはたくさん配り、団地内の建物に配り、車の上にもたくさん配りました。当時、私はまだ中学生で、まさに子供だったので注意を受けずに済み、疑われませんでした。全部で3回行き、再び行った時に、私たちは注意深く入口から離れた所に身を隠して観察し、入口で出入りするすべての人達が皆、証明書を調べられており、もう入れないことを私たちは知りました。

 結び

 修煉者は自分の未来に対して本当に不安になる必要はなく、なぜなら、それは自分が徳を用いて、自分のために道を整えているからです。世の中が目まぐるしく変化する中で、私たちは世の中でただの通りすがりに過ぎず、本当の家は天上にあり、最終的に私たちは本当の家に帰りますので、なぜ、世の中の得失を問題にしなければならないのでしょうか?

 自分を振り返り、小学校時代は問題のある子供でしたが、幸いにも大法の修煉を始めました。そうでなければ、私も現代社会で捻じ曲げられた一人になっていたでしょう。母親が中共の刑務所から戻って来た後、私を大法の修煉に入れてくれましたので、私はこの6年間の中学と高校の時代に、醜いアヒルの子から大きなハクチョウに生まれ変わりました。師父のお導きと修煉の中で知恵を開かなければ、私にはどこで、このような素晴らしい中学と高校の経歴があり得たでしょうか?

 大法の奥深さには、さらに私が理解していない、さらに多くの内涵があり、今後の大学での学習において、生活の中で修煉を堅持し、師父の要求に基づいて三つのことをしっかりと行ない、どこにいても大法の真相を伝え、人を救うことを忘れず、同時に自分を修めて、執着を取り除きます!

 同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (明慧ネット第16回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/11/8/395455.html)
 
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