学法する前と後では別世界
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2020年9月11日】師父は説法の中で何度も、私達に多く学法することを強調され、明慧ネットで同修も常に学法について交流しています。しかし、私が学法をしようとすると妨害が入り、それがなかなか突破できませんでした。最近の一つの出来事から、私は学法について、更に深い理解と体得を得ることができました。

 ある日、1人で暇を持て余していました。この退屈という人心を直ちに取り除くことができず、無気力な気持ちに従い、パソコンを立ち上げ、常人の動画サイトは開かなかったのですが、同修が法輪功迫害の実態を伝えている映像があり、その動画の下に法輪功とは何かを理解してない常人の書き込みを読んで、無聊な気持ちの慰めにならなかっただけでなく、かえってネガティブになり、気持がさらに沈みました。

 次の朝、心にある煩悶する物質が消え去ってないことに気付いて、まず煉功することにしました。煉功し始めたら、子供が話しかけてきました、私は眉をひそめて子供に離れるよう合図をしましたが、暫くすると子供がまたやってきて、先程と同じ話を始めたのでした。煉功はもう続けられないと思い、中断しました。「この子ったら、修煉者なんだから、人が煉功しているときに話しかけたら、煉功の邪魔になることは知っているのに!」と心の中で苛立ちました。

 師父は「皆さん、ご存知ですか? あなたが修煉者でありさえすれば、いかなる環境、いかなる状況下でも、遭遇したいかなる厄介なことや不愉快なこと、ひいては大法の仕事のためであっても、皆さんが思っているどれほど良いことや、どれほど神聖なことであっても、わたしはそれらを利用して皆さんの執着心を取り除き、皆さんの魔性を暴露させ、それを取り去っているのです」[1]と説かれました。私はこの心性の関を乗り越えることが出来ませんでした。なぜなら、これまで、自分は良い心理状態を保つことが出来なかったからです、心性の関に太刀打ちできる力を備えていなかったからです。

 心性の関を乗り越えることが出来ず、煉功も出来なかったので心の苛立ちが止まりません。この状態で煉功しても効果がないことを悟り、同修と交流することにしました。同修は、自分はひたすら多く学法しているだけだと教えてくれました。同修は毎日、法を読み、『轉法輪』を暗記する以外に、時間さえあれば、師父の各地での説法を読み、さらに、1日1編のスピードで読み進めていると話しました。私は毎日『轉法輪』を1ページ暗記する以外、家族の同修と1時間法を学びます。状態の良い時に、残りの時間は各地での説法をほぼ1編読むことも出来ますが、自分に目標を定めていないため、持続性がありません、そのため良い学法の状態を保つことが出来ませんでした。

 学法する前に、中国国内にいる親戚に電話をかけて、法輪功迫害の実態を伝えようと考えましたが、修煉状態が良くないので、中止することにしました。自分の気持ちが苛立って落ち着かない時に、常人の方法で改善を求めても、修煉者にとって緩和する作用をもたらすことが出来ません、かえって良くない物質が増して、そこから抜け出せなくなるのです。

 ここ数日、同修は厭わずに私に学法を多くするように促します、それはきっと師父の啓示転化けいに因るものだと思い、常人のものを法に則って修めて、取り除き、解消すべきです。師父は私に大量に学法するよう導かれているのです。ここまで悟り、私は自分の学法のスケジュールに従い『アメリカ西部での説法』を読み始めました。しかし、始めて間もなく、妨害が現れました。睡魔がやってきました、コーヒーを淹れて飲めば目が覚めると思ったのですが、効果がありませんでした。仕方なく、立ち上がって、歩きながら法を読みました。暫くすると、眠気が無くなりましたので、もっと集中して法を読み始めました、師父の法を読めば読むほど手放せなくなり、法の中の一文字一文字が心に留まり、この過程において、およそ3時間経ちました。1編の説法を読み終えた頃に、法を学ぶ余韻を噛み締め、まだまだ足りない感じがして、ますます本を手放せなくなりました。自分の苛立ち、ネガティブな気持ちが一掃されたことを感じました。心の中にあった良くない物質を師父が取り除いてくださったのです。体中のすべての細胞は法に清められて欣喜歓呼していて、私は法との間にある隔たりが消え、法により近づいていき、法をより親しく感じました。師父は「私は私の能力をこの大法に注ぎ込んでおり、学んでいればあなたは変わり、向上し最後まで学ぶことができれば圓満成就することができます」[2]と説かれました。

 今回、学法を始める前と後では大変著しく不思議に変化した自分を通して、大法弟子は学法さえすれば、師父は大法弟子のために、私達を変えて下さることを認識できました。今回の学法は私に物質と精神の関係をもう一度、より明晰に分からせてくれました。思想業は一種の物質であり、師父がこれを取り除いてくださったのです、その物質の消滅はこんなにもはっきりとしていて、紛れもないことだと知りました。師父の仰る事を聞き、一心不乱に法を学びさえすれば、私達のために師父が全てをして下さるのです。ここで師父の広大な慈悲に感謝を申し上げます。師父の慈悲に感動し、私は涙が止まりませんでした。

 その後、自分は良い状態でいる為、中国の家族に真相を伝えると良い効果を納めました。師父が励まして下さり、発正念の時に入定する素晴らしさを体験させてくださいました。

 常人社会にいる時は、迷いの中にある肉身が持つ常人の物質が私達を支配していて、この物質が強く現れた時、それを見極めることができるかどうかが非常に重要なのです。少しの油断でもそれに従って支配されるのです。私達は正しくない一念を持つ時に、直ちにほかの空間にいる私達の隙に乗じることを狙っている邪悪要素を招きます。また、常人の考えを用いて、執着心に付いて行って、怠った時に、例えば先日、私は退屈に感じた時、法を学ぶのはなく、動画を見たことは自分の常人の物質と要素に息継ぎをする機会を与え、取り除くどころか、却って助長させたのでした。しかし、これらの物質は私達を支配し、私を更に消極と迷いの中に陥れ、精進することを出来なくさせます。私は学法の威力を軽視し、直ちに学法をしませんでした。甚だしきに至っては本を手にすることも出来ずにいたのでした。本に触れさせないのは私自身なのかどうかについては追及しませんでした。それは消滅されたくない人間の物質要素が阻止していたのではないでしょうか? なぜならば、私は法を手にとって、読み始める時はそれが消滅される時だと知っているからです。当然、それは必死にもがいて、私の頭に虚像を打ち込み、自分が法を学びたくないのだと誤解させるのです。 

 学法をすると不思議な効果を体験して、自分に強制的な規定を下しました。『轉法輪』を学ぶ以外に、毎日各地での説法を1編読み、毎週、固定した大法のプロジェクトの仕事をやり遂げ、正念を欠かさずに発し、常人の仕事と家事をこなします、それ以外に、時間に余裕がある時は、必ず法を学ぶことにしました。

 もし自分のことを真に神だと看做せば、神には常人の娯楽やリフレッシュが必要なのでしょうか? 法を学んで真に一心不乱な状態に至れば、大法が法理を顕してくれ、その時、法の中から得た昇華が本当の神聖で高尚な楽しみであり、法の中で精進して得た揺るぎない安心感こそ私達修煉者として切望する願いなのです。

 以上は、個人の次元での悟りです、法に沿ってない所があれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「再認識」
 [2] 李洪志師父の著作:『米国東部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/8/14/410461.html)
 
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