文/湖南省の大法弟子
【明慧日本2020年8月26日】先日、私は法輪大法に関するネットで「磨難」と「魔難」の違いの理解についての文章を読みました。私は同修の見解に同感でした。 私は『轉法輪』の中で「磨」を「魔」に変えたとき、「磨難」は文字通り、逆境や困苦の中で苦難を受けているという意味であると理解しています。「磨」という文字は麻(数が多く乱れている)の 下に石がありますが、その意味は石をすり減らして平になることで、私の理解では体のいくつかの苦しみや苦難などに耐えることを指しています。磨難を受けなければ成佛できないということだと思います。それでは、改変後の「魔難」とはどんな意味なのでしょうか? 師父が「磨難」から「魔難」に改変されたことは、きっと深い意味があると思います。「魔」は麻と鬼の組み合わせになります。鬼はネガティブなもので、陰謀や策略、いたずらなどのことにたけています。
同修の文章を読んだあと、私は少しの悟りがありましたので、これを書き出して、同修たちと交流したいと思います。法に基づいていないところがあれば、同修たちの慈悲なる指摘をお願いします。
師父が大法に関する書籍の中の「磨難」を「魔難」に変えられたことですが、現段階の私の理解では、大法は道徳の低下している常人の中で広められています。しかも、主元神を修めるということです。ただ「其の筋骨を労せしめる」だけではなく、さらに「其の心志を苦しめる」ということです。「佛は心の中にある」ということですが、それはこの心を修めているからこそ、佛となり、偽りの我を取り除き、真の我の一存で決めます。
大法弟子はこの複雑な社会環境の中で修煉しており、法を正す道を正しく歩まなければなりません。私達は旧勢力が押し付けたものをすべて否定して、旧勢力が作り出した中国共産党(以下、中共)による迫害をも含めて否定します。中共は悪霊や悪魔が憑依したもので、私たちのこの世界を支配しています。大法弟子は悪魔のシステムの下で修煉しており、私たちはこの悪魔である中共を根絶しなければなりません。中共は人類を破壊し、人間の思考を混乱させ、盗賊の論理で是非を転倒して善悪の区別をせずに大法弟子を迫害し、大法弟子の信仰をひどく破壊し、大法弟子を拘禁したり、労働教養に処したり、判決を下して刑務所に入れたりなどしています。彼らの存在やその邪悪な本質は、大法弟子たちの修煉の道に大きな苦痛と災難をもたらしました。
大法弟子は複雑な社会の中で修煉しています。人間の様々な人心に妨害され、様々な誘惑や後天的に形成された概念や執着心、利己心、貪欲心、闘争心、名利心や顕示心、嫉妬心、情に由来する全ての執着心など、これらの全ての心が私たちの心をかき乱しています。他にも「色魔」や「情の魔」などがあります。師父は「関という関はすべて闖(こ)えるべし いたる処すべて是れ魔」 [1] と説かれました。
大法の修煉と昔の深山での修煉には区別があります。師父は「昔の修煉者は体と精神の両方が苦に耐えていますが、今皆さんは執着を放下できないときだけが苦しく感じているのです」 [2] と説かれました。「磨難」とは肉体的な苦しみと精神的な苦しみの両方を指していると思います。しかし、ここで言う「魔難」とは、より心性上での鍛えが多く、この常人社会の溶鉱炉で心性を高めるということになるでしょう。
大法弟子は誓約と使命を持ってやって来ました。師父は弟子たちの生々世々に持ってきた業力をすべて解消してくださり、さらに、弟子達の変わりに業力を耐えてくださっているとも言えます。 師父は「もし、皆さんのために歴史上の一切を引き受けなければ、皆さんはまったく修煉できません。もし、宇宙の衆生のために一切を引き受けなければ、彼らは歴史が過ぎ去ると共に解体されることでしょう。もし、世人のために一切を引き受けなければ、彼らは現在、まだこの世に存在する機会すらないでしょう」 [3] 「私は皆さんだけでなく、全ての生命のために心を砕いており、全ての生命のため、ほぼ私の全てを使い果たしました」 [4] と説かれました。
ここまで書いたところで、私の目は涙があふれて濡れてしまいました。今日、私は本当に悟ったのです。師父は衆生のために、大法弟子のために、巨大な苦難に耐えてこられました。 私たちの「磨難」は慈悲なる師父が大半を背負ってくださっており、私たちはそんなに苦しみに耐えていないのです。
修煉の中で私達が遭遇した「魔難」は、すべて旧勢力からの強制的に押し付けられたものです。私達は師父のおっしゃった通りに行ない、大法の要求に従い、心の中に師父と大法があれば、これらの魔難は私達の向上する良い機会になります。正しい念と正しい行ないがあれば、乗り越えられない関や魔難はないと思います。
今の段階での個人的な認識であり、同修の参考になればと思います。
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟』「その心志を苦しめる」
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」
[3] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「法を正す時期の大法弟子」
[4] 李洪志師父の経文:『スイス法会での説法』