自分を真の大法弟子と見なす
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文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2020年6月20日】私はバージニア州に在住で、小さい頃から母と一緒に学法煉功をしており、修煉していつの間にか21年経ちました。アメリカに来る前までは、母の下で修煉をしており、生活や勉強をする中で困難に直面すると母が大法を元にして原因を見つけるよう手伝ってくれ、自分を高めてきました。アメリカに来てから、どんなことでも自分で解決しなければならず、徐々に自分も大法弟子であることを認識し始めました。困難なことに遭遇するとき、自分自身に原因を見つけるべきであり、難関から自分を高め、本当の大法弟子になります。

 真・善・忍に基づいて同時に修煉する

 アメリカに来たばかりの時、師父のご加護のもとで、同修の助けを借りて、私の修煉と生活は非常に順調でした。その後、私の年齢と同じくらいの同修がアメリカに来ました。彼女は母の同修の子供であるため、私と一緒に家を借りました。私は彼女の仕事を探したり、一緒に学法や煉功をしたり、休みの日には彼女を連れて買い物をしたりしていました。しかし、徐々に私は子供の面倒を見ているような気がしてきました。私と年齢はあまり変わらないのに、同修なので、彼女と一緒に修煉しなければならず、朝起こさないと寝過ごしてしまいそうで、学法や煉功もしないだろうと思い、また、習慣や性格が違うため、生活の中で葛藤が増え、私は修煉して以来最も大きな心性の関門に直面したのです。彼女と私は同修であり、物事がうまくいかない時、お互いに内に向け探したり、或いはお互いの悪いところを指摘し合ったりして、生活の中で仲良くなれるだろうと思っていました。しかし、いろんなことを私が率先してやらなければならず、彼女に問題を指摘しても直そうとしません。時間が経てば経つほど、自分が与えることが多くなったような気がして、内に向け探しても、自分が間違っていないと思い、他の同修に会うとすぐ愚痴をこぼし、母とチャットで話すときも帰国したい気持ちが湧いてきました。毎日彼女を見ていると、何をしていても彼女のことが嫌いになってしまいます。この心性の試練がなかなか乗り越えられません。私は日々内に向け探し、修煉者として真・善・忍に従って律し、彼女の目線で考えることを心掛けています。しかし、一度彼女が私の基準に合わないことをしてしまうとまた嫌な気持ちになり、抑圧されていた心がまたひっくり返り、私が彼女だったら彼女のようなことはしないだろうと思っていました。

 1年間このように繰り返し、この関門を突破したいのに、なかなかできなくて、とても苦しんでいました。しばらくして彼女がこの町を出て、別の町で生活し始める時になって、私はやっと落ち着いて自分の悪いところを悟りました。彼女が私の基準を満たしていない時は、彼女が間違っていると思い、すぐ彼女に指摘してしまいます。真を求めるという一方的な理解で、彼女に直接面と向かって指摘することが真だと思っていました。そこで、他の同修の前で彼女の悪口を言っても、私が彼女の前で指摘したように、陰で彼女の悪口を言っているとは認識しませんでした。言葉に善はなく、ましてや忍もありませんでした。彼女がしたことが私の基準に合わないことだけを見ていて、私は彼女よりも長くアメリカにいたから、彼女に教える資格があると思っていました。毎日学法や煉功をしておけば大丈夫だと思い、法の中で真に自分を求めることなく、真・善・忍に基づいて修煉していませんでした。他人の問題を見て自分を反省するのではなく、真を修煉することを口実に他人に求めてしまいます。自分の問題に気付いた私は、彼女と連絡し始め、また彼女と仲良くなりました。何かあれば私と交流し、私もすぐ彼女の問題を指摘するのではなく、辛抱強く親切に彼女を励ましました。純粋に彼女を同修として接し、彼女のためにアドバイスをし、もう自分のやり方でやってほしいとは言わなくなりました。問題があるときは、本当に内に向けて探すことができ、他人には言わず、自分を見せびらかしてはいけません。自分の問題を悟った後、心も開き、自分の考え方を強引に人に押し付けるのではなく、我慢して、内に向けて探し、法の中で自分の悟りを親切に話して、本当に真・善・忍に基づいて同時に修煉することができるようになりました。

 三つのことをしっかり行なう

 アメリカの学校に行ったあとは、とてもストレスが溜まります。英語は私の母国語ではないため、学校の勉強に時間をかけなければならないので、学法や煉功は以前のように精進しなくなりました。ストレスが溜まると、テストのために眠れなくなり、心配すればするほど成績が悪くなります。1学期のある授業で中間試験に落ちてしまい、毎日一生懸命勉強してもなかなか進まず、自分は学校で勉強ができないのではないかと思うほど落ち込んだことを覚えています。他の同修と交流したら、法を一番重要な位置に置いていないことに気づきました。学業が重く、放課後、アメリカの学生生活に溶け込みたいと言う思いから、無駄な活動に多く参加して時間を浪費したため、学法や煉功する時間を減らす理由にして、法を実証することもできませんでした。自分の問題を悟り、毎日の学法や煉功をするようスケジュールに加えました。月曜から木曜まで忙しくても、毎日学法を学び、週末になると煉功や発正念をし、周りの学生に真相を伝えます。1週間学法や煉功をし続けると、以前よりも不安感が減り、毎日が落ち着いて、学業で眠れないこともなくなったことに気づきました。その後、中間試験で合格しなかった科目の先生が私と話をしてくれ、期末試験の点数が上がれば、中間試験の成績を落とされると判断し、期末試験の成績をそのまま両試験の成績にしてくれました。三つのことをしっかり行なった結果、最終的に成績はとても良かったし、合格できなかった中間試験も期末試験の良い成績に置き換わりました。

 学生は勉強に専念すべきで、大法弟子としては、修煉は永遠に最も重要です。師父は「大法弟子にとって、皆さんの修煉は最も重要です。なぜなら、あなたがしっかり修めていなければ、行なおうとすることを完成することができず、人を救う力もそれほど大きくないからです。修煉の出来がさらに劣っていると、問題を見る時、考える時に常人の頭で、常人の考え方を用いてしまい、それならさらに悪くなります」[1]と説かれました。

 自分を真の大法弟子と見なした後、問題に遭遇した時にまずすべきことは、自分の原因を見つけ出し、時々刻々に大法で自らを量り、自分の基準で判断してはいけません。学法や煉功、三つのことをしっかりやっておけば、物事に不安を抱かず、寛容で慈悲なる心で問題を見つめることができ、すべてが解決していくのです。

 自分の修煉心得を書くことを決める前は、何も伝えることがないと感じており、じっくり自分の修煉の過程を振り返ってみると、うまくいっていない部分が多いことに気づきました。学法するときは、多くの場合任務を達成するかのようにしていました。煉功も入静できず、常人の事を考えたりしました。真相を伝えるときにも、他人の質問に効果的に答えることができるような十分な知識がないことに気づきますが、その後、真相伝えの時に遭遇した問題点についてより多く学ぶことはありませんでした。この修煉心得を書くまで、今まで自分がうまくいっていないことを見直すと、自分が着実に修めておらず、精進していないことに気付き、心の中は悔しい思いでいっぱいでした。今回の交流会に参加したことで、自分自身を反省することができ、自分の問題点を認識し、それにより追いつき、着実に修めたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」

 (2020年青年大法弟子ネット法会発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/6/5/407189.html)
 
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