【明慧日本2020年9月6日】(台湾=明慧記者・李維安)「2020年台湾法輪大法青年学習者夏期キャンプ」が8月22日から24日まで、雲林環科大学で開催され、100人以上の参加者が集まった。今回のイベントでは、多く法を学ぶことや交流して煉功することに重点を置いた。また、多くの青年学習者が法を正す時期の責任や、衆生救済の使命を認識することができた。今までまじめに修煉していなかった青年学習者は大法の力を実感し、再び修煉に戻り、新たに大法を認識する気持ちになったという。活動が終了した時には、皆が元気と正念に溢れ「価値のあるイベントだった」と言い、来年また会おうと約束した。
「2020年台湾法輪大法青年学習者夏期キャンプ」の参加者たち |
朝の集団煉功を行う青年学習者たち |
修煉体験グループ交流会に参加する青年学習者 |
「価値のあるイベントだった」
大学1年生の呉さんは、初日の大量学法はなかなか頭に入りにくかったが、2日間続けて勉強するにつれて清められ、清められ、繰り返し清められたような気がした。同修との交流で学法の大切さを理解するとともに、同修との修煉の差が大きいことに気がついたという。
学習者たちが自分の内に向けて探した修煉体験交流の発表は呉さんの心に響き、「同修は真剣に内に向けて探し、自分の不足を探していた」と感じたという。また、同修の修煉体験に対して、自分の心の中で意見があることに気づき、法を学び交流した後、「他人のことについて意見を持つことは、実は自分の問題だ」と悟ったという。同修が本当に真剣に自分の問題を見つけようとしている姿を見た呉さんは、「修煉の差が本当に大きい」と思い、感心したという。
「自分のもう一つの問題点は、多くの時間を無駄にしたことです。自分はいつもネット上で時間を費やしてしまいましたが、その間、同修たちは絶えず精進していました。法を正す時期の修煉がすでに後期に入った今、多くの同修は一所懸命に迫害の実態を伝えて人を救い、誓約を果たしているのに対し、僕はネット上で多くの時間を費やして無駄にしました。そのギャップが大きすぎます」
数日間の学法と交流を通じて、呉さんは日々の努力を積み重ねて毎日法を勉強し、少しずつ自分の良くない考えを取り除き、自分の考え方や行動を正し、欲望や執着心を抑えるべきだと認識でき、「価値のあるイベントだった」と述べた。
台湾芸術大学戯劇学科を卒業し、舞台芸術の教師である映諭さんは、「今回の活動は非常に価値のあるイベント」と共感したという。台湾各地からこれほど多くの若い学習者が、一緒に学法や交流できたことを目にして、「誰でも明白な一面はしっかり修煉したいと思っています。皆が集まるとエネルギーがとても強く感じますし、主意識も強くなり、お互いに励まし合い、さらに精進することに繋がります」と話した。
映諭さんは「子供の頃に大法に出会ったので、とても自然なことだと思っていたが、なぜ法輪大法を学ぶのかと聞かれると、どう答えるべきか分かりませんでした。卒業してから多くの人々や物事に接触するようになり、どう対応していくのかについて、真剣に考えるようになりました。価値観においても心性の試練においても、大法はあらゆる面で私を正しい道へと導いて下さいました。疑う余地もなく、確かにそうです」と述べた。
以前の映諭さんは自分が「醜いアヒル」だと思い、コンプレックスを持っていたが、大学に進学してからは修煉において落後せず厳しく自分に要求したため、1年後には自分が大きく成長したことに気付き、容貌から演技力、跳躍力など、だんだんと自由にこなせるようになったという。「これらはすべて師父が授けてくださったものであり、師父の按排が最も素晴らしいものに違いありません。私は師父が按排して下さった道をしっかり歩んでいきたいと思います」と映諭さんは言った。
もうすぐ高2になる蔦松芸術学校の宇秦さんは、子供の頃から両親と一緒に法輪功を勉強し始めたが、実際に修煉し始めたのは蔦松国中の時だという。今回の夏期キャンプに参加した宇秦さんは、たくさんの収穫を得て修煉が向上できたという。内に向けて探す法理についてもさらに理解が深まり、たとえ第三者であっても、トラブルの前で自分の内に向かって探すべきだということが分かった。以前なら、他人の問題は自分自身と何の関係もないと思っていたが、交流を通して差を見つけ、宇秦さんの法に対する理解も深めたという。
自分を修煉者と自覚して、多くの困難を乗り越えてきた同修の体験談を聞いて、宇秦さんは心を深く打たれて感動した。
小さい時、天気予報のように天候が変わると、鼻水が止まらなくなったが、修煉してから鼻水も出なくなった。小さい頃は機嫌が悪いと母親とよくケンカをしていたが、蔦松中学に入ってからは親孝行や善を身につけ、法を学び続けることで、母親とケンカしなくなり穏やかになった、と宇秦さんは自分の過去を振り返った。
観念を変え、より多くの人を救う
台北出身の許さんは、幼い頃から両親のもとで修煉をし、現在、伝統美術学科を専攻している。今回の活動に参加してから、比して学び、比して修することに溶け合い、お互いに理解し助け合い、大きく向上すると共に法を正す進展についての理解や、若い学習者も勉強の合い間に衆生救済のプロジェクトに参加する重要性を認識したという。「正統な美術の絵を描くことは、自分の迫害の実態を伝えるよい利器である」と許さんは悟った。
学習者として、自分の専門性を生かして正統な芸術とは何か、純真、純善、純美とは何か、自分の思うままに魔性を放縦するのではなく、どのようにすれば、伝統の道に戻ることが出来るのか、これが自分の使命だと許さんは感じたという。「大学に入って自分の専門をさらに発揮することができ、より良く法輪功迫害の実態を伝え人を救うことができると思います」と許さんは言った。
大学生の林晋豪さんは、幼い頃に母親の「天使になりたい?」という一言で、考えもせずに「はい」と答えて、すぐ修煉の道に入ったという。
林晋豪さんは、蔦松国中の美術科で正統な芸術創作を学んだため、現代の写実画家たちの作品が正統派ではないという考えがあるため、彼らの作品を鑑賞した時、内心で排斥したり、批判したりすることが多かったという。
「大法弟子は人を救うために世間に来ています。人類が悪くなったからこそ、私たち大法弟子たちは、師が法を正すことを手伝って世間に来る必要があるのです。私たちは批判的な目で見るばかりであれば、人を救うことが全くできません」と、大学に入ってから、林晋豪さんは以前の考えをくつがえした。
「よく考えてみれば、写実派を研究するあるいは写実芸術を創作する芸術家たちも、人々は敬服しています。この乱れた時代の中で、誰もが抽象派、野獣性、印象派を推賞している中で、彼らは依然として写実創作の道を粘り強く歩んでいるのです。 この点を考えた時、自分は彼らを励ましてあげるべきで、批判的だったりマイナスに考えるべきではない、と思うようになりました。彼らも現代美術を伝統へ立ち戻らせる一員です」と林晋豪さんは言った。
師父が見守って下さるため、修煉の道はそれほど険しくないと感じているという。師父が導いて下さっているからこそ、法に対して深く理解することができ、この濁流の中で理性的にはっきりとした状態を保つことができ、師が法を正すことを手伝い、衆生を救い済度する使命を知ったという。また、修煉の道は様々な苦難があり、あらゆる執着を取り除かなければならず、魔難と試練の中で正しく対処し、自分の使命を知っていれば、旧勢力の按排をはっきりと見わけることができ、影響されずに何事もできる、と林晋豪さんは悟った。
大学1年の黄伃君さんは、編集のプロジェクトに携わる中で、半分の労力で倍の成果をあげるために、求める心を抱きながら学法し、心が純粋ではないため、向上するどころか、油断すると堕ちてしまうところだった。黄伃君さんの交流によると、編集の仕事を引き受けた後、試練が増えた。食事をする度にテレビの前に目が止まり、急いで編集の作業をやらないといけないと知りながら、「もうちょっとだけ見よう、もう少しだけ見よう」と自分に言い聞かせた。そして、面白い映画が次から次へと出てきて、ついに2~3時間を無駄にしてしまった。気がづいたらもう遅くなり、毎回後悔する悪循環に陥ったという。
黄伃君さんは修煉に対して動揺し始めた。「幸いにも、夏期キャンプの学法の中で、旧勢力についての説法を学びました。旧勢力について認識すると同時に、毎回修煉を諦めようと思う自分は、本当の自分ではないことにも気づきました。映画を見たいと思う自分や、面白くて続きを見たいという自分、後悔して最後には一歩ずつ後ずさりして、修煉をやめたいなど、このすべてが自分ではないことに気づきました。認識した後、テレビを見たい欲望や安逸心を抑えられるようになったのは、それらをはっきりと見分けることが出来たからだと思います」と黄伃君さんは語った。
純粋で穏やかな心ほど、能力が高い
台湾科技大学電機工学部を卒業して、院生の郭家銘さんは、修煉の体験を分かち合った。「大学1年の時、校内の法輪大法グループの代表を引き継ぎ、校内の学生自治会の会長選挙に参加する機会がありました。しかし突然、ある問題について学生の間で深刻な対立が起きました。なぜ、この時にこの事が起きたのでしょうか? よく考えてみると、大法弟子の考えは地区の環境に影響を与えるはずで、この問題は私自身にあるに違いありません! そこで心を静めて内に向けて探しました」。そこで出馬を決めた瞬間から、真剣に取り組むべきであり、安逸心があってはならないことや、恐れる心、闘争心、比較する心なども必要ではないと分かったという。
修煉者にとっての修煉とは、その過程の中でいかに「真・善・忍」を実践し、体現するのかであると、郭家銘さんは実感した。自分の言動は修煉者の状態を反映したものであると同時に、他人に法輪功を知ってもらうよい方法でもある。 これに気づいた以上、この過程でいつも心の中で、「自分は修煉者の温かさを人々に与えたい」と自分に言い聞かせたという。心を正しく持ち、すべての過程がスムーズに終了し、郭さんのグループは幸運にも当選したという。
今回の出来事を経験した郭さんは、なぜ修煉者として常に穏やかさと慈悲の状態を保たなければならないのかをより深く理解できたという。結果はすでに決まっていて、道は敷かれており、足りないのは大法弟子が実践することだけである。しかし、真・善・忍を実践する過程は、未来のために参照として残されるもので、もちろん、神の道を歩んでいる私たちは慈悲の心を保たなければならないという。
国立清華大学材料科学の修士2年目の許宸逢さんは、「大学3年は工学部の学生にとって最も忙しい時期で、成績は良かったのですが、虚しさを感じることが多くありました。中部の実家に帰ったある日、家族と一緒に神韻を鑑賞した後、感激のあまりしばらく心が冷静になりませんでした。常人が羨ましい良い成績を修めたのに、なぜ達成感がないのか、その時すぐに分かりました。それは自分の人生の本当の目的ではなく、家に帰る途中、心の中で『大法弟子がやるべきことをやりたい』と叫びました」と修煉の体験を語った。
許宸逢さんはどうやって大法弟子のやるべきことを多く行えるのかを考えたという。自分の専門は何の役に立てるのかを考えると、今までこの道を選んだことを後悔した。しかし、また新たな認識もあった。「師父が私をここに按排して下さったことは、ここで自分が果たすべき使命があり、救うべき衆生がここにいるからだと思います。それ今までに『学歴』という切符を手に入れることが出来なければ、ここにいる衆生に全く届かず、法輪功の実態を伝えるよい機会を失うかもしれません。そう思えば、今まで選んだこの道は無駄ではありませんでした」
「師父は一人一人の弟子のために修煉の道を按排して下さっただけでなく、大法弟子の一人一人に異なる技能を与えられ、真相を伝える時に自分の長所を発揮できるようにして下さいました。一人一人の弟子の道はみな唯一無二の道で、常に大法の要求に従えば、正しく道を歩むことができます。自分たちの能力は師父に与えられたものであるため、何かを行う時に心持ちを正しくし、考えが純粋であればあるほど、能力も強くなるということを学びました」と許さんは述べた。
初心に戻る
マレーシア出身の文嫣さんは、初めて夏期キャンプに参加した。蔦松国中に入って一連の出来事があったため、文嫣さんは落ち込んでいたという。母親に『轉法輪』を読むことを勧められ、それ以来、文嫣さんの人生観は変わった。法会に参加し、修煉者の仲間と出会い、今回の夏期キャンプに参加することができたことで、文嫣さんは、師父の一人一人の弟子に対する綿密な按排を実感し、修煉に対する理解を深めたという。
文嫣さんは大量に学法することを通じて、自分の使命と責任をより深く理解し、今まで認識していなかったことを認識することができ、修煉の初心に戻ったような気がしたという。
「修煉する前に自分は反抗的な子供で、親を尊敬する気持ちが分かりませんでしたが、修煉してからは心の中の全てが穏やかになり、親を尊敬する気持ちが芽生え、周りの物事に対しても冷静に対応できるようになり、問題に直面しても心が動ぜずに対処できるようになりました」と文嫣さんは語った。
2泊3日のこの間に大量の学法を通じて、比して学び、比して修することを学び、互いに促進する環境の下で、青年学習者たちは大法弟子になれたことの有り難さを理解し、自分たちの責任と使命を感じ、精進して着実に修めることこそが、真に師が法を正すことを手伝うことであるということを理解した。