生死の関を乗り越えた新しい修煉者の体験談
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文/四川省の大法弟子

 【明慧日本2020年6月30日】私は52歳の国家公務員です。

 2015年10月頃に胸部に激痛が走り、検査を受けた結果、末期の多発性骨髄腫と診断されました。それ以降、病院で国内産から外国産までの様々な抗がん剤を使用し、2クールの抗がん剤治療を受け、治療費も18万元(およそ273万円)かかりました。

 2クール目の抗がん剤治療の際に、私は危篤状態に陥り、死の淵に立たされました。救命措置を受ける私の耳元で、「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」と念じ続けるようにと妻が言いました。また、妻もそばで「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」を念じ続けてくれました。妻は当時、法輪大法を学び始めたばかりでした。念じ続けてくれたおかげで、そして8、9時間の救命措置の甲斐もあり、我が命は救われました。妻の言う通りに「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」を念じれば、命が救われるとわかりました。

 退院後、妻は同修から『轉法輪』を借りて来て、私にこの本を読んでほしいと言いました。当時、党文化の影響を強く受けていた私は、法輪大法のことをあまり信じていませんでしたが、妻と子供たちに繰り返し勧められ、とりあえず、『轉法輪』の本を読んでみることにしました。ただ、真に大法の修煉の道に入ったのは、その後の2016年5月の初めの頃でした。

 ここで、この2年間で私の身に起きた奇跡を書き、皆さんと分かち合いたいと思います。

 2017年4月9日、お腹の調子が悪く、肉を見ると気持ちが悪くて吐きたくなり、お昼は何も食べなかったのですが、午後になってさらに体調が悪くなったと感じ、夜には体が火の玉のようだ、と周りの人まで感じるくらい熱を帯びました。私は何度も気を失い、舌の真ん中から出血し、口や唇全体が血だらけになり、便失禁もして、手足は血の気を失った白い紙のような状態になっていました。そんな私を見て、家に来ていた妻の弟夫婦は「熱が下がったら、また修煉すればいい」と言って、病院に行くように強く促されました。しかし、私はこれは修煉時の業を滅する状態だと堅く信じ、病院に行きませんでした。 

 私はベッドに横たわり、家に来てくれた同修たちが大法の本を読むのを、力の限り自分の意識を集中させて聞きました。しばらくして、手足の血色が徐々に戻り、30分後には熱も下がり始めました。義理の弟夫婦もホッとして笑顔がこぼれ、「法輪大法は本当に素晴らしい!」と言いました。 私も笑顔で「心配をかけて申し訳ない。 師父が私を見守ってくださっているので、もう大丈夫だ」と言いました。

 その後、私は熱が上がったり下がったりして全身に力が入らず、食欲もない状態が4日間続きました。4日目の夜、ひどい咳が出始め、妻もそれで一晩中眠れなくなり、朝まで私に付き添ってくれました。その後、咳は2カ月以上も続きましたが、師父のご加護の下で、また、同修の助けを借りて、「師父が私の体を浄化してくださっているに違いない」と認識でき、この関を乗り越えることが出来ました。

 2017年7月末、妻が勤めている学校が夏休みに入ったので、普段から忙しくて疲れている妻を労おうと、数日間の小旅行に行くことに決めました。当時、私の体調を考慮し、また、修煉してから時間があまり経っていないこともあり、同修の1人に私たちの旅行に同行してもらうことにしました。その同修は初め、師が法を正すことを手伝うこの緊迫した時期に、旅行は適切でないと言われましたが、考えた末に、同修の娘さん(同修)を連れて一緒に旅行に行くことに決めました。速く行って、早く帰って来るように、と考えました。

 ある観光名所に着き、私たちはそこで泊まることにしました。8月1日の深夜の3時50分頃に、突然、鼻から血が出たと感じた私は妻を呼びました。蛇口から水が流れるように鼻血を流す私を見た妻は、すぐに隣の部屋に駆けて行き、同修を呼んで来ました。

 私の様子を見て怖くなった妻は、まず止血のことを考え、すぐ病院に行った方がいいのではないか、と同修に相談しましたが、同修は冷静に「今のあなたの心性がどのくらいまで達しているか知らないので、病院に行くか否かはあなた自身で決めないといけません」と私に話しました。私は「絶対に行きません。病院では私の病気は治らないし、私の病状より軽い人でさえ治療しても良くならず、亡くなったのを病院で見てきました。私は師父しか信じません!」と毅然とした態度で答えました。

 私が師父と法を堅く信じているのを見た同修は、「私たちは一緒に発正念しましょう。師父のご加護を求めて、徹底的に旧勢力の按排を否定しましょう」と言ってくれました。最初の2回ほどは私も懸命に起き上がって、みんなと一緒に発正念しましたが、その後、11~12回は深い昏睡状態に陥ってしまったため、正念を発することが出来ませんでした。

 昼の12時になり、旅館のオーナーは私たちの部屋が閉まっているのを見て、ドアをノックしました。ドアを開けて私の様子を見たオーナーは驚いて恐怖を感じ、「病院に早く連れて行って、助けてあげてください!  宿泊費も何も要らないから、早くここから出て行ってください! 早く!」とパニックになり、叫びました。私はオーナーに「私は大丈夫です。宿泊費は全額支払いますから、心配しないでください」と言いました。

 私は背が高くて、体重も100キロを超えていたので、12時間30分ほど、妻と同修が交代で私の背中を抱きかかえて支え、1人が大きなバスタオル4枚を交換しながら、口から出た血の塊と体についた血の塊をずっと拭いてくれました。同時に同修の娘さんは次の交換に間に合うように、風呂場でひたすら血だらけのバスタオルを1枚づつ洗い続けました。

 吐き出した血からは悪臭が漂い、妻と同修、同修の娘さんはあの小さな部屋で十数時間、何の文句も言わずによく耐えてくれたと思います。

 鼻と口から出た血はゴミ袋5、6枚ほどあり、目が覚める度に大量の血を吐き、それに加え、その血の塊を手でつまんで取らなければなりませんでした。それでも同修は嫌な顔ひとつせずに、血の塊を取ってはバスタオルを洗面所に持って行って、洗い流してくれました。その後、下半身からも血の塊の出血が始まりました。

 この十数時間の間、同修は正念を発し続け、師父の説法の録音を流し、『轉法輪』を読んで私に聞かせてくれました。

 午後4時まで血がずっと出続けましたが、同修は「物事が極まれば、良い方へ転化するので、もう大丈夫です」と言いました。そして本当にその後、嘘のように出血は止まりました。「これは師父があなたの体の中の古い血を新しい血に交換してくださったのです」と言う同修に対し、私も「本当にそうですね。師父が本当に私を見守ってくださいました。以前の出血はベタベタした血でしたが、今の血は澄んでいます」と話しました。その後、血液検査を受けたのですが、結果は私の言う通りでした。

 午後6時に、私はお湯を飲むことやお粥を食べることが出来ました。この旅館にはお湯とお粥以外には何もないので、私はお湯を飲み、お粥を食べました。今までに食べたことのないような食感で、とても美味しかったです。そのとき「師父は私に一番良いものを与えてくださったに違いない」と思いました。普通の人なら、あんなに多くの鼻血が出たら、数分間で顔面蒼白になってしまうでしょうが、私の顔色には赤みがさしていました。師父が私にエネルギーを補充してくださっていたのだと思います。

 それから私たちはすぐに帰宅したのですが、5階に住んでいるため、階段を上がるのがとても大変だなと思っていたところ、友人や近所の人5人が手を貸してくれました。みんなで私の体を押してくれ、5階の我が家まで1時間近くかかりましたが、無事に着きました。

 翌日、前日にきちんと車を駐車位置に入れなかったのを見た友人の1人が、車をきちんと入れなおそうと、また我が家を訪ねて来ました。車の鍵を渡しに玄関まで行くと、友人は昨日とは別人のように元気になった私を見て、「本当に昨日のあなたと同じ人間なのか!」と驚きました。こんなにも早く回復できたのは神ワザだということの例えでした。

 このようにして、慈悲深い偉大な師父と同修の無私な助けや励ましの下で、私はこの大きな死の壁を乗り越えることが出来ました。あれ以来、私はより一層、師父と大法を堅く信じるようになりました。自らの体験を通して、世の人々に師父の偉大さや大法の素晴らしさをここに証明したいと思います。これからの修煉の道でより一層精進し、師父について、一日も早く美しい「真の家」に帰りたいと思います!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/2/27/383260.html)
 
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