不平や自我について思うこと
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 文/ 中国の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月2日】毎年娘が夏休みで帰ってくると、娘と一緒にCさんに会いに行きます。Cさんはかつて私の店の従業員でした。彼女と母親は大法を修煉していて、とても精進していました。どうしたわけか行くと、いつもCさんは、以前私がやった一つの間違いを持ち出して話すのです。

 それは20年前のことで、私は正見ネットである一つの文章を発表し、署名蘭に「山東省の弟子」と書きました。(山東省の出身だが、今は山東省には住んでいない)。Cさんは文章を見て「この文章って、私の地元のことみたいね」と言いました。私が「これは私が書いたのよ」と言うと、Cさんは「あら、あなたは嘘つきね、あなたは山東省の人じゃないでしょ?」と言いました。私はかつて警察に身元捜査されたことがあり、それで恐怖心があったため現住地を書きたくなかったのです。

 私は「後で変えればいいでしょう」と言いました。まさかCさんがこの事をずっと掴んで離さず、思い出すたびに言ってくるとは思ってもいませんでした。私は納得いかず、もう変えたのに、なぜまだ言うのか? と思いました。Cさんは人の欠点を見てケチをつける人なのだと思い、私は自分が恨んだり憎んだりしないようにすればいいと思い、ずっと深く考えずにいました。

 今年の夏休み、私は娘とまたCさんの家に行きました。彼女はまた昔のことを持ち出して、「あなたって人は本当にずるい。何かあれば山東省と偽って逃げるなんて」。今回、私は少し怒りがこみ上げてきました。もう20年も前の事をなぜまだ覚えているのでしょう? 私には少しの長所もないのでしょうか? どうしてこの事をずっと掴んで離さないのでしょうか? 私は不満気に言いました。「私は神でもなく、人間が修煉しています。あなたはなぜこの事をいつも持ち出すのですか? あなたとあなたのお母さんはとても差がありますね」。Cさんは私の口調が変わったことで、もう、何も言わなくなりました。

 帰り道、私は娘に聞きました。「これは私のどの心を取り除くべきなの? なぜ20年も彼女はこのことを放さないの?」。娘は「今日のお母さんは良くない状態だね」と言いました。私は「そうね、私はよく自分を探さなければいけないね」と言いました。

 私は考えました。情、怨恨、心が狭い、慈悲がない、自我、人にこだわりすぎ、良いことばかりを聞きたい心……おそらく全てが含まれていますが、どれも確信的ではありません。探せば探すうちにキツネにつままれたようで、もういい、これからは彼女の家に行かなければいい、なぜ自分から恥をかきに行くのか? と思いました。しかし何だか中途半端で、答えを出すべきだと思いました。心を落ち着かせて、真剣にCさんとのこれまでを振り返ってみました。

 Cさんが私の店で働いていた時、何度もこの事を持ち出して言っても、私はただ笑い、小さいことを大げさに言っている、これは私の包容力を修めるものだと思っていました。たまに、彼女は不満そうな気持ちを顔に出していて、なにか不満や、やりきれなさがあるようでした。彼女の能力は普通で、修煉上も突出しているわけではありませんが、同修と一緒にいる縁を大切にして、彼女の仕事と按排に対して私も力を尽くしていました。しかし少し腫れ物に触るようで、常人の店員のように打ち解け合う感じではありませんでした。

 私はCさんに、仕事上で気を配って協力し、こじれないように思っていました。しかし、物事はいつも自分の思い通りにうまく運ばず、何も言えず心が滅入ってしまいました。彼女が私に何か不満に思っているのだと微かに分かりました。私はこの問題を解決しようとしましたが、結果は悪くなるばかりでした。

 あるとき、私は彼女を店長にしようとしましたが、彼女は拒絶して「あなたのところはとても複雑で、私に店長をやらせるなら私はやめます」と言いました。彼女の不満は私に少し恨みが残りました。「もしあなたがオーナーになったら、どのように管理するの?」と私が聞くと、彼女は「それはあなたの仕事でしょ、私に何をしてほしいの?」と言いました。私ははっきり分かりました。同修は法をもって私を判断しているので、間違ってはならず、間違いがあれば良く修めていないのです。この点で本当に常人の従業員にも及びませんでした。常人の従業員に間違いがあれば、叱責しても良く、同修に間違いがあれば、気を使って、隔たりが出来るのを恐れていました。私は彼女の上司として店主として失敗したと感じ、やるせなさを感じました。

 Cさんが辞める時、私は、はっきり分かっていました。彼女は不満を持ち、悔しさと恨みをもって去って行ったのです。

 このことを振り返ると、私の思想は一気に開け、突然はっきりしました。Cさんはなぜ私に対して「不平」で「不敬」だったのでしょうか? 彼女の表れは私の姿でもあるのです。彼女が時々私のチームワーク上で反論してきたとき不機嫌になりました。私の表れは彼女と同じだから、私も彼女に対して気に入らないところがあり、彼女には「トゲ」があると感じていました。それは私の自負心がとても強いため、彼女が私に対して不満があるとき、私の不満もすぐに出てきて、潜在意識の中で、あなたは一体何が不満で気に入らないの? あたなへの優遇はまだ足りないの? あなたはどうしたいの? なぜ私の苦労も考えないの? 私の圧力は誰に言えばいいの? と思っていました。

 ここまで考えて、はっきりと自分の顔のシミに気づくように、まるで私の心の扉が開かれたようでした。彼女はずっと私を向上させてくれていて、私が成し遂げられるようにしてくれていたのです。しかし私は自分がオーナーだから、心の中では同修と一線を引いていたのです。あなたは私の要求の基準に到達するべきで、到達出来なければ良く修めておらず、反対意見があれば更に間違っている。逆らうのは更に悪い、甚だしい場合は恨みをもって「好きにすれば、常人の会社で誰があなたを甘やかしてくれるの? 心性が良ければ、仕事も真面目にやって一日中笑顔でいるのが普通なのに、どうしてあなたには、トゲがあるの?」。しかし、今まで他の同修が店にバイトに来て1日も喜んでいるのを見たことがなく、多くは喜んで来て、そして不機嫌になって帰っていくのでした。

 私はずっと相手に変わってほしいと思っていました。同修に代価と報酬を払ったことを重く見ていたので、注文をつける心がとても強く、相手が自分に無関心だったり、思った通りの要求に達しなければ、恨む心が湧いてきて、法をもって相手を収めようとして、欠点を言って放さず、まるでCさんのように、以前の私のことを掴んで離さないのと同じです。

 このような「不平」の背後には様々な人心があるのです。不平、怨恨、非難、自負、自我、お世辞を聞きたい……どれも根底にある嫉妬と自我から抜け出せていません。残念なことに、Cさんが店で働いて長年、私はずっとこのことを深く探さず、本質から向上出来ていませんでした。彼女は何度も補習授業をしてくれ、20年経ってやっと悟れたのです。あの日、私はCさんに対して、言葉に善が無く、心は不満で、怒ったのです。本当に修煉とかけ離れていました。この機会を借りてCさんに深く謝ります!

 また私が思ったのは、この不平不満は、見下し、難癖をつける自我の表れで、旧勢力と全く同じです。旧勢力は師父が法を正すことを妨害し、大法弟子にケチをつけるのは、ここからきているのではないでしょうか?

 旧宇宙の神の、この「観念」は、どれも私心から抜け出しておらず、これは旧宇宙に解体をもたらすことの必然です。大法弟子は新宇宙の生命になるために、これらのものを必ず修めなければなりません。

 これによって、私はまた別の事を思い出しました。ある日、私が一つの事をしているとき、ある所がよく分からなくて、1人の同修にききました。彼女は言いました。「Bさんにきいてみて。あの人は良く修めているから、分かるはずです」。私は「あなたはなぜBさんばかり持ち出すの? 私たちは同修を持ち上げてはいけない。それは人を害する事になるのよ」と言いました。口ではこう言っていますが、心の中ではどうでしょう? 心ではBさんに対して不満がありました。彼女が良く修めているって? 私は劣っていると言うの? 私は別の人に聞きに行こう、彼女には聞かない。この凶悪で卑劣な嫉妬心が見えて、恐ろしくなりました。私はすぐに警戒し、必ず消滅させなければならないと思いました!

 私はまた思い出しました。ある日、外地の1人の親戚の家へ行ったとき、親戚の同修が私と交流した後に言いました。「私たちの地区はあなたたちの地区とは違う。(その意味は彼の方が私より良いということ)」。その時私は思いました。「私はあなたと高低を比べに来たのではないのに、あなたはなぜそのように言うの?」。今は分かります。私にこのような心があるから、彼はこのように言ったのです。もし私に高低あるいは人と比べて良いかどうかの心が無ければ、親戚もあのように言わないでしょう。

 一人一人の大法弟子はみな大法の中で自分を成就させています。それは師父が望んでおられ、決められることです。人間のところから見ると、各自は皆そんなに目立っていませんが、全てが未来の新宇宙で黄金に輝く粒子です。これらの粒子は新宇宙で微妙につながり運行し、互いに影響しています。ですから、誰が誰と比べて高いとか、良いとか、これらのものは必ず取り除くように修めなければいけません。

 幾日も、私は毎回の発正念のとき狙いを定めて「不平、自我、嫉妬心」など、これらの要素を表面から深いところまで、徹底的に一掃しています。そうすると気持ちが軽やかになり晴々します。

 少しばかりの体得ですが、正しくないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/19/410684.html)
 
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